雨ニモマケズ

宮沢 賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ 


  六月の雨

中原 中也

またひとしきり 午前の雨が
菖蒲のいろの みどりいろ
眼うるめる 面長き女ひと
たちあらはれて 消えてゆく

たちあらはらはれて 消えゆけば
うれひに沈み しとしとと
畠の上に 落ちてゐる
はてしもしれず 落ちてゐる

お太鼓叩いて 笛吹いて
あどけない子が 日曜日
畳の上で 遊びます

お太鼓叩いて 笛吹いて
遊んでゐれば 雨が降る
櫺子れんじの外に 雨が降る


  八月の石にすがりて

『夏花』 伊東 静雄

八月の石にすがりて
さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
わが運命さだめを知りしのち、
たれかよくこの烈しき
夏の陽光のなかに生きむ。

運命? さなり、
あゝわれ自ら弧寂こせきなる発光体なり!
白き外部世界なり。

見よや、太陽はかしこに
わづかにおのれがためにこそ
深く、美しき木蔭をつくれ。
われも亦。

雪原に倒れふし、餓ゑにかげりて
青みし狼の目を、しばし夢みむ。


  ああ東京よ

『槐多の歌へる』 村山 槐多

ああ東京よ俺の豚小屋よ
俺は一つの魔法を持つて居る
その魔法が何時使はれるかは俺も知らぬが
その時汝はかつと金色に輝くであらう
豚どもも人間と変わるであらう
有り難くその時をまつて居ろ。


  ああ大和にしあらましかば

『白羊宮』 薄田 泣菫

ああ、大和にしあらましかば、いま神無月、
うは葉散り透く神無備の森の小路を、
あかつき露に髪ぬれて、往きこそかよへ、斑鳩へ。
平群のおほ野、高草の黄金の海とゆらゆる日、
塵居の窓のうは白み、日ざしの淡に、
いにし代の珍の御経の黄金文字百済緒琴に、斎ひ瓮に、
彩画の壁に見ぞ恍くる柱がくれのたたずまひ、
常花かざす芸の宮、斎殿深に、焚きゆる香ぞ、
さながらの八塩折美酒の甕のまよはしに、さこそは酔はめ。

新墾路の切畑に、赤ら橘葉がくれに、ほのめく日なか、
そことも知らぬ静歌の美し音色に、目移しの、ふとこそ見まし、
黄鶲のあり樹の枝に、矮人の楽人めきし 戯ればみを。
尾羽身がろさのともすれば、葉の漂ひとひるがへり、
籬に、木の間に、――これやまた、野の法子児の化のものか、
夕寺深に声ぶりの、読経や、――今か、
静こころそぞろありきの在り人の魂にしも泌み入らめ。

日は木くれて、諸とびらゆるにきしめく夢殿の夕庭寒に、
そそ走りゆく乾反葉の白膠木、榎、楝、名こそあれ、
葉広菩提樹、道ゆきのさざめき、
諳に聞きほくる石廻廊のたたずまひ、
降りさけ見れば、高塔や、九輪の錆に入日かげ、
花に照り添ふ夕ながめ、さながら、
緇衣の裾ながに地に曳きはへし、
そのかみの学生めしき浮歩み、――
ああ大和にしあらましかば、今日神無月、日のゆふべ、
聖ごころの暫しをも、知らましを、身に。


  哀歌 第十四

F・ジャム 堀口大学

――恋人よ。」とお前が云つた、
――恋人よ。」と僕が答へた。

――雪がふつてゐる。」とお前が云つた、
――雪がふつてゐる。」と僕が答へた。

――もつともつと。」とお前が云つた、
――もつともつと。」と僕が答へた。

――こんなに、こんなに。」とお前が云つた、
――こんなに、こんなに。」と僕が答へた。

その後、お前が云つた
――あんたが好きだわ。」

すると僕が答へた
――僕はもつとお前が好きだ。」と。

――夏ももう終りね。」とお前が云つた、
――もう秋だ。」と僕が答へた。

ここまで来ると僕等の言葉は、
たいして似てはゐなかつた。

最後にお前が云つた
――恋人よ、あんたが好きだわ……」と、

いかめかしい秋の大袈裟な夕日をあびて、

すると僕が答へた
――もう一度言つてごらん……。」と。


  愛 隣

『月に吠える』 萩原 朔太郎

きつと可愛いかたい歯で、
草のみどりをかみしめる女よ、
女よ、
このうす青い草のいんきで、
まんべんなくお前の顔をいろどつて、
おまへの情欲をたかぶらしめ、
しげる草むらでこつそりあそぼう、
みたまへ、
ここにはつりがね草がくびをふり、
あそこではりんだうの手がしなしなと動いてゐる、
ああわたしはしつかりお前の乳房を抱きしめる、
お前はお前で力いつぱいに私のからだを押へつける、
さうしてこの人気のない野原の中で、
わたしたちは蛇のやうなあそびをしよう、
ああ私は私できりきりとお前を可愛がつてやり、
おまへの美しい皮膚の上に、
青い草の葉の汁をぬりつけてやる。


  明るい方へ

金子 みすゞ

明るい方へ明るい方へ。
一つの葉でも陽の洩るとこへ。
籔かげの草は。
明るい方へ明るい方へ。
翅は焦げよと灯のあるとこへ。
夜飛ぶ蟲は。
明るい方へ明るい方へ。
一分もひろく日の射すとこへ。
都會に住む子らは。


  秋風の歌

島崎 藤村

さびしさはいつともわかぬ山里に
      尾花みだれて秋かぜぞふく

しづかにきたる秋風の
西の海より吹き起り
舞ひたちさわぐ白雲の
飛びて行くへもみゆるかな

暮影ゆうかげ高く秋は黄の
桐の梢の琴の音に
そのおとなひを聞くときは
風のきたると知られけり

ゆふべ西風吹き落ちて
あさ秋の葉の窓に入り
あさ秋風の吹きよせて
ゆふべの鶉巣に隠る

ふりさけ見れば青山も
色はもみぢに染めかへて
霜葉をかへす秋風の
空の明鏡かがみにあらはれぬ

すずしいかなや西風の
まづ秋の葉を吹けるとき
さびしいかなや秋風の
かのもみぢ葉にきたるとき

道を伝ふる婆羅門の
西に東に散るごとく
吹き漂蕩ただよはす秋風に
飄ひるがへり行く木の葉かな

朝羽うちふる鷲鷹わしたかの
明闇あけぐれ天そらをゆくごとく
いたくも吹ける秋風の
羽に声あり力あり

見ればかしこし西風の
山の木の葉をはらふとき
悲しいかなや秋風の
秋の百葉ももはを落とすとき

人は利剣つるぎを振へども
げにかぞふればかぎりあり
舌は時世ときよをのゝしるも
声はたちまち滅ぶめり

高くも烈し野も山も
息吹まどはす秋風よ
世をかれがれとなすまでは
吹きも休むべきけはひなし

あゝうらさびし天地あめつち
壺の中うちなる秋の日や
落葉と共に飄る
風の行衛ゆくへを誰か知る


  秋のピエロ

堀口 大学

泣き笑ひしてわがピエロ
秋ぢゃ! 秋ぢゃ! と歌ふなり。

Oの形の口をして
秋ぢゃ! 秋ぢゃ! と歌ふなり。

月の様なる白粉の
顔が涙を流すなり。

身すぎ世すぎの是非もなく
おどけたれどもわがピエロ、

秋はしみじみ身に滲みて
真実なみだを流すなり。


  秋の夜の会話

草野 心平

さむいね
ああ さむいね
虫がないてるね
ああ 虫がないてるね
もうすぐ土の中だね
土の中はいやだね
痩せたね
君もずゐぶん痩せたね
どこがこんなに切ないんだらうね
腹だらうかね
腹とつたら死ぬだらうね
死にたくはないね
さむいね
ああ 虫がないてるね


  Y 朝に

立原 道造

おまへの心が 明るい花の
ひとむれのやうに いつも
眼ざめた僕の心に はなしかける
《ひとときの朝の この澄んだ空 青い空

傷ついた 僕の心から
棘をぬいてくれたのは おまへの心の
あどけないほほゑみだ そして
他愛もない おまへの心の おしやべりだ

ああ 風が吹いてゐる 涼しい風だ
草や 木の葉や せせらぎが
こたへるやうに ざわめいてゐる

あたらしく すべては 生れた!
露がこぼれて かわいて行くとき
小鳥が 蝶が 昼に高く舞ひあがる


  有明海の思ひ出

伊東 静雄

馬車は遠く光のなかを駆け去り
私はひとり岸辺に残る
わたしは既におそく
天の彼方に
海波は最後の一滴まで沸たぎり堕ち了をはり
沈黙な合唱をかし処にしてゐる
月光の窓の恋人
くさむらにゐる犬
谷々に鳴る小川・・・・・の歌は
無限な泥海の輝き返るなかを
縫ひながら
私の岸に辿りつくよすがはない
それらの気配にならぬ歌の
うち顫ふるひちらちらとする
緑の島のあたりに
遙かにわたしは目を放つ
夢みつつ誘いざなはれつつ
如何にしばしば少年等は
各自の小さい滑板すべりいたにのり
彼の島を目指して滑り行つただらう
あゝ わが祖父の物語!
泥海ふかく溺れた児たは
透明に 透明に
無数のしやつぱに化身したと


  或るとき人に与へて

佐藤 春夫

片こひの身にしあらねど
わが得しはただこころ妻
こころ妻こころにいだき
いねがてのわが冬の夜ぞ。
うつつよりはかなしうつつ
ゆめよりもおそろしき夢。
こころ妻ひとにだかせて
身も霊たまもをののきふるひ
冬の夜のわがひとり寝ぞ。


  或る人に

佐藤 春夫

あなたの夢は昨夜で二度しか見ないのに
あなたの亭主の夢はもう六ぺんも見た
あなたとは夢でもゆっくり話が出来ないのに
あの男とは夢で散歩して冗談口を利き合ふ
夢の世界までも私には意地が悪い だから
私には来世も疑はれてならないのだ
あなたの夢はひと目で直ぐさめて
二度とも私はながいこと眠れなかった
あなたの亭主の夢はながく見つづけて
その次の日は頭痛がする ………
白状するが私は 一度あなたの亭主を
殺してしまったあとの夢を見てみたい
私がどれだけ後悔してゐるだらうかどうかを


  逝く夏の歌

『山羊の歌』 中原 中也

並木の梢が深く息を吸つて、
空は高く高く、それを見てゐた。
日の照る砂地に落ちてゐた硝子を、
歩み来た旅人は周章てて見付けた。

山の端は、澄んで澄んで、
金魚や娘の口の中を清くする。
飛んでくるあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗つておいた。

風はリボンを空に送り、
私は嘗て陥落した海のことを
その浪のことを語らうと思ふ。

騎兵聯隊や上肢の運動や、
下級官吏の赤靴のことや、
山沿ひの道を乗り手もなく行く
自転車のことを語らうと思ふ。


  石ころ

金子 みすゞ

きのふは子供をころばせて
けふはお馬をつまづかす。
あしたは誰がとほるやら。

田舎のみちの石ころは
赤い夕日にけろりかん


  甃のうへいしのうへ

三好 達治

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ


  「一握の砂」

石川 啄木

   一

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹途とたはむる

頬につたふなみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず

大海にむかひて一人七八日 泣きなむとすと家を出でにき

いたく錆びしピストル出でぬ 砂山の砂を指もて掘りてありしに

ひと夜さに嵐来たりて築きたる この砂山は何の墓ぞも

砂山の砂に腹這ひ初恋の いたみを遠くおもひ出づる日

砂山の裾によこたはる流木に あたり見まはし物言ひてみる

いのちなき砂のかなしさよ さらさらと握れば指のあひだより落つ

しつとりとなみだを吸へる砂の玉 なみだは重きものにしあるかな

大といふ字を百あまり砂に書き 死ぬことやめて帰り来れり

たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず

飄然と家を出でては飄然と 帰りし癖よ友はわらへど

「さばかりの事に死ぬるや」「さなかりの事に生くるや」止せ止せ問答

空家に入り煙草のみたることありき あはれただ一人居たきばかりに

はたらけどはたらけど猶わが生活 楽にならざりぢつと手を見る

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ を買ひ来て妻としたしむ

   二

ふるさとの訛なつかし停車場の ごみの中にそを聴きにゆく

かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山おもひでの川

石をもて追はるるごとくふるさとを 出でしかなしみ消ゆる時なし

やはらかに柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ泣けとごとくに

ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな

   三

夜おそくつとめ先よりかへり来て 今死にしてふ児を抱けるかな

二三ふたみこゑいまはのきはに微かにも なきしといふになみだ誘はる

真白なる大根の根の肥ゆる頃 うまれてやがて死にし児のあり

おそ秋の空気を三尺四方ばかり 吸ひてわが児は死にゆきしかな

死にし児の胸に注射の針を刺す 医者の手もとにあつまる心

底知れぬ謎に対むかひてあるごとし 死児のひたひにまたも手をやる

かなしみの強くいたらぬさびさよ わが児のからだ冷えてゆけども

かなしくも夜明くるまでは残りゐぬ 息切れし児の肌のぬくもり


  いちばん高い塔の歌

J・A・ランボー 金子光晴

束縛されて手も足も出ない
うつろな青春。
こまかい気づかい故に、僕は
自分の生涯をふいにした。

ああ、心がただ一すじに打ち込める
そんな時代は、ふたたび来ないものか?

僕は、ひとりでつぶやいた。
「いいよ。あわてなくったって。
君と語る無上のよろこびの
約束なんかどうでもいい。

このおもいつめた隠退の決意を
にぶらせてほしくないものだ」

かくばかりあわれな心根の
いいようもないやもめぐらし。
聖母マリヤさまのこと以外、
当分、僕はなにも考えまい。

では一つ、マリヤさまに
お祈りをあげることとしようか。

金輪際おもい出すまいと
僕はどれほど、つとめたことか。
お蔭で、忍耐も、苦しみも、
空高く、飛んでいってしまった。

それだのになぜか、不快な渇きが
僕の血管の血をにごらせている。

荒れるがままの牧場のように、
どくむぎと芳香とがいりまじり、
花咲き、はびこる牧場のように、

不潔な蝿が、僕の心に群がって、
わんわんと唸り立てている。

素縛されて手も足もでないうつろな青春。
こまかい気づかい故に僕は、
自分の生涯をふいにした。

ああ、心がただ一すじに打ち込める
そんな時代は、ふたたび来ないものか?


  井戸ばたで

金子 みすゞ

お母さまは、お洗濯、
たらひの中をみてゐたら、
しゃぼんの泡にたくさんの、
ちひさなお空が光つてて、
ちひさな私がのぞいてる。

こんなに小さくなれるのよ、
こんなにたくさんになれるのよ、
私は魔法つかひなの。

何かいいことして遊あすぼ、
つるべの縄に蜂がゐる、
私も蜂になつてあすぼ。

ふつと、見えなくなつたつて、
母さま、心配しないでね、
ここの、この空飛ぶだけよ。

こんなに青い、青ぞらが、
私の翅に觸るのは、
どんなに、どんなに、いい氣持。

つかれりや、そこの石竹せきちくの、
花にとまつて蜜吸つて、
花のおはなしきいてるの。

ちひさい蜂にならなけりや、
とても聞こえぬおはなしを、
日暮れまででも、きいてるの。

なんだか蜂になつたやう、
なんだかお空を飛んだやう、
とても嬉しくなりました。


  犬吠岬旅情のうた

佐藤 春夫

ここに来て
をみなにならひ
名も知らぬ草花をつむ。
みづからの影踏むわれは
仰がねば
燈台の高きを知らず。
波のうねうね
ふる里のそれには如かず。
ただ思ふ
荒磯ありそに生ひて松のいろ
錆びて黒きを。
わがこころ
錆びて黒きを。


  妹よ

中原 中也

夜、うつくしい魂は涕いて、
――かの女こそ正当あたりきなのに――
夜、うつくしい魂は涕いて、
もう死んだつていいよう……といふのであつた。

湿つた野原の黒い土、短い草の上を
夜風は吹いて、
死んだつていいよう、死んだつていいよう、と、
うつくしい魂は涕くのであつた。

夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
――祈るよりほか、わたくしに、すべはなつた……


  海 豚

ギィヨーム・アポリネール 堀口大学

海豚よ、君等は海の中で遊ぶ、
しかしそれにしても、
潮水はいつも苦いことだ。
時に私によろこびがないではないが、
どのみち人生は残酷だ。


  飲酒

 結盧在人境
 而無車馬喧
 問君何能爾
 心遠地自偏
 采菊東籬下
 悠然見南山
 山気日夕佳
 飛鳥相与還
 此中有真意
 欲弁已忘言

  陶潜

 廬を結んで人境に在り
 而も車馬の喧しき無し
 君に問う 何ぞ能く爾るやと
 心遠ければ 地自ずから偏なり
 菊を採る東籬の下もと
 悠然として南山を見る
 山気 日夕に佳く
 飛鳥相与に還る
 此の中に真意有り
 弁ぜんと欲すれば已に言を忘る


  題烏江亭

 勝敗兵家事不期
 包羞偲恥是男児
 江東子弟多才俊
 巻土重来未可知

  杜牧

 勝敗は兵家も 事期せず
 羞じを包み恥を忍は是れ男児
 江東の子弟 才俊多し
 巻土重来 未だ知るべからず

  失せし希望

中原 中也

暗き空へと消え行きぬ
わが若き日を燃えし希望は。

夏の夜の星の如くは今もなほ
とほきみ空に見え隠る、今もなほ

暗き空へと消えゆきぬ
わが若き日の夢は希望は。

今はた此処に打伏して
獣の如くは、暗き思ひす。

そが暗き思ひいつの日
晴れんとの知るよしなくて、

溺れたる夜の海より
空の月、望むが如し。

その浪はあまりに深く
その月はあまりに清く、

あはれわが若き日を燃えし希望の
今ははや暗き空へと消え行きぬ。


  美しき天然

武島 羽衣

空にさえずる鳥の声
峰より落つる滝の音
大波小波とう鞳と
響き絶えせぬ海の音
聞けや人々面白き
この天然の音楽を
調べ自在に弾き給う
神の御手の尊しや

春は桜のあや衣
秋は紅葉の唐錦
夏は涼しき月の絹
冬は真白き雪の布
見よや人々美しき
この天然の織物を
手ぎはみごとに織りたもう
神のたくみの尊しや

うす墨ひける四方の山
くれない匂う横がすみ
海辺はるかにうち続く
青松白砂の美しさ
見よや人々たぐいなき
この天然のうつしえを
筆も及ばずかきたもう
神の力の尊しや

朝に起こる雲の殿
夕べにかかる虹の橋
晴たる空を見渡せば
青天井似たるかな
仰げ人々珍しき
この天然の建築を
かく広大にたてたもう
神の御業の尊しや


  うつろなる五月

佐藤 春夫

世に美しき姉妹ありき、わがよき友となりしが、
程なく故ありてまた相見るべくもなしと告げ来りしかば。

君を見ずして 何の五月
きらめける空いたづらに
いぶせき窓をひらくとも
ひるがへるかの水色の裳もすそ見えず。

君なくして 何の薔薇そうび
みどりの木かげいたづらに
求めたづねて行き行くとも
涼かぜのかの笑ひをきかず。

うつろなる心に ひねもす
おん身たちの影を描き、思へ
わが香りなき安煙草の
むなしく空に消ゆるさまを。


  乳母車

三好 達治

母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり

時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれぬ夕陽にむかって
りんりんと私の乳母車を押せ

赤い総ある天鵞絨の帽子を
冷たき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり

淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知ってゐる
この道は遠く遠くはてしない道


  海

室生 犀星

砂山に娼婦あそべり。
あはれなるうたごゑもするごとく。
憂鬱なる松林をつたふ波のむらがり、
ふと眼ざめ、かるくめまひす。
あはれ砂山に娼婦あそべり。
われその蒼ざめたる姿をながめ
人にしあらぬ悲しきものを見る。


  海 雀

北原 白秋

海雀、海雀
銀の点点、海雀、
波ゆりくればゆりあげて、
波ひきゆけばかげ失する、
海雀、海雀、
銀の点点、海雀。


  海とかもめ

金子 みすゞ

海は青いとおもつてた、
かもめは白いと思つてた。

だのに、今見る、この海も、
かもめの翅も、ねずみ色。

みんな知つてるとおもつてた、
だけどもそれはうそでした。

空は青いと知つてます、
雪は白いと知つてます。

みんな見てます、知つてます、
けれどもそれもうそか知ら。


  永訣の朝えいけつのあさ

宮沢 賢治

けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
 (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっそう陰鬱な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
 (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるためのあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
 (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっそうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
 (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶあくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Ora de shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
このうつくしい雪がきたのだ
 (うまれてくるたて
こんどはこたにわりゃのごとばかりで
くるしまなぁよにうまれでくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜卒の天の食に変って
やがてはおまへとみんなとに
聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ


 帰園田居

 少無適俗韻
 性本愛丘山
 誤落塵網中
 一去十三年
 羈鳥恋旧林
 池鯉思故淵
 開荒南野際
 守拙帰園田
 方宅十余畝
 草屋八九間
 楡柳蔭後簷
 桃李羅堂前
 曖曖遠人村
 依依墟里煙
 狗吠深巷中
 鶏鳴桑樹巓
 戸庭無塵雑
 虚室有余間
 久在樊籠裏
 復得返自然

   陶潜

 少わかきより俗に適する韻無く
 性せいもと久山を愛す
 誤つて塵網の中に落ち
 一去十三年
 羈鳥旧林を恋い
 池魚ちぎょ 故淵を思う
 荒を南野なんやの際に開かんと
 拙を守って園田に帰る
 方宅 十余畝
 草屋 八九間
 楡柳ゆりゅう後簷こうえんを蔭おお
 桃李 堂前に羅つらなる
 曖曖あいあいたり 遠人の村
 依依たり 墟里きょりの煙
 狗は吠ゆ 深巷の中
 鶏は鳴く 双樹の巓いただき
 戸庭 塵雑無く
 虚室 余間あり
 久しく樊籠はんろうの裏うちに在りしも
 復た自然に返るを得たり

  お家のないお魚

金子 みすゞ

小鳥は枝に巣をかける、
兎は山の穴に棲む。

牛は牛小舎、藁の床、
蝸牛でゝむしやいつでも背負しよつてゐる。

みんなお家をもつものよ、
夜はお家でねるものよ。

けれど、魚はなにがある、
穴をほる手ももたないし、
丈夫な殻も持たないし、
人もお小舎をたてもせぬ。

お家をもたぬお魚は、
潮の鳴る夜も、凍る夜も、
夜つぴて泳いでゐるのだろ。


  おえふ

『若菜集』 島崎 藤村

処女ぞ経ぬるおほかたの
われは夢路を越えてけり
わが世の坂にふりかへり
いく山河をながむれば

水静なる江戸川の
ながれの岸にいまれいで
岸の桜の花影に
われは処女となりにけり

都鳥浮く大川に
流れてそゝぐ川添の
白菫さく若草に
夢多かりし吾身かな

雲むらさきの九重の
大宮内につかへして
清涼殿の春の夜の
月の光に照らされつ

雲を彫ちりばめ濤なみを刻り
霞をうかべ日をなねく
玉の台の欄干おばしま
かゝるゆふべの春の雨

さばかり高き人の世の
耀かがやくさまを目にも見て
ときめきたまふさまざまの
ひとのころもの香をかげり

きらめき初むる暁星あかぼし
あしたの空に動くごと
あたりの光きゆるまで
さかえの人のさまも見き

天つみそらを渡る日の
影かたぶけるごとくにて
名の夕暮に消えて行く
秀でし人の末路はても見き

春しづかなる御園生の
花に隠れて人を哭
秋のひかりの窓に倚り
夕雲とほき友を恋ふ

ひとりの姉をうしなひて
大宮内の門を出で
けふ江戸川に来て見れば
秋はさみしきながめかな

桜の霜葉黄に落ちて
ゆきてかへらぬ江戸川や
流れゆく水静にて
あゆみは遅きえわがおもひ

おのれも知らず世を経れば
若き命に堪へかねて
岸のほとりの草を藉
微笑みて泣く吾身かな


  大渡橋おおわたりばし

萩原 朔太郎

ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より 直として前橋の町に通ずるならん。
われここを渡りて荒寥たる情緒の過ぐる知れり
往くものは荷物を積み車に馬曳きたり
あわただしき自転車かな
われこの長き橋を渡るときに
薄暮の飢ゑたる感情は苦しくせり。

ああ故郷にありてゆかず
塩のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり
すでに孤独の中に老いんとす
いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん
いまわがまづしき書物を破り
過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。
われは狼のごとく飢ゑたり
しきりに欄干にすがりて歯を噛めども
せんかたなしや、涙のごときもの溢れ出で
頬につたひ流れてやまず
ああ我れもと卑陋ひろうなり。
往くものは荷物を積みて馬を曳き
このすべて寒き日の 平野の空は暮れんとす。


  おきく

『若菜集』 島崎 藤村

くろかみながく やはらかき
をんなごゝろを たれかしる

をとこおのかたる ことのはを
まこととおもふ ことなかれ

をとめごゝろの あさくのみ
いひもつたふる をかしさや

みだれてながき 鬢の毛を
黄楊の小櫛をぐしに かきあげよ

あゝ月ぐさの きえぬべき
こひもするとは たがことば

こひて死なんと よみいでし
あつきなさけは たがうたぞ

みちのためには ちをながし
くにには死ぬる をとこあり

治兵衛はいづれ 恋か名か
忠兵衛も名の ために果つ

あゝむかしより こひ死にし
をとこのありと しるや君

をんなごゝろは いやさらに
ふかきなさけの こもるかな

小春はこひに ちをながし
梅川こひの ために死ぬ

お七はこひの ために焼け
高尾はこひの ために果つ

かなしからずや 清姫は
蛇となれるも こひゆゑに

やさしからずや 佐容姫さよひめ
石となれるも こひゆゑに

をとこのこひの たはぶれは
たびにすてゆく なさけのみ

こひするなかれ をとめごよ
かなしむなかれ わがともよ

こひするときと かなしみと
いづれかながき いづれみじかき


  おきぬ

『若菜集』 島崎 藤村

みそらをかける猛鷲あらわし
人の処女の身に落ちて
花の姿に宿かれば
風雨あらしに渇き雲に饑ゑ
天翔あまかけるべき術をのみ
願ふ心のなかれとて
黒髪長き吾身こそ
うまれながらの盲目めしひなれ

芙蓉を前さきの身とすれば
泪は秋の花の露
小琴をごとを前の身とすれば
うれひは細き糸の音
いま前の世は鷲の身の
処女にあまる羽翼つばさかな

あゝあるときは吾心
あらゆるものをなげうちて
世はあぢきなき浅茅生の
茂れる宿と思ひなし
身は術もなき蟋蟀の
夜の野草のくさにはひめぐり
たゞいたづらに音をたてゝ
うたをうたふと思ふかな

色にわが身をあたふれば
処女のこゝろ鳥となり
恋に心をあたふれば
鳥の姿は処女にて
処女ながらも空の鳥
猛鷲ながら人の身の
あめと地つちとに迷ひゐる
身の定めこそ悲しけれ


  おくめ

『若菜集』 島崎 藤村

こひしきまゝに家を出で
こゝの岸よりかの岸へ
越えましものと来て見れば
千鳥鳴くなり夕まぐれ

こひには親も捨てはてゝ
やむよしもなき胸の火や
鬢の毛を吹く河風よ
せめてあはれと思へかし

河波暗く瀬を早み
流れて巌に砕くるも
君を思へば絶間なき
恋の火炎ほのおに乾くべし

きのふの雨の小休をやみなく
水嵩みかさや高くまさるとも
よひよひになくわがこひの
涙の滝におよばじな

しりたまはずやわがこひは
花鳥の絵にあらじかし
空鏡かがみの印象かたち砂の文字
梢の風の音にあらじ

しりたまはずやわがこひは
雄々しき君の手に触れて
嗚呼口紅をその口に
君にうつさでやむべきや

恋は吾身の社やしろにて
君は社の神なれば
君の祭壇つくゑの上ならで
なににいのちを捧げまし

砕かば砕け河波よ
われに命はあるものを
河波高く泳ぎ行き
ひとりの神にこがれなむ

心のみかは手も足も
吾身はすべて火炎なり
思ひ乱れて嗚呼恋の
千筋ちすじの髪の波に流るゝ


  お魚

金子 みすゞ

海の魚はかはいさう。

お米は人につくられる、
牛は牧場で飼はれてる、
鯉もお池で麩を貰ふ。

けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたづら一つしないのに
かうして私に食べられる。

ほんとに魚はかはいさう。


  おさよ

『若菜集』 島崎 藤村

潮さみしき荒磯の
巌陰われは生れけり

あしたゆふべの白駒と
故郷遠きものおもひ

をかしくものに狂へりと
われをいふらし世のひとの

げに狂はしの身なるべき
この年までの処女とは

うれひは深く手もたゆく
むすぼゝれたるわが思おもひ

流れて熱きわがなみだ
やすむときなきわがこゝろ

乱れてものに狂ひよる
心を笛の音に吹かん

笛をとる手は火にもえて
うちふるひけり十の指

音にこそ渇け口唇の
笛を尋ぬる風情あり

はげしく深きためいきに
笛の小竹をだけや曇るらん

髪は乱れて落つるとも
まづ吹き入るゝ気息いきを聴け

力をこめし一ふしに
黄楊つげのさし櫛落ちてけり

吹けば流るゝ流るれば
笛吹き洗ふわが涙

短き笛の節の間も
長き思おもひのなからずや

七つの情こころ声を得て
音をこそきかめ歌神うたがみ

われ喜よろこびを吹くときは
鳥も梢に音をとゞめ

いかりをわれの吹くときは
瀬を行く魚も淵にあり

われ哀かなしみを吹くときは
虫も鳴く音をやめつらむ

愛のこゝろを吹くときは
流るゝ水のたち帰り

にくみをわれの吹くときは
散り行く花も止とどまりて

慾の思を吹くときは
心の闇の響あり

うたへ浮世の一ふしは
笛の夢路のものぐるひ

くるしむなかれ吾友わがとも
しばしは笛の音に帰れ

落つる涙をぬぐひきて
静にきゝね吾笛を


 落 葉

P・ヴェルレエヌ 上田 敏

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふさぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うちぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。


  U 落葉林で

立原 道造

あのやうに あの雲が 赤く
光のなかで 死に絶えて行つた

私は 身を凭せてゐる
おまへは だまつて 脊を向けてゐる
ごらん かへりおくれた
鳥が一羽 低く飛んでゐる

私らに 一日が
はてしもなく 長かつたやうに
雲に 鳥に そして あの夕ぐれの花たちに

私らの 短いいのちが どれだけ
ねたましく おもへるだらう か


  おつた

『若菜集』 島崎 藤村

花仄ほの見ゆる春の夜の
すがたに似たる吾命
朧々に父母は
二つの影と消えうせて
世に孤児みなしごの吾身こそ
影より出でし影なれや
たすけもあらぬ今は身は
若き聖に救はれて
人なつかしき前髪の
処女とこそはなりにけれ

若き聖ののたまはく
時をし待たむ君ならば
かの柿の実をとるなかれ
かくいひたまふうれしさに
ことしの秋もはや深し
まづその秋を見よやとて
聖に柿をすゝむれば
その口唇にふれたまひ
かくも色よき柿ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
人の命の惜しからば
嗚呼かの酒を飲むなかれ
かくいひたまふうれしさに
酒なぐさめの一つなり
まづその春を見よやとて
聖に酒をすゝむれば
夢の心地に酔ひたまひ
かくも楽しき酒ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
道行き急ぐ君ならば
迷ひの歌を聞くなかれ
かくいひたまふうれしさに
歌も心の姿なり
まづその声をきけやとて
一ふしうたひいでければ
聖は魂たまも酔ひたまひ
かくも楽しき歌ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
まことをさぐる吾身なり
道の迷となるなかれ
かくいひたまふうれしさに
なさけも道の一つなり
かゝる思おもひを見よやとて
わがこの胸に指ざせば
聖は早く恋ひわたり
かくも楽しき恋ならば
などかは早くわれに告げこぬ

それ秋の日の夕まぐれ
そゞろあるきのこゝろなく
ふと目に入るを手にとれば
雪より白き小石なり
若き聖ののたまはく
智恵の石とはこれぞこの
あまりに惜しき色なれば
人に隠して今も放なたじ


  男の子なら

金子 みすゞ

もしも私が男の子なら、
世界の海をお家にしてる、
あの、海賊になりたいの。

お船は海の色に塗り、
お空の色の帆をかけりや、
どこでも、誰にもみつからぬ。

ひろい大海乘りまはし、
強いお國のお船を見たら、
私、ゐばつてかういふの。
「さあ、潮水をさしあげませう。」

弱いお國のお船なら、
私、やさしくかういふの。
「みなさん、お國のお噺を、
置いて下さい、一つづつ。」

けれども、そんないたづらは、
それこそ暇なときのこと、
いちばん大事なお仕事は、
お噺にある寶をみんな、
「むかし」の國へはこんでしまふ、
わるいお船をみつけることよ。

そしてその船みつけたら、
とても上手に戰つて、
寶残らず取りかへし、
かくれ外套マントや、魔法の洋燈ランプ
歌をうたふ本、七里靴…………。
お船いつぱい積み込んで、
青い帆いつぱい風うけて、
青い靜かな海の上、
とほく走つて行きたいの。

もしもほんとに男の子なら、
私、ほんとにゆきたいの。


  おとむらひの日

金子 みすゞ

お花や旗でかざられた
よそのとむらひ見るたびに
うちにもあればいいのにと
こなひだまでは思つてた。
だけども、けふはつまならない
人は多ぜいゐるけれど
たれも對手にならないし
都から來た叔母さまは
だまつて涙をためてるし
たれも叱りはしないけど
なんだか私は怖かつた。
お店で小さくなつてたら
家から雲が湧くやうに
長い行列出て行つた。
あとは、なほさらさびしいな。
ほんとにけふは、つまらない。


  生ひ立ちの歌

中原 中也

  T

 幼年時

私の上に降る雪は
真綿のやうでありました

 少年時

私の上に降る雪は
霙のやうでありました

 十七‐十九

私の上に降る雪は
あられのやうに散りました

 二十‐二十二

私の上に降る雪は
ひようであるかと思はれた

 二十三

私の上に降る雪は
ひどい吹雪とみえました

 二十四

私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……

  U

私の上に降る雪は
花びらのやうに降つてきます
薪の燃える音もして
凍るみ空の黝くろむ頃

私の上に降る雪は
いとなびよかになつかしく
手を差伸べて降りました

私の上に降る雪は
熱い額に落ちもくる
涙のやうでありました

私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生したいと祈りました

私の上に降る雪は
いと貞節でありました


  玩具のない子が

金子 みすゞ

玩具のない子がさみしけりや、
玩具をやつたらなほるでせう。

母さんない子がかなしけりや
母さんをあげたら嬉しいでせう。

母さんはやさしく髪を撫で、
玩具は箱からこぼれてて、

それで私のさみしいは、
何を貰うたらなほるでせう。


  垓下歌

 力抜山兮気蓋世
 時不利兮騅不逝
 騅不逝兮可奈何
 虞兮虞兮奈若何

   項羽

 力 山を抜き 気 世を蓋う
 時 利あらず 騅 逝かず
 騅の逝かざる奈何すべき
 虞や虞や 若を奈何せん


  返 歌

 漢兵已略池
 四方楚歌声
 大王意気尽
 賤妾何聊生

   虞美人

 漢兵 已に地を略し
 四方 楚歌の声
 大王 意気尽く
 賤妾 何ぞ生に聊やすんぜん

  蛙の死

萩原 朔太郎

蛙が殺された、
子供がまるくなつて手をあげた、
みんないつしよに、
かわゆらしい、
血だらけの手をあげた、
月が出た、
丘の上に人が立つてゐる。
帽子の下に顔がある。


登岳陽楼

昔聞洞庭水
今上岳陽楼
呉楚東南斥
乾坤日夜浮
親朋無一字
老病有孤舟
戎馬関山北
憑軒涕泗流

 杜甫

昔聞く 洞庭の水
今上る 岳陽楼
呉楚 東南に斥
乾坤 日夜に浮かぶ
親朋 一字無く
老病 孤舟有り
戎馬 関山の北
軒に憑れば涕泗ていし流る

  河 口

丸山 薫

船が錨をおろす。
船乗りの心も錨をおろす。

鴎が淡水まみずから、軋る帆索ほづなに挨拶する。
魚がビルジの孔あなに寄つてくる。

船長は潮風に染まつた服を着換へて上陸する。
夜がきても街から帰らなくなる。
もう船腹に牡蠣殻がいくつふえたらう?

夕暮が濃くなるたびに
息子の水夫がひとりで舳へさきに青いランプを灯す。


  悲しい月夜

萩原 朔太郎

ぬすつと犬めが、くさつた波止場月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと、陰気くさい声をして、
黄いろい娘たちが合唱してゐる、

合唱してゐる、波止場のくらい石垣で。

いつも、なぜおれはこれなんだ、
犬よ、青白いふしあはせの犬よ。


  硝 子

金子 みすゞ

思ひ出すのは雪の日に
落ちて砕けた窓硝子

あとで、あとでと思つてて
ひろはなかつた窓がらす

びつこの犬をみるたびに
もしやあの日の窓下を
とほりやせぬかと思つては

忘れられない、雪の日の
雪にひかつた窓がらす


  落葉松 一

北原 白秋

からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆはさびしかりけり。


  監獄裏の林

萩原 朔太郎

監獄裏の林に入れば
てん鳥高きにしば鳴けり。
いかんぞ我れの思ふこと
ひとり叛そむきて歩める道を
寂しき友にも告げざらんや。
河原に冬の枯草もえ
重たき石を運ぶ囚人等
みな憎さげに我を見て過ぎ行けり。
暗鬱なる思想かな
われの破れたる服を裂きすて
獣類けもののごとくに悲しまむ。
ああ季節に遅く
上州の空の烈風に寒きは何ぞや。
まばらに残る林の中に
看守の居て
剣柄の低く鳴るを聴けり。


  帰 郷

中原 中也

柱も庭も乾いてゐる
今日は好い天気だ
縁の下では蜘蛛巣が
心細さうに揺れてゐる

山では枯木も意気を吐く
あゝ今日は好い天気だ
路傍みちばたの草影が
あどけない愁かなしみをする

これが私の郷里ふるさと
さやかに風も吹いてゐる
心置なく泣かれよと
年増婦としまの低い声もする

あゝ おまへはなにをして来たのだと・・・・・・
吹き来る風が私に云ふ


帰去来兮辞

帰去来兮
田園将蕪胡不帰
既自以心為形役
奚惆悵而独悲
悟已往之不諫
知来者之可追
実迷途其未遠
覚今是而昨非
舟遥遥以軽易
風飄飄而吹衣
問征夫以前路
恨晨光之熹微

乃瞻衡宇
載欣載奔
僮僕歓迎
稚子候門
三逕就荒
松菊猶存
携幼入室
有酒盈尊
引壺觴以自酌
眄庭柯以怡顔
倚南窓以寄傲
審容膝之易安
園日渉以成趣
門雖設而常関
策扶老以流憩
時矯首而遐観
雲無心以出岫
鳥倦飛而知還
景翳翳以将入
撫孤松而盤桓

帰去来兮
請息交以絶游
世与我而相違
復駕言兮焉求
悦親戚之情話
楽琴書以消憂
農人告余以春及
将有事於西疇
或命巾車
或棹孤舟
既窈窕以尋壑
亦崎嶇而経丘
木欣欣以向栄
泉涓涓而始流
善万物之得時
感吾生之行休

已矣乎
寓形宇内復幾時
曷不委心任去留
胡為乎遑遑欲何之
富貴非吾願
帝郷不可期
懐良辰以孤往
或植杖而耘耒子
登東皐以舒嘯
臨清流而賦詩
聊乗化以帰尽
楽夫天命復奚疑

  陶潜

帰りなんいざ
田園将に蕪れんとす 胡ぞ帰らざる
既に自ら心を以て形の役と為す
奚ぞ惆悵として独り悲しまん
已往の諫められざるを悟り
来者の追うべきを知る
実の途に迷うこと其れ未だ遠からず
今の是にして昨の非なるを覚る
舟は遥遥として以て軽く易あが
風は飄飄として衣を吹く
征夫に問うに前路を以てし
晨光の熹微なるを恨む

乃ち衡宇を瞻
載ち欣び載ち奔る
僮僕 歓び迎え
稚子 門に候つ
三逕 荒に就けども
松菊 猶お存す
幼を携えて室に入れば
酒有りて尊に盈てり
壺觴を引きて以て自ら酌み
庭柯を眄りみて以て顔を怡ばす
南窓に倚りて以て傲を寄せ
膝を容るるの安んじ易きを審かにす
園は日に渉って以て趣を成し
門は設くと雖も常に関せり
策もて老いを扶けて以て留憩し
時に首を矯げて遐観す
雲は無心にして以て岫を出で
鳥は飛ぶに倦みて還るを知る
景はかり翳翳として以て将に入らんとし
孤松を撫して盤桓す

帰りなんいざ
請う 交わりを息めて以て游を絶たん
世と我と相違う
復た駕して言に焉を求めん
親戚の情話を悦び
琴書を楽しみて以て憂いを消さん
農人 余に告ぐるに春の及べるを以てし
将に西疇に事有らんとす
或いは巾車を命じ
或いは孤舟に棹さす
既に窈窕として以て壑を尋ね
亦崎嶇として丘を経
木は欣欣として以て栄に向かい
泉は涓涓として始めて流る
万物の時を得たるを善し
吾が生の行きゆく休するを感ず

已んぬるかな
形を宇内に寓する 復た幾時ぞ
なんぞ心を委ねて去留を任せざる
胡為れぞ遑遑として何くに之かんと欲する
富貴は吾が願いに非ず
帝郷は期すべからず
良辰を懐いて以て孤り往き
或いは杖を植てて耘耒子うんし
東皐に登りて以て舒嘯し
清流に臨みて以て詩を賦す
聊か化に乗じて以て尽くるに帰し
夫の天命を楽しみて復た奚をか疑わん

  北の海

中原 中也

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、あれは、波ばかり。

曇つた北海の空の下、
浪はところどころ歯をむいて、
空を呪つてゐるのです。
いつはてるとも知れない呪。

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、あれは、浪ばかり。


  昨日いらしつて下さい

室生 犀星

きのふ いらしつてください。
きのふの今ごろいらしつてください。
そして、昨日の顔にお逢ひください。
わたくしは何時も昨日の中にゐますから。
きのふのいまごろなら、
あなたは何でもお出来になつた筈です。
けれども行停ゆきどまりになつたけふも
あすもあさつても
あなたにはもう何も用意してはございません。
どうぞ きのふに逆戻りしてください。
きのふいらしつてください。
昨日へのみちはご存じの筈です。
昨日の中でどうどう廻りなさいませ。
その突き当たりに立つてゐてください。
威張れるものなら威張つて立つてください。


   君死にたなふことなかれ

与謝野 晶子

旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて

あゝをとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ、
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。

君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獣の道に死ねよとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思されむ。

君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守り、
安しと聞ける大御代も
母のしら髪はまさりぬる。

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を、
君わするるや、思へるや、
十月も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。


  曲馬の小屋

金子 みすゞ

楽隊の音にうかうかと、
小屋のまへまで來は來たが、

灯がちらちら御飯どき、
母さんお家で待つてゐよう。

テントの隙にちらと見た、
弟に似たよな曲馬の子、
なぜか戀しい、なつかしい。

町の子供はいそいそと、
母さんに連れられて、はいつてく。

柵にすがつてしみじみと、
母さんおもへど、かへられぬ。


 移 居

春秋多佳日
登高賦新詩
過門更相呼
有酒斟酌之
農務各自帰
間暇輒相思
相思則披衣
言笑無厭時
此理将不勝
無為忽去茲
衣食当須紀
力耕不吾欺

  陶潜

春秋佳日多く
高きに登りて新詩を賦す
門を過ぐれば更こもごも相呼び
有らば之れを斟酌す
農務には各自帰り
間暇には輒すなわち相思う
相思えば則ち衣を披ひら
言笑げんしょうく時無し
此の理 将た勝らざらんや
忽ち茲を去るを為す無かれ
衣食当まさに須らく紀おさむべし
力耕吾を欺かず

 偶 成

少年易老学難成
一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢
階前梧葉已秋声

  朱熹

少年老い易く 学成り難し
一寸の光陰 軽んずべからず
未だ覚めず 千塘春草の夢
階前の梧葉 已に秋声

  艸千里浜くさせんりはま

三好 達治

われ嘗てこの国を旅せしことあり
昧爽あけがたのこの山上に われ嘗て立ちしことあり
肥の国の大阿蘇の山
裾野には青艸しげり
尾上には煙なびかふ 山の姿は
そのかみの日にもかはらず
環なす外輪山そとがきやま
今日もかも
思出の藍にかげろふ
うつつなき眺めなるかな
しかはあれ
若き日のわれの希望のぞみ
二十年はたとせの月日と 友と
われをおきていづちゆきけむ
そのかみの思はれ人と
ゆく春のこの曇り日や
われひとり齢よはひかたむき
はるばると旅をまた来つ
杖により四方をし眺む
肥の国の大阿蘇の山
駒あそぶ高原たかはらの牧まき
名もかなし艸千里浜


  草に寝て……

立原 道造

六月の或る日曜日に

それは 花にへりどられた 高原の
林のなかの草地であった 小鳥らの
たのしい唄をくりかへす 美しい声が
まどろんだ耳のそばに きこえてゐた

私たちは 山のあちらに
青く 光つてゐる空を
淡く ながれてゆく雲を
ながめてゐた 言葉すくなく

――しあはせは どこにある?
山のあちらの あの青い空に そして
その下の ちひさな 見知らない村に

私たちの 心は あたたかだつた
山は 優しく 陽にてらされてゐた
希望と夢と 小鳥と花と 私たちだつた


  草 枕

島崎 藤村

夕波くらく啼く千鳥
われは千鳥にあらねども
心の羽をうちふりて
さみしきかたを飛べるかな

若き心の一筋に
なぐさめもなくなげきわび
胸の氷とむすぼれて
とけて涙となりにけり

蘆葉を洗ふ白波の
流れて巖を出づるごと
思ひあまりて草枕
まくらのかずの今いくつ

かなしいかなや人の身の
なきなぐさめを尋ね侘び
道なき森に分け入りて
などなき道をもとむらん

われもそれかやうれひかや
野末に山に谷蔭に
見るよしもなき朝夕の
光もなくて秋暮れぬ

想も薄く身も暗く
残れる秋の花を見て
行へもしらず流れ行く
水に涙の落つるかな

身を朝雲にたとふれば
ゆふべの雲の雨となり
身を夕雨にたとふれば
あしたの雨の風となる

されば落葉と身をなして
風に吹かれて飄り
朝の黄雲にともなはれ
夜白河を越えてけり

道なき今の身なればか
われは道なき野を慕ひ
宮城野にまで迷ひきぬ

心の宿の宮城野よ
乱れて熱き吾身には
日影も薄く草枯れて
荒れたる野こそうれしけれ

ひとりさみしき吾耳は
吹く北風を琴と聴き
悲しみ深き吾目には
色彩いろなき石も花と見き

あゝ孤独ひとりみの悲痛かなしみ
味ひ知れる人ならで
誰にかたらん冬の日の
かくもわびしき野のけしき

都のかたをながむれば
空冬雲に覆はれて
身にふりかゝる玉霰らまあられ
袖の氷と閉ぢあへり

みぞれまじりの風勁つよ
小川の水の薄氷
氷のしたに音するは
流れて海に行く水か

啼いて羽風もたのもしく
雲に隠るゝかさゝぎよ
光もうすき寒空の
なれも荒れたる野にむせぶ

涙も凍る冬の日の
光もなくて暮れ行けば
人めも草も枯れはてゝ
ひとりさまよふ吾身かな

かなしや酔ふて行く人の
踏めばくづるゝ霜柱
なにを酔ひ泣く忍び音に
声もあはれのその歌は

うれしや物の音を弾きて
野末をかよふ人の子よ
声調しらべひく手も凍りはて
なに門づけの身の果てぞ

やさしや年もうら若く
まだ初恋のまじりなく
手に手をとりて行く人よ
なにを隠るゝその姿

野のさみしさに絶へかねて
霜と霜との枯草の
道なき道をふみわけて
きたれば寒し冬の海

朝は海辺の石の上
こしうちかけてふるさとの
都のかたを望めども
おとなふものは濤なみばかり

暮れはさみしき荒磯の
潮を染めし砂に伏し
日の入るかたをながむれど
湧きくるものは涙のみ

さみしいかなや荒波の
岩に砕けて散れるとき
かなしいかなや冬の日の
潮とともに帰るとき

誰か波路を望み見て
そのふるさとを慕はざる
誰か潮の行くを見て
この人の世を惜しまざる

暦もあらぬ荒磯の
砂路にひとりさまよへば
みぞれまじりの雨雲の
落ちて潮となりにけり

遠く湧きくる海の音
慣れてさみしき吾耳に
怪しやもるゝものの音は
まだうら若き野路の鳥

嗚呼めづらしのしらべぞと
声のゆくへをたづぬれば
緑の羽もまだ弱き
それも初音か鶯の

春きにけらし春よ春
まだ白雪の積もれども
若菜の萌えて色青き
こゝちこそすれ砂の上に

春きにけらし春よ春
うれしや風に送られて
きたるらしとや思へばか
梅が香ぞする海の辺

磯辺に高き大巌の
うへにのぼりてながむれば
春やきぬらん東雲の
潮の音遠き朝ぼらけ


  鯨捕り

金子 みすゞ

海の鳴る夜は冬の夜は、
栗を焼き焼き聽きました。

むかし、むかしの鯨捕り、
ここのこの海、紫津が浦。

海は荒海、時季ときは冬、
風に狂ふは雪の花、
雪と飛び交ふ銛の縄。

岩も礫こいしもむらさきの、
常は水さへ染むといふ。

厚いどてらの重ね着で、
舟の舳みよしに見て立つて、
鯨弱ればたちまちに、
ぱつと脱ぎすて素つ裸、
さかまく波にをどり込む、
むかし、むかしの漁夫りょうしたち――
きいてる胸も
をどります。

いまは鯨はもう寄らぬ、
浦は貧乏になりました。

海は鳴ります。
冬の夜を、おはなしすむと、
氣がつくと――


  鯨法會

金子 みすゞ

鯨法會は春のくれ、
海に飛魚採れるころ。

濱のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたるとき、

村の漁夫が羽織り着て、
濱のお寺へいそぐとき、

沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、

死んだ父さま、母さまを、
こひし、こひしと泣いてます。

海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。


  ぐりまの死

草野 心平

ぐりまは子供に釣られてたたきつけられて死んだ
取りのこされたるりだは
菫の花をとつて
ぐりまの口にさした

半日もそばにゐたので苦しくなつて水に這入つった
顔を泥にうづめてゐると
くわんらくの声々が腹にしびれる
泪が噴上げのやうに喉にこたへる

菫をくはえたまんま
菫もぐりまも
カンカン夏の陽にひからびていつた


  けがした指

金子 みすゞ

白い繃帯してゐたら、
見てもいたうて、泣きました。

あねさまあの帯借りて、
紅い鹿の子ででむすんだら
指はかはいいお人形。

爪にお顔を描いてたら、
いつか、痛いのわすれてた。


月下独酌

花間一壺酒
独酌無相親
挙杯邀明月
対影成三人
月既不解飲
影徒随我身
暫伴月將影
行楽須及春
我歌月徘徊
我舞影凌乱
醒時同交歓
酔後各分散
永結無情遊
相期遙雲漢

 李白

花間一壺の酒
独り酌んで相親しむ無し
杯を挙げて明月を邀え
影に対して三人と成る
月 既に飲を解せず
影 徒に我が身に随う
暫く月と影とを伴いて
行楽 須らく春に及ぶべし
我歌えば 月 徘徊し
我舞えば 影 凌乱す
醒時は同に交歓し
酔後は各おの分散す
永く無情の遊を結び
相期して雲漢 遙なり

送元二使安西

渭城朝雨潤軽塵
客舎青青柳色新
勧君更尽一杯酒
西出陽関無故人

  王維

渭城の朝雨軽塵を潤し
かく舎青青柳色新なり
君に勧む更に尽くせ一杯の酒
西のかた陽関を出づれば故人無からん

  公園の椅子

『純情小曲集』 萩原 朔太郎

人気なき公園の椅子にもたれて
われの思ふことはけふもまた烈しきなり。
いかなれば故郷のひとのわれに辛く
かなしきすももの核たねを噛まむとするぞ。
遠き越後の山に雪の光て
麦もまたひとの怒りにふるへをののくか。
われを嘲りわらふ声は野山にみち
苦しみの叫びは心臓を破裂せり。
かくばかり
つれなきものへの執着をされ。
ああ生れたる故郷の土を蹈み去れよ。
われは指にするどく研げるナイフをもち
葉桜のころ
さびしき椅子に「復讐」の文字を刻みたり。


  荒城の月

土井 晩翠

春高楼の花の宴
めぐる盃影さして
千代の松が枝わけ出でし
むかしの光いまいづこ。

秋陣営の霜の色
鳴き行く雁の数見せて
植うるつるぎに照りそひし
むかしの光いまいづこ。

いま荒城のよはの月
変わらぬ光たがためぞ
垣に残るはただかつら、
松に歌ふはただあらし。

天上影は変らねど
栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなほ
あゝ荒城の夜半の月。


 江 雪

千山鳥飛絶
万径人蹤滅
孤舟蓑笠翁
独釣寒江雪

  柳宗元

千山 鳥 飛ぶこと絶え
万径 人蹤滅す
孤舟 蓑笠の翁
独り釣る 寒江の雪

  高 楼

『若菜集』 島崎 藤村

わかれゆくひとををしむとこよひより
     とほきゆめちにわれやまとはん

  妹

とほきわかれに たへかねて
 このたかどのに のぼるかな

かなしむなかれ わがあねよ
 たびのころもを とゝのへよ

  姉

わかれといへば むかしより
 このひとのよの つねなるを

ながるゝみづを ながむれば
 ゆめはづかしき なみだかな

  妹

したへるひとの もとにゆく
 きみのうへこそ たのしけれ

ふみやまこえて きみゆかば
 なにをひかりの わがみぞや

  姉

あゝはなとりの いろにつけ
 ねにつけわれを おもへかし

けふわかれては いつかまた
 あひみるまでの いのちかも

  妹

きみがさやけき めのいろも
 きみくれなゐの くちびるも

きみがみどりの くろかみも
 またいつかみん このわかれ

  姉

なれがやさしき なぐさめも
 なれがたのしき うたごゑも

なれがこゝろの ことのねも
 またいつきかん このわかれ

  妹

きみのゆくべき やまかはは
 おつるなみだに みえわかず

そでのしぐれの ふゆのひに
 きみにおくらん じゃなもがな

  姉

そでにおほへる うるはしき
 ながかほばせを あげよかし

ながくれなゐの かほばせに
 ながるゝなみだ われはぬぐはん


  [ 午後に

立原 道造

さびしい足拍子を踏んで
山羊は しづかに 草を 食べてゐる
あの緑の食物は 私らのそれにまして
どんなにか 美しい食事だらう!

私の餓ゑは しかし あれに
たどりつくことは出来ない
私の心は もつときびしく ふるへてゐる
私のをかした あやまちと いつはりのために

おだやかな獣の瞳に うつつた
空の色を 見るがいい!

《私には 何が ある?
《私には 何が ある?

ああ さびしい足拍子を踏んで
山羊は しづかに 草を 食べてゐる


  こころ

金子 みすゞ

お母さまは大人で大きいけれど。
お母さまのおこころはちひさい。

だって、お母さまはいひました、
ちひさい私でいつぱいだつて。

私は子供でちひさひけれど
ちひさい私のこころは大きい。

さつて、大きいお母さまで、
まだいつぱいにならないで、
いろんな事をおもふから。


  心に太陽を持て

フライシュタイン 武者小路実篤

心に太陽を持て。
あらしが ふこうと、
ふゞきが こようと、
天には黒くも、
地には争いが絶えなかろうと、
いつも、心に太陽をもて。

くちびるに歌を持て、
軽く、ほがらかに。
自分のつとめ、
自分のくらしに、
よしや苦労が絶えなかろうと、
いつも、くちびるに歌を持て。

苦しんでいる人、
なやんでいる人には、
こう、はげましてやろう。
「勇気を失うな。
 くちびるに歌を持て。
 心に太陽を持て。」


  湖 水

三好 達治

この湖水で人が死んだのだ
それであんなにたくさん舟が出てゐるのだ

葦と藻草の どこに死骸はかくれてしまつたのか
それを見出した合図の笛はまだ鳴らない

風が吹いて 水を切る櫓の音櫂の音
風が吹いて 草の根や蟹の匂ひがする

ああ誰かがそれを知つてゐるのか
この湖水で夜明けに人が死んだのだと

誰かがほんとに知つてゐるのか
もうこんなに夜が来てしまつたのに


  こだまでせうか

金子 みすゞ

「遊ぼう」つていふと「遊ぼう」つていふ。
「馬鹿」つていふと「馬鹿」つていふ。
「もう遊ばない」つていふと「遊ばない」つていふ。
 さうして、あとでさみしくなつて、
「ごめんね」つていふと「ごめんね」つていふ。
 こだまでせうか、いいえ、誰でも。


  小諸なる古城のほとり

島崎 藤村

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なす繁縷は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡辺
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色じはつかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む


  サーカス

中原 中也

幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
冬は疾風ふきました

幾時代かがありまして
今夜此処での一と殷盛さか
今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁はり
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒さかさに手を垂れて
汚れ木綿の屋蓋やねのもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
安値やすいリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
咽喉のどが鳴ります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外は真ツ闇くら 闇の闇
夜は劫々こふこふと更けまする
落下傘奴のノスタルヂアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん


  雑 草

『山芋』 大関 松三郎

おれは雑草になりたくないな
だれからもきらわれ
芽をだしても すぐひっこぬかれれてしまう
やっと なっぱのかげにかくれて 大きくなったと思っても
ちょこっと こっそり咲かせた花がみつかれば
すぐ「こいつめ」と ひっこぬかれてしまう
だれからもきらわれ
だれからもにくまれ
たいひの山につみこまれて くさっていく
おれは こんな雑草になりたくないな
しかし どこから種がとんでくるんか
取っても 取っても
よくもまあ たえないものだ
かわいがられている野菜なんかより
よっぽど丈夫な根っこをはって生えてくる雑草
強い雑草
強くて にくまれもんの雑草


  さびしいとき

金子 みすゞ

私がさびしいときに、
よその人は知らないの。

私がさびしいときに、
お友だちは笑ふの。

私がさびしいときに、
お母さんはやさしいの。

私がさびしいときに、
佛さまはさびしいの。


  V さびしき野辺

立原 道造

いま だれかが 私に
花の名を ささやいて行つた
私の耳に 風が それを告げた
追憶の日のやうに

いま だれかが しづかに
身をおこす 私のそばに
もつれ飛ぶ ちひさい蝶らに
手をさしのべるやうに

ああ しかし と
なぜ私は いふのだらう
そのひとは だれでもいい と

いま だれかが とほく
私の名を 呼んでゐる……ああ しかし
私は答へない おまへ だれでもないひとに


  さみしい王女

金子 みすゞ

つよい王子にすくはれて、
城へかへつた、おひめさま。

城はむかしの城だけど、
薔薇もかはらず咲くけれど、

なぜかさみしいおひめさま、
けふもお空を眺めてた。

魔法つかひはこはいけど、
あのはてしないあを空を、
白くかがやく翅はねのべて、
はるかに遠く旅してた、
小鳥のころがなつかしい。

街の上には花が飛び、
城に宴はまだつづく。
それもさみしいおひめさま、
ひとり日暮の花園で、
眞紅な薔薇は見も向かず、
お空ばかりを眺めてた。


  T 爽やかな五月に

立原 道造

月の光のこぼれるやうに おまへの頬に
溢れた 涙の大きな粒が すぢを曳いたとて
私は どうして それをささへよう!
おまへは 私を だまらせた……

《星よ おまへはかがやかしい
《花よ おまへは美しかつた
《小鳥よ おまへは優しかつた
……私は語つた おまへの耳に 幾たびも

だが たつた一度も 言ひはしなかつた
《私は おまへを 愛してゐる と
《おまへは 私を 愛してゐるか と

はじめての薔薇が ひらくやうに
泣きやめた おまへの頬に 笑ひがうかんだとて
私の心を どこにおかう?


 山 行

遠上寒山石径斜
白雲生処有人家
停車坐愛楓林晩
霜葉紅於二月花

  杜牧

遠く寒山に上れば石径ななめなり
白雲生ずる処人家有り
車を停めて坐そぞろに愛す 楓林の晩くれ
霜葉は二月の花よりも紅なり

 山中問答

問余何意棲碧山
笑而不答心自閑
桃花流水穴然去
別有天地非人間

  李白

余に問う 何の意ありてか碧山に棲むかと
笑って答えず 心 自おのずから閑なり
桃花 流水 穴然ようぜんとして去る
別に天地の人間じんかんに非あらざる有り

  秋刀魚の歌

佐藤 春夫

あはれ秋風よ
情あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
思ひにふける と

さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

あはれ秋風よ
汝こそは見つらめ
世の常ならぬかの団欒を。
いかに秋風よ
いとせめて
証せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

あはれ秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま、
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。


  子規 絶筆 三句

正岡 子規

糸瓜咲いて 痰のつまりし仏かな

痰一斗糸 瓜の水も間に合はず

をとゝひの へちまの水も取らざりき


  思想は一つの意匠であるか

萩原 朔太郎

鬱蒼としげつた森林の樹木のかげで
ひとつの思想を歩ませながら
私は蒼明の自然を感じた
どんな瞑想もいきいきとさせ
どんな涅槃にも溶け入るやうな
そんな美しい月夜をみた。

「思想は一つの意匠であるか」
私は月影を踏み行きながら
かれのやさしい心にたづねた。


  死にたまふ母

斎藤 茂吉

ひろき葉は樹にひるがへり光りつつ かくろひにつつしづ心なけれ

みちのくの母のいのちを一目見ん 一目見んとぞたさにいそげる

ははが目を一目見んと急ぎたる わが額ぬかのへに汗いでにけり

ともしあかき都をいでてゆく姿 かりそめの旅と人見るらんか

死に近き母に添寝のしんしんと 遠田のかはず天に聞ゆる

桑の香の青くただよふ朝明に 堪へがたければ母呼びにけり

我が母よ死にたまひゆく我が母よ 我を生まし乳足ちたらひし母よ

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて 垂乳根の母は死にたまふなり

ひとり来て蚕のへやに立ちたれば 我が寂しさは極まりにけり

わが母を焼かねばならぬ火を持てり 天つ空には見るものもなし

星のゐる夜ぞらのもとに赤赤と ははそはの母燃えゆきにけり

はふり火を守りこよひは更けにけり 今夜こよひの天のいつくしきかも

山ゆゑに笹竹の子を食ひにけり ははそはの母よそはその母よ


  邪宗門秘曲

北原 白秋

われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。
黒船の加比丹かひたんを、紅毛の不可思議国を、
色赤きびいどろを、匂鋭にほひときあんじやべいいる、
南蛮の桟留縞さんとめじまを、はた、阿刺吉あらき、珍它ちんたの酒を。

目見まみ青きドミニカびとは陀羅尼誦し夢にも語る、
禁制の宗門神を、あるはまた、血に染む聖架くるす
芥子粒を林檎のごとく見すといふ欺罔けれんの器うつは
波羅葦僧はらいその空をも覗く伸び縮む奇なる眼鏡を。

いえはまた石もて造り、大理石なめいしの白き血潮は、
ぎやまんの壺に盛られて夜となれば火点ともるといふ。
かの美しき越歴機えれきの夢は天鵞絨の薫くゆりにまじり、
めづらなる月の世界の鳥獣とりけもの映像うつすと聞けり。

あるは聞く、化粧けはひの料しろは毒草の花よりしぼり、
腐れたる石の油に画ゑがくてふ麻利耶まりやの像よ、
はた羅甸らてん、波爾杜瓦爾ぽるとがるらの横つづり青なる仮名は
美しき、さいへ悲しき歓楽の音にかも満つる。

いざさらばわれに賜へ、幻惑の伴天連尊者、
百年ももとせを刹那に縮め、血の磔脊はりきせに死すとも
惜しからじ、願ふは極秘、かの奇しき紅の夢、
善主麿ぜんすまろ、今日を祈に身も霊たまも薫くゆりこがるる。


  車窓にて

西条 八十

疎開地より大学へ通勤す

大利根の水いくそたび越えなば、
戦火熄むべきか。
教子あまた便絶えし南の空に舞ふ雲雀。


子夜呉歌

長安一片月
万戸擣衣声
秋風吹不尽
総是玉関情
何日平胡虜
良人罷遠征

  李白

長安 一片の月
万戸 衣を擣つの声
秋風 吹いて尽きず
総て是れ玉関の情
何れの日にか胡虜を平らげて
良人 遠征を罷めん

  十三夜

金子 みすゞ

今朝がた通つたとほり雨、
霰がまじつて居りました。

きのふから
急につめたい風吹いて、
母さま障子を貼りました。

いまは雲さへ見えないで、
冷たく冴えた十三夜。

このくさむらでなく蟲が、
きふにすくなくなりました。


  樹下の二人

高村 光太郎

――みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ――

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりとねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。

あなたは不思議な仙丹を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉へがたい
妙に変幻するものですね。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生まれたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。


  宿 酔

中原 中也

朝、鈍い日が照つてて
風がある。
千の天使が
バスケットボールする。

私は目をつむる、
かなしい酔ひだ。
もう不用になつたストーヴが
白つぽく銹びてゐる。

朝、鈍い日が照つてて
風がある。
千の天使が
バスケットボールする。


  \ 樹木の影に

立原 道造

日々のなかでは
あはれに 目立たなかつた
あの言葉 いま それは
大きくなつた!

おまへの裡うち
僕のなかに 育つたのだ
……外に光が充ち溢れてゐるが
それにもまして かがやいてゐる

いま 僕たちは憩ふ
ふたりして持つ この深い耳に
意味ふかく 風はささやいて過ぎる

泉の上に ちひさい彼らは
ふるへてやまない……僕たちの
手にとらへられた 光のために


  春 殖

草野 心平

るるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる


 春 望

国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別驚驚心
烽火連三月
家書抵万金
白頭掻更短
渾欲不勝簪

  杜甫

国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火 三月げつに連なり
家書 万金に抵る
白頭掻けば更に短く
べて簪に勝えざらんと欲す

  巡 禮

金子 みすゞ

菜種の花の咲いたころ、
濱街道で行きあつた
巡禮の子はなぜ來ない。

私はわるいことしたの、
あのとき、お金は持つてたの
あねさま三つも買へるほど。

そのあねさま買はないで、
思ひ出しては待つてるに、

秋のひよりの街道には、
やんまとんぼのかげばかり。


  序

峠 三吉

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせこどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわをへいわをかえせ


  小景異情 その一

室生 犀星

白魚はさびしや
そのくろき瞳はなんといふ
なんといふしをらしさぞよ
そとにひる餉をしたたむる
わがよそよそしさと
かなしさと
ききともなきや雀しばし啼くけり


  小景異情 その二

室生 犀星

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや


  小景異情 その三

室生 犀星

銀の時計をうしなへる
こころかなしや
ちよろちよろ川の橋の上
橋にもたれて泣いてをり


  小景異情 その四

室生 犀星

わが霊のなかより
緑もえいで
なにごとしなけれど
懺悔の涙せきあぐる
しづかに土を掘りいでて
ざんげの涙せきあぐる


  小景異情 その五

室生 犀星

なににこがれて書くうたぞ
一時にひらくうめすもも
すももの蒼さ身にあびて
田舎暮しのやすらかさ
けふも母ぢやに叱られて
すもものしたに身をよせぬ


  小景異情 その六

室生 犀星

あんずよ花着け
地ぞ早やに輝やけ
あんずよ花着け
あんずよ燃えよ
ああ あんずよ花着け


  正 午

中原 中也

丸ビル風景

あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取りの午休み、ぶらりぶらりと手を振って
あとからあとから、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひょんな眼付で見上げても、眼を落としても・・・・・
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな


  小譚死詩

立原 道造

一人はあかりをつけることが出来た
そのそばで 本を読むのは別の人だつた
しづかな部屋だから 低い声が
それが隅の方にまで よく聞えた(みんな聞いてゐた)

一人はあかりを消すことが出来た
そのそばで 眠るのは別の人だつ
糸紡ぎの女が子守の唄をうたつてきかせた
それが窓の外にまで よく聞えた(みんな聞いてゐた)

幾夜も幾夜も同じやうに過ぎて行つた……
風が叫んで 塔の上で 雄鳥おんどりが知らせた
――兵士ジャックは旗をもて 驢馬は鈴を鳴らせ!

それから 朝が来た ほんたうの朝が来た
また夜が来た また あたらしい朝が来た
その部屋は からつぽに のこされたままだつた


  少年の日

佐藤 春夫

  一

野ゆき山ゆき海辺ゆき
真ひるの丘べ花を敷き
つぶら瞳の君ゆゑに
うれひは青し空よりも。

  二

影おほき林をたどり
夢ふかきみ瞳を恋ひ
あたたかき真昼の丘べ
花を敷き、あはれ若き日。

  三

君が瞳はつぶらにて
君が心は知りがたし。
君をはなれて唯ひとり
月夜の海に石を投ぐ。

  四

君は夜な夜な毛糸編む
銀の編み棒に編む糸は
かぐろなる糸あかき糸
そのラムプ敷き誰がものぞ。


  女王さま

金子 みすゞ

わたしが女王さまならば
國中のお菓子屋呼びあつめ、
お菓子の塔をつくらせて、
そのてつぺんに椅子据ゑて、
壁をむしつて喰べながら、
いろんなお布令ふれを書きませう。

いちばん先に書くことは、
「私の國に棲むものは
子供ひとりにお留守番を
させとくことはなりません。」

そしたら、今日の私のやうに
さびしい子供はゐないでせう。

それから、つぎに書くことは、
「私の國に棲むものは
私の毬より大きな毬を
誰も持つこと出来ません。」

そしたら私も大きな毬が
欲しくなくなることでせう。


  初 夏

立原 道造

街の地平線に 灰色の雲が ある
私の まはりに 傷つきやすい
何かしら疲れた世界が ただよつて
ゐる 明るく 陽ざしが憩んでゐる

そして 一本のポプラの木が
白い壁のまへで 身もだえしてゐる
ああ 西風が吹いてゐる きらきらと
ういすい陽ざしがちらついてゐる

しかし 屋根ばつかりの 街の
地平線に 灰色の雲が ふえてゆく

私を 生んだ 私の母の ちひさい顔を
私は 不意に おもひ出す

ああ 陽ざしがかくれる かげが
しづかにひろがる 風がやはり吹いてゐる


  蜀 相

丞相祠堂何処尋
錦官城外柏森森
映階碧草自春色
隔葉黄麗空好音
三顧頻繁天下計
両朝開済老臣心
出師未捷身先死
長使英雄涙満襟

  杜甫

丞相の祠堂 何れの所にか尋ねん
錦官城外 柏森森
階に映ずるの碧草 自ずから春色
葉を隔つる黄麗こうり 空しく好音
三顧頻繁なり 天下の計
両朝開済す 老臣の心
出師 未だ捷たざるに 身 先ず死し
とこしえに英雄をして 涙 襟に満たしむ

  序の歌

立原 道造

しずかな歌よ ゆるやかに
おまへは どこから 来て
どこへ 私を過ぎて
消えて 行く?

夕映が一日を終らせよう
と するときに――
星が 力なく 空にみち
かすかに囁きはじめるときに

そして 高まつて むせび泣く
絃のやうに おまへ 優しい歌よ
私のうちの どこに 住む?

それをどうして おまへのうちに
私は かへさう 夜ふかく
明るい闇の みちるときに?


  白 壁

島崎 藤村

たれかしるらん花ちかき
高楼たかどのわれはのぼりゆき
みだれて熱きくるしみを
うつしいでけり白壁に

唾にしるせし文字なれば
ひとしれずこそ乾きけれ
あゝあゝ白き白壁に
わがうれひありなみだあり


  雀のかあさん

金子 みすゞ

子供が子雀つかまへた。
その子のかあさん笑つてた。
雀のかあさんそれみてた。
お屋根で鳴かずにそれ見てた。


 静夜思

牀前看月光
疑是地上霜
挙頭望山月
低頭思故郷

  李白

牀前 月光を看る
疑うらくは是れ 地上の霜かと
頭を挙げて山月を望み
頭を低れて故郷を思う

  世界中の王様

金子 みすゞ

世界中の王様をよせて、
「お天気ですよ。」と云つてあげよう。

王様の御殿はひろいから、
どの王様も知らないだらう。
こんなお空を知らないだらう。

世界中の王様をよせて
そのまた王様になつたのよりか、
もつと、ずつと、うれしいだらう。


  夕 照

中原 中也

丘々は、胸に手を当て 退けり。
落陽は、慈愛の色の 金のいろ。

原に草、鄙唄うたひ 山に樹々、
老いてつましき心ばせ。

かゝる折しも我ありぬ
小児に踏まれし貝の肉。

かゝるをりしも剛直の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱みながら歩み去る。


 赤壁賦

壬戌之秋
七月既望
蘇子与客泛舟
遊於赤壁之下
涼風徐来
水波不興
挙酒属客
誦明月之詩
歌窈窕之章
少焉月出於東山之上
徘徊於斗牛之間
白露横江
水光接天
立一葦之所知
凌万頃之茫然
浩浩乎如馮虚御風
而不知其所止
飄々乎如遺世独立
羽化而登仙
於是飲酒楽甚
扣舷而歌之
歌曰
桂棹兮蘭楫
撃空明兮泝
渺渺兮予懐
望美人兮天一方
客有吹洞簫者
倚歌而和之
其声鳴鳴然
如怨如慕
如泣如訴
余音嫋嫋
不絶如縷
舞幽叡之潜蛟
泣孤舟之リ婦
蘇子愀然正襟
危坐而問答曰
何為其然也
客曰
月明星稀
烏鵲南飛
此非曹孟徳之詩乎
西望夏口
東望武昌
山川相繆
鬱乎蒼蒼
此非孟徳之
困於周郎者乎
方其破荊州
下江陵
順流而東也
舳艫千里
旌旗蔽空
注酒臨江
横槊賦詩
固一世之雄血也
而今安在哉
況吾与子
漁樵於江渚之上
侶魚蝦而友麋鹿
駕一葉之扁舟
挙匏尊以相属
寄蜉蝣於天地
眇滄海之一粟
哀吾生之須臾
羨長江之無窮
挟飛仙以遨遊
抱明月而長終
知不可乎驟得
託遺響於悲風
蘇子曰
客亦知夫水与月乎
逝者如斯
而未嘗往也
盈虚者如彼
而卒莫消長也
蓋将自其変者而観之
則天地曾不能以一瞬
自其不変者而観之
則物与我皆無尽也
而又何羨乎
且夫天地之間
者各有主
苟非吾之所有
雖一毫而莫取
惟江上之清風
与山間之明月
耳得之而為声
目遇之而成色
取之無禁
用之不竭
是造物者之無尽蔵也
而吾与子之所共適
客喜而笑
洗盞更酌
肴核既尽
杯盤狼藉
相与枕藉乎舟中
不知東方之既白

  蘇軾

壬戌の秋
七月既望
蘇子 客かくと舟を泛うかべて
赤壁の下に遊ぶ
清風徐おもむろに来たりて
水波すいはおこらず
酒を挙げて客に属すす
明月の詩を誦しょう
窈窕ようちょうの章を歌う
少焉しばらくにして 月 東山の上に出で
斗牛の間に徘徊す
白露 江に横たわり
水光 天に接す
一葦いちいの如く所を縦ほしいままにして
万頃ばんけいの茫然たるを凌しの
浩浩乎こうこうことして虚に馮り風に御して
其の止とどまる所を知らざる如く
飄飄乎ひょうひょうことして世を遺わすれて独り立ち
羽化して登仙とうせんするが如し
是に於て酒を飲んで楽しむこと甚だし
ふなばたを扣たたいて之れを歌う
歌に曰く
桂の棹 蘭の楫かじ
空明くうめいに撃ちて流光りゅうこうを泝さかのぼ
渺渺びょうびょうたる予が懐おも
美人を天の一方に望むと
客に洞簫どうしょうを吹く者有り
歌に倚りて之に和す
其の声鳴鳴然おおぜんとして
怨むが如く慕うが如し
泣くが如く訴えるが如し
余音嫋嫋じょうじょうとして
絶えざること縷いとの如し
幽叡ゆうがくの潜蛟せんこうを舞わしめ
孤舟のリ婦を泣かしめむ
蘇子 愀然しょうぜんとして襟っを正し、
危坐し問答して曰く
何為なんすれぞ其れ然るやと
客 曰く
月明らかに星稀に
烏鵲うじゃく 南に飛ぶとは
此れ曹孟徳の詩に非ずや
西のかた夏口かこうを望み
東のかた武昌ぶしょうを望めば
山川相繆まと
鬱乎うっことして蒼蒼たり
此れ孟徳の
周郎に困くるしめられし者ところに非らずや
其の荊州を破り
江陵を下り
流れに順いて東する方りてや
舳艫じくろ千里
旌旗せいき空を蔽おお
酒を注そそいで江に臨み
ほこを横たえて詩を賦す
まことに一世の雄なり
而るに今安いずくに在りや
況んや吾れと子と
江渚こうしょの上ほとりに漁樵ぎょしょう
魚蝦ぎょかを侶ともとして麋鹿びろくを友とし
一葉の扁舟に駕し
匏尊ほうそんを挙げて以て相属すす
蜉雄ふゆうを天地に寄す
眇たる滄海の一粟なるをや
吾が生の須臾しゆゆなるを哀しみ
長江の窮まり無きを羨む
飛仙を挟わきばさんで以て遨遊ごうゆう
明月を抱いて 長とこしえに終えんこと
にわかには得べからざるを知り
遺響いきょうを非風に託せりと
蘇子 曰く
客も亦た夫の水と月とを知れるか
逝く者は斯くの如くにして
而も未だ嘗て往かざるまり
盈虚えいきょする者は彼の如くにして
而も卒ついに消長する莫きなり
蓋し将た其の変ずる者よりして之を観れば
則ち天地も曾かつて以て一瞬たること能わず
其の変ぜざる者よりして之を観れば
則ち物と我と皆尽くる無きなり
而るを又 何をか羨まんや
且つ夫れ天地の間
物各おの主有り
いやしくも吾の有する所に非ずんば
一毫と雖も取る莫なか
だ江上の清風と
山間の明月とは
耳之れを得て声を為
目之れに遇いて色を成す
之れを取れども禁ずる無く
之れを用うれども竭きず
是れ造物者の無尽蔵なり
而して吾れと子との共に適する所となりと
客 喜びて笑い
さかずきを洗いて更に酌む
肴核こうかく既に尽きて
杯盤狼藉たり
相与ともに舟中に枕藉ちんしゃして
東方の既に白むを知らず

 絶 句

江碧鳥逾白
山青花欲燃
今春看又過
何日是帰年

  杜甫

江碧にして 鳥江碧鳥逾いよいよ白く
山青くして 花燃えんと欲す
今春 看すみす又た過ぐ
何れの日か 是れ帰年ならん

  蝉

『未刊詩篇』 中原 中也

蝉が鳴いてゐる、蝉が鳴いてゐる
蝉が鳴いてゐるほかになんにもない!
うつらうつらと僕はする
……風もある……
松林を透いて空が見える
うつらうつらと僕はする。

『いいや、さうぢゃない。さうぢゃない!』と彼が云ふ
『ちがつてゐるよ』と僕がいふ
『いいや、いいや!』と彼が云ふ
『ちがつてゐるよ』と僕が云ふ
と、目が覚める、と、彼はもうとつくに死んだ奴なんだ
それから彼の永眠してゐる、墓場のことなぞ目に浮かぶ……

それは中国のとある田舎の、水無河原といふ
雨の日のごか水のない
伝説村の川のほとり、
藪蔭の砂土帯の小さな墓場、
……そこにも蝉は鳴いてゐるだろ
チラチラ夕陽も射してゐるだろ……

蝉が鳴いてゐる、蝉が鳴いてゐる
蝉が鳴いてゐるほかなんにもない!
僕の怠惰? 僕は『怠惰』か?
僕は僕を何とも思はぬ!

蝉が鳴いてゐる、蝉が鳴いてゐる
蝉が鳴いてゐるほかなんにもない!


  蝉しぐれ

金子 みすゞ

お汽車の窓の蝉しぐれ。

ひとりの旅の夕ぐれに、
眼とぢれば眼のなかに、
金とみどりの百合が咲き、

眼ひらけば窓のそと、
名知らぬ山は夕焼けで、

すぎてまた來る蝉しぐれ。


  空に真赤な

北原 白秋

空に真赤な雲のいろ。
玻璃に真赤な酒の色。
なんでこの身が悲しかろ。
空に真赤な雲のいろ。


  大 漁

金子 みすゞ

朝焼小焼だ大漁だ
大羽鰯の大漁だ。

濱は祭りのやうだけど
海のなかでは何萬の
鰯のとむらひするだらう。


  たがいに惚れて

H・ハイネ 井上正蔵

たがいに惚れていたけれど
うちあけようとはしなかった
かえってつれないそぶりして
恋にいのちをちぢめてた

しまいに会えなくなっちまい
ただ夢にだけ出会ってた
とっくにめいめい死んじゃって
それさえてんで知らなんだ


  竹

『月に吠える』 萩原 朔太郎

ますぐなるもの地面に生え、
するどき青きもの地面に生え、
凍れる冬をつらぬきて、
そのみどり葉光る朝の空路に、
なみだたれ、
なみだをたれ、
いまはや懺悔をはれる肩の上より、
けぶれる竹の根はひろごり、
するどき青きもの地面に生え。


  竹

『月に吠える』 萩原 朔太郎

光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。

かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。


  七夕の笹

金子 みすゞ

みちを忘れた子雀が
濱でみつけた小笹藪。

五色のきれいな短冊は、
藪のまつりか、うれしいな。

かさこそもぐつた藪のなか、
すやすやねんね、そのうちに、
お宿は海へながれます。

海にしづかな日が暮れりや、
きのふのままの天の川。

やがてしらじら夜があけて、
海の真中で眼をさます、
かはい子雀、かなしかろ。


  ためいき

佐藤 春夫

  一

紀の国の五月なかばは
椎の木のくらき下かげ
うす濁るながれのほとり
野うばらの花のひとむれ
人知れず白くさくなり、
佇みてものおもふ日に
小さなるなみだもろげの
素直なる花をし見れば
恋人のためいきを聞くここちするかな。

  二

柳の芽はやはらかく吐息して
丈高く若き梧桐はうれひたり
杉は暗くして消しがたき憂愁うれひを秘め
椿の葉目の光にはげしくすすり泣く……

  三

ふといづこよりともなく君が声す
百合の花の匂ひのごとく君が声す。

  四

なげきつつ黄昏の山をのぼりき。
なげきつつ山に立ちにき。
なげきつつ山をくだりき。

  五

蜜柑ばたけに来て見れば
か弱き枝の夏蜜柑
たのしげに
おほいなる実をささへたり。
われもささへん
たへがたき重き愁を
わが恋の実を。

  六

ふるさとの柑子かうじの山をあゆめども
癒えぬなげきは誰がたまひけむ。

  七

遠く離れてまた得難き人を思ふ日にありて
われは心からなるまことの愛を学び得たり
そは求むるところなき愛なり
そは信ふかき少女の願ふことなき日も
聖母マリアの像の前に指を組む心なり。

  八

死なんといふにあらねども
涙ながれてやみがたく
ひとり出て佇みぬ
海の明けがた海の暮れがた
――ただ青くとほきあたりは
たとふればふるき思ひ出
波よする近きなぎさは
けふの日のわれのこころぞ。


  千曲川旅情のうた

島崎 藤村

昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか栄枯の夢の
消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き帰る

嗚呼古城何をか語り
岸の波何をか答ふ
過し世を静かに思へ
百年もきのふのごとし

千曲川柳霞て
春浅く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁を繋ぐ


  小さなお墓

金子 みすゞ

小さなお墓、まあるいお墓、
おぢいさまのお墓。

百日紅の花が、かんざしになつていた。
去年のことよ。

けふ來て見れば、新しいお墓、
しろじろと立つてる。

せんのお墓、どこへ行つた、
石屋にやつた。

今年も花は、百日紅の花は、
墓の上に散つてる。


  土

金子 みすゞ

こッん こッん打たれる土は
よい畠になつてよい麦生むよ。

朝から晩まで踏まれる土は
よい路になつて車を通すよ。

打たれぬ土は詰まれぬ土は
要らない土か。

いえいえそれは
名のない草のお宿をするよ。


  土と草

金子 みすゞ

母さん知らぬ草の子を、
なん千萬の草の子を、
土はひとりで育てます。

草があをあを茂ったら、
土はかくれてしまふのに。


早発白帝城

朝辞白帝彩雲間
千里江陵一日還
両岸猿声啼不住
軽舟已過万重山

  李白

朝に辞す 白帝 彩雲の間
千里の江陵一日にして還る
両岸の猿声 啼いて住まざるに
軽舟 已に過ぐ 万重の山

  冷たい夜

中原 中也

冬の夜に
私の心が悲しんでゐる
悲しんでゐる、わけもなく・・・・・・
心は錆びて、紫色をしてゐる。

丈夫な扉の向こふに、
古い日は放心してゐる。
丘の上では
棉の実が罅裂はじける。

此処では薪が燻いぶつてゐる、
その煙は、自分自らを
知つてでもゐるやうにのぼる。

誘はれるでもなく
もとめるでもなく、
私の心が燻る・・・・・・


  天上縊死

萩原 朔太郎

遠夜とほよに光る松の葉に、
懺悔の涙したたりて、
遠夜の空にしも白ろき、
天上の松に首をかけ。
天上の松を恋ふるより、
折れるさまに吊されぬ。


  道化もの

北原 白秋

ふうらりふうらりと出て来は
ルナアパークの道化もの、
服は白茶のだぶだぶと戯おどけ澄ました身のまはり、
あつち向いちやふうらふら、
こつち向いちやふうらふら、
緋房ひぶさのついた尖がり帽子がしをらしや。

白粉真白けで丸ふたつ
頬紅さいたるおどけづら、
円い眼ばりもくるくると今日も呆とぼけた宙がへり。
かなしやメエリイゴウランド、
さみしや手品の皿まはし、
春の入り日の沈丁花がどこやらに。

ひとが笑へばにやにやと、
猫のなきまね、烏啼き、
たまにやべそかき赤い舌、嘘か、色眼か、涙顔。
鳴いそな鳴いそ春の鳥、
鳴いそな鳴いそ春の鳥、
紙の桜もちらちらとちりかかる。

薄むらさきの円弧アーク燈、
瓦斯と雪洞、鶴のむれ、
石油ヱンヂンことことと水は山から逆おとし、
台湾館の支那の児
足の小さな支那の児、
しょんぼり立つたうしろから馬鹿囃子。

ぬうらりしやらりと日が暮れて
まあたも夜となる、道化もの、
あかい三角帽をちよいと投げてひよいと受けたら禿頭。
あつち向いちやくうるくる、
こつち向いちやくうるくる、
御愛敬か、またしてもとんぼがへり。


  道 程

高村 光太郎

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため


 桃 夭

桃之夭夭
灼灼其華
此子于帰
宜其室家

桃之夭夭
有賁其実
此子于帰
宜其家室

桃之夭夭
其葉蓁蓁
此子于帰
宜其室家人

  未詳

桃の夭夭たる
灼灼たる其の華
之の子于き帰とつがば
其の室家に宜しからん

桃の夭夭たる
有賁ゆうふんたる其の実
之の子于き帰とつがば
其の家室に宜しからん

桃の夭夭たる
其の葉蓁しん蓁たり
之の子于き帰がば
其の家人に宜しからん

  遠き山見ゆ

三好 達治

――序にかへて

遠き山見ゆ
遠き山見ゆ
ほのかなる霞のうへに
はるかにねむる遠き山
遠き山々
今 冬の日の
あたたかきわれも山路を
降りつつ見はるかすなり
かのはるかなる青き山々
いづれの国の高山か
ふもとは消えて
高嶺たかねのみ青くけむれるかの山々
彼方に遠き山は見ゆ
彼方に遠き山は見ゆ
ああなほ彼方に遠く
われはいまふとふるき日の思出のために
なつかしき涙あふれいでんとするにたる
心をおぼゆ ゆゑはわかたね
ああげにいはれなき旅人のけふのこころよ
いま冬の日の
あたたかきわれも山路を
降りつつ見はるかすなり
はるかなる霞の奥に
彼方に遠き山は見ゆ
彼方に遠き山は見ゆ


  利根川のほとり

萩原 朔太郎

きのふまた身を投げんと思ひて
利根川のほとりをさまよひしが
水の流れはやくして
わがなげきせきとむすべもなければ
おめおめと生きながらへて
今日もまた河原に来り石投げてあそびくらしつ。
きのふけふ
ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ふうれしさ
たれかは殺すとするものぞ
抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。


  とんぼ釣り

室生 犀星

けふもさみしくとんぼ釣り
ひげのある身がとんぼ釣り
このふるさとに
飛行機がとぶといふ
そのひるころのとんぼ釣り
とんぼ釣りつつものをおもへば
とんぼすういとのがれゆく。


  嘆き

R・M・リルケ 富士川英郎

おお なんとすべては遠く
もうとっくに過ぎ去っていることだろう
私は思う 私がいまその輝きをうけとっている
星は何千年も前に消えてしまったのだと
私は思う 漕ぎ去っていった
ボートのなかで
なにか不安な言葉がささやかれるのを聞いたと
家の中で時計が
鳴った・・・・
それはどの家だったろう?・・・・
私は自分のこの心から
大きな空の下へ出ていきたい
私は祈りたい
すべての星のうちのひとつは
まだほんとうに存在するに違いない
私は思う 多分私は知っているのだと
どの星が孤りで
生きつづけてきたかを――
その星が白い都会まちのように
大空の光のはてに立っているかを――


  梨の芯

金子 みすゞ

梨の芯はすてるもの、だから
眞まで食べる子、けちんぼよ。

梨の芯はすてるもの、だけど
そこらへはうる子、ずるい子よ。

梨の芯はすてるもの、だから
芥箱へ入れる子、お俐巧よ。

そこらへすてた梨の芯、
蟻がやんやら、ひいてゆく。
「ずるい子ちゃん、ありがとよ。」

芥箱へ入れた梨の芯、
芥取爺さん、取りに來て、
だまつてごろごろひいてゆく


  夏

中原 中也

血を吐くやうな 倦うさ、たゆけさ
今日の日も畑に日は照り、麦に日は照り
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
血を吐くやうな倦うさ、たゆけさ

空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩しく光り
今日の日も陽は炎ゆる、地は睡る
血を吐くやうなせつなさに。

風のやうな心の歴史は
終焉つてしまつたもののやうに
そこから繰たぐれるつの緒もないもののやうに
燃ゆる日の彼方に睡る。

私は残る、亡骸として――
血を吐くやうなせつなさかなしさ。


  夏の日の歌

中原 中也

青い空は動かない、
雲片くもぎれ一つあるでない。
夏の真昼の靜かには
タールの光も清くなる。

夏の空には何かがある、
いぢらしく思はせる何かがある、
焦げて図太い向日葵が
田舎の駅には咲いてゐる。

上手に子供を育てゆく、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
山の近くを走る時。

山の近くを走りながら、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
夏の真昼の暑い時。


  夏過けて、友よ、秋とはなりました

中原 中也

  一

友達よ、僕が何処にゐたか知つてゐるか?
僕は島にゐた、島の小さな漁村にゐた。
其処で僕は散歩をしたり、舟で酒を呑んだりしてゐた。
又沢山の詩も読んだ、何にも煩はされないで。

時に僕はひどく退屈した、君達に会ひたかつた。
しかし君達との長々しい会合、その終りにはだれる会合、
飲みたくない酒を飲み、話したくないことを話す辛さを思ひ出して
僕は僕の惰弱な心を、ともかくもなんとか制おさへてゐた。

それにしてもそんな時には勉強は出来なかつた、散歩も出来なかつた。
僕は酒場に出掛けた、青と赤の濁つた酒場で、
僕はジンを呑んで、しまひにはテーブルに俯伏うつぷしてゐた。

或る夜は浜辺で舟に凭すがつて、波に閃きらめく月を見てゐた。
遠くの方の物凄い空。舟の傍らでは虫が鳴いてゐた。
思ひきりのんびり夢をみてゐた。
浪の音がまだ耳に残ってゐる。

  二

暗い庭で虫が鳴いてゐる、雨気含んだ風が吹いてゐる。
ここは僕の書斎だ、僕はまた帰つて来てゐる。
島の夜が思ひ出される、いつたいどうしたものか夏の旅は、
死者の思ひ出のやうに心に沁みる、毎年々々、

秋が来て、今夜のやうに虫の鳴く夜は、
もやに乗つて、死人は、地平の方から僕の窓の下まで来て、
不憫にも、顔を合はすことを羞はづかしがつてゐるやうに思へてならぬ。
それにしても、死んだ者達は、あれはいつたいどうしたのだらうか?

過ぎし夏よ、島の夜々よ、おまへは一種の血みどろな思ひ出、
それなのにそれはまた、すがすがしい懐かしい思ひ出、
印象は深く、それなのに実際なのかと、疑つてみたくなるやうな思ひ出、
わかってゐるのに今更のやうに、ほんとだつたと驚く思ひ出!……


  鯰

高村 光太郎

盥の中でぴしゃりとはねる音がする。
夜が更けると小刀の刃が冴える。
木を削るのは冬の夜の北風の為事しごとである。
暖炉に入れる石炭が無くなっても、
鯰よ、
お前は氷の下でむしろ莫大な夢を食ふか。
檜の木片こっぱは私の眷属、
智恵子は貧におどろかない。
鯰よ、
お前の鰭に剣ががあり、
お前の尻尾に触角ががあり、
お前の鰓あぎとに黒金の覆輪があり、
さうしてお前の楽天にそんな石頭があるといふのは、
何と面白い私の為事への挨拶であらう。
風が落ちて板の間に蘭のの香ひがする。
智恵子は寝た。
私は彫りかけの鯰を傍へ押しやり、
砥水を新しくして、
更に鋭い明日の小刀を瀏瀏と研ぐ


  虹とひとと

立原 道造

雨あがりのしづかな風がそよいでゐた あのとき
くさむらは露の雫にまだ濡れて 蜘蛛の念珠おじゅも光つてゐた
東の空には ゆるやかな虹がかかつてゐた
僕らはだまつて立つてゐた 黙つて!

ああ何もかもあのままだ おまへはそのとき
僕を見上げてゐた 僕には何もすることがなかつたから
(僕はおまへを愛してゐたのに
 おまへは僕を愛してゐたのに)

また風が吹いてゐる また雲が流れてゐる
明るい青い暑い空に 何のかはりもまかつたやうに
小鳥のうたがひびいてゐる 花のいろがにほつてゐる
おまへの睫毛にも ちひさな虹が憩んでゐることだらう
(しかしおまへはもう僕を愛してゐない
 僕はもうおまへを愛してゐない)


  にはとり

金子 みすゞ

お年をとつた、にはとりは
荒れた畑に立つて居る

別れたひよこは、どうしたか
畑に立つて、思つてる

草のしげつた、畑には
葱の坊主が三四本

よごれて、白いにはとりは
荒れた畑に立つてゐる


  ぬかるみ

金子 みすゞ

この裏まちのぬかるみに、
青いお空がありました。

とほく、とほく、うつくしく、
澄んだお空がありました。

この裏まちのぬかるみは、
深いお空でありました。


  猫

萩原 朔太郎

まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』


  のちのおもひに

立原 道造

夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午ひるさがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれも聞いてゐないと知りながら 語りつづけた・・・・・・

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それらは戸をあけて 寂寥せきりょうのなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう


  ばあやのお話

金子 みすゞ

ばあやはあれきり話さない、
あのおはなしは、好きだのに。

「もうきいたよ」といつたとき、
ずゐぶんさびしい顔してた。

ばあやの瞳には、草山の、
野茨いばらのはなが映つてた。

あのおはなしがなつかしい、
もしも話してくれるなら、
五度も、十度も、おとなしく、
だまつて聞いてゐようもの


  肺病院夜曲

堀口 大学

肺病院!
小山の上の肺病院!
五月の夜の肺病院!
ほの白い肺病院!
窓はみな眠つてゐる!
病人達も眠つてゐる!
暗い五月の夜の
ほの白い肺病院!

さびしい汽笛を吹き乍ら
小山のふもとの停車場へ
夜汽車がとまる。
(降りた人もない!
 乗つた人もない!)
赤いランプ!
青いランプ!
さびしい汽笛が鳴つて
夜汽車が走り出す。
火夫も運転手も
用心せねばならぬ!
こんな夜にこそ
さびしい人は
轢死を思ひ定めるであらう!

この時!
肺病院の三階の
窓の一つを死がうかがふ!
若い女の病人が
盗汗ねあせに濡れて目をさます。
やせた両手を差しぼべて
小さいランプに灯をともす!
(今夜死ぬとはつゆ知らず!)

白い寝衣ねまきを引き乍ら
小さいランプを手に持つて
冷たい床を素足で踏んで
若い女の病人は
半ひらいた窓に立つ!

夜は暗い!
病院の庭も暗い!
小さいランプの影に
病人が青ざめて光る!

青ざめて光る肺病の女よ!
湿つた夜風は
あなたの身体に毒でせう!
きつとのぞいてはいけません!
たとひその窓の下の
花壇の噴水の水音が
過ぎた日の接吻きっすの響きを
あなたの胸に呼びさますとも
のぞいてはいけません!
あぶない! あぶない!
その窓にのしかかつて
あなたは何どうしようと云ふのです!
あなたはか弱い女の身!

……………………………
……………………………

遠くでさびしい汽笛がも一度鳴る!
肺病院の三階の窓の
女の小さいランプが消える!
青い姿の女の姿が消える!
暗い五月の夜の
ほの白い肺病院に
また一人女が死んだ!


  はじめて恋をするものは

H・ハイネ 井上正蔵

はじめて恋をするものは
かたおもいでも 神なのだ
けれども二度まで恋をして
かたおもいなら おろかもの

ぼくはそういうおろかもの
また むくわれぬ恋をする
日 月 星は わらってる
ぼくも わらって 死んじまう


  畑うち

大関 松三郎

どっかん どっかん たがやす
むっつん むっつん たがやす
鍬をぶちこんで 汗をたらして
どっかん どっかん
うんとこ うんとこたがやす
葡萄園の三人兄弟みたいに
深くたがやせば たからが出てくる
くわの つったるまで たがやす
長い長い ごんぼうできよ
まっかな人参もできよ
ぷっつん ぷっつんと
でっかい大根もはえてこい
かぶも 山芋でも でっこくふとれ

たがやせば 畑から たからがでてくるのだ
汗をたらせば たからになって 生まれてくるのだ
うまいことを いったもんだ
けれどもそれは ほんとのことだ
ぐっつん ぐっつん
腰までぶちこむほどたがやす
星がでてくるまでたがやす


  蜂と神様

金子 みすゞ

蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。

さうして、さうして、神さまは、
小ちゃな蜂のなかに。


  初 恋

島崎 藤村

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ


  春

三好 達治

鵞鳥。――たくさんいっしょにゐるので、
 自分を見失はないために啼いてゐます。

蜥蜴。――どの石の上にのぼつてみても、まだ私の腹は冷たい。


  春の朝

R・ブラウニング 上田 敏

時は春、日は朝 朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝にに這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。


  万里の長城の歌

土井 晩翠

  一

生ける歴史か数ふれば齢は高し二千年
影は万里の空遠き名も長城の壁へきの上
落日低く雲淡く関山看す看す暮れんとす、
征驂せいさん恨み留りて俯仰ふぎょうの遊子いうし身はひとり。

絶域ぜついき花は稀ながら平蕪へいぶの緑今深し、
春乾坤に回めぐりては霞かすまぬ空も無かりけり、
天地の色は老いずして人間の世は移らふを
歌ふか高く大空に姿は見えぬ夕雲雀ゆふひばり

嗚呼跡ふりぬ人去りぬ歳は流れぬ千載の
昔に返り何の地かかれ蓁皇の覇図を見む、
残塁破壁声も無し恨みも暗し夕まぐれ
春朦朧のたゞなかに俯仰の遊子身はひとり。

  二

三皇五帝あと遠く「六王終わりて四海一」
四海の黔首けんしゅひれふして雷霆らいていの威に声もなし、
「わが宮殿を高うせよ」一たび呼べば阿房宮
「わが辺境を固うせよ」二たび呼べば万里城
春は驪山りさんの花深く秋は上郡じょうぐんの雲暗く。

管絃響き雲に入る舞殿ぶでんの春の夕まぐれ
たもとを挙げて軽く起つ三千の宮女花のごと
花を散らして玉角光ぎょくこうに浮かす歌扇の風もよし
彫竜の欄奥深く薫ほる蘭麝らんじゃの香を高み
珠簾を洩るゝ銀燭の光消えなで夜や明けむ。

西臨淘*にしりんとうの嶺高しこゝ遼東の谿たに深し、
流を埋め山を截り塁を連ぬる幾千里
かゞりの焔ほのお天を焼きつるぎの光霜凝ほり
殺気夏猶なほものすごく守は孟士二十万
漠のこなたに胡笳こか絶えて匈奴の跡ぞ遠ざかる。

  三

「北夷の憂絶果てゝ境は堅し国安し
先王の書も焚け果てぬ天下の儒家も埋まりぬ
わが万世の業成りぬ」君王の思しかなりき。

知るや夜半の阿房宮後庭こうてい深く森暗く
歌台の響よそにして独りあらしのつぶやきを
「浮世の花の一盛り褪むるに早き色見ずや」

聞け長城の秋の営旌旗せいきの暗に消ゆるとき
またゝく光露帯びて星の竊ひそかにさゝやくを
「富も力も一場の夢覚め果てん後思へ」

  四

春静かなる東海の緑を涵す波の上
不死の金闕きんけつ遠くして童女五百の船いづこ
絳霞シ亢シ こうがいの光天上の花とこしへに匂へども
土に下ればこうがいの示は独り世の脆もろさ、
至尊の栄は高くとも名を玉籍に留め得じ
金人十二鋳りなせどかれに無象のつるぎあり。

心を焦し身を砕くあゝ韓朝の一孤臣
なんじの策は成らずとも無常の風はあらかりき、
天地静かに夜更けて独りシ巳しけうのかたほとり
流は咽むせぶ秋の声燃ゆる心も静まりて
思ふやいかに人力の脆き命めいの定りを、
鉄椎血無し博浪沙はくらうしゃ、鮑魚臭ほうぎょしう有り沙丘台さきゅうだい

  五

嗚呼死屍未だ冷えずしてかれ『万葉の業』いづこ
暗君嗣ぎて上に在り佞豎ねいじゅの害のなどあらき、
民の怒は火の如く戍卒じゅそつは叫び兵は起
楚人の一炬いっきょ閃きて咸陽の宮皆焦土。

れざる空に虹懸けし複道の跡今いづれ、
雲あらざるに竜飛べる長橋の影はたいかに、
袁蘭露に悲めば遺宮空しく草の宿
驪山の麓ふもと春去れば花ことごとく涙あり。

斬蛇のつるぎ炎情の光もさはれ窮みあり、
甘泉殿の夜半の月かれも浮雲の恨みあり、
其移り行く世の習ひ二京の花をよそにして
辺土に立てる長城の連雲の影あゝ絶えず。

  六

邦は亡びて邦に嗣ぎ人は代わりて人を追ふ、
鼎は移る朝二十、歳は流るゝ暦二千、
中華幾たび烽挙がり長城の壁越来り
また越去りし国たみの数さへいかに世々の跡。

山川影は潜らねど春夢空しく跡も無し、
群雄の覇図いたづらに残すは独り史上の名、
独り辺土に影絶えず齢重ねて二千歳
残塁苔に今青む長城の影尊としや。

民の膏血こうけつ世の笑ひ逆政のかたみそれながら
歴史の色に染められし万里の影ぞなつかしき、
其面影に忍びでゝ泣くは懐古の露のみか、
暮春の恨み誰がために霞も咽ぶ夕まぐれ。

  七

霞も咽ぶ夕まぐれ遊子俯仰の物思ひ、
北夷禦ふせぎし長城の昔の跡は替らねど
時世空しく流れては中華の姿あすいかに、
蓁漢魏晋移り行く昔の跡を引換て
西のあらしの吹き寄する黄海の波今あらし。

西暦一千九百年東亜のあらしあすいかに、
中華の光り先王の道この民を救ひ得じ、
愛を四海に伝ふべき神人しんじんの教いま空語、
看ずや豺狼さいらうの欲飽かで「基督教徒」血をすゝり
群羊守る力無く「異教の民」の声呑むを。

俯仰古今の物思ひ遊子の恨いつ尽きむ、
征驂せいさん恨み嘶いななける響きを返す壁のもと
思も遠く眺むれば霞たゞよふ大空の
自然の楽絶果てつ関山暮れて星出でて
根を含む長城の姿は闇に呑まれ行く。

さらあば別れむとこしへにわが長城の壁のもと
(尽きぬ思は大空の星の光に任かせ置きて)
其星移る千載の時の流の末遠み
潜らで影を尚とめむ残塁にまた忍びでゝ
我世の今日を歌ふべき後の詩人はわれしらず。

嗚呼、「永劫の脈博」はいづれの時か絶果てむ、
人生旧を傷みては千古の替らぬ情の歌、
破壁無き傍かたはらにまた落日の影を帯び
流るゝ光積もり行く三千の昔忍ぶ時
かれ永遠の声挙げて何の国語に歌ふらむ。

興廃移り悲喜まじる一人の跡国の跡
笑の蔭に涙あり暗のあなたにひかりあり
玉楼の花風恨み残塁のあらし天の楽
嗚呼千載の後の世の詩人よ既に君の歌
今も響けり長城の暗に隠るゝ壁へきの中うち


  曼珠沙華

金子 みすゞ

村のまつりは夏のころ、
ひるまも花火をたきました。

秋のまつりはとなり村、
日傘のつづく裏みちに、
地面じべたのしたに棲むひとが、
線香花火をたきました。

あかいあかい曼珠沙華


  一つのメルヘン

中原 中也

秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。

陽といつても、まるで珪石か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……


  人を恋ふる歌

与謝野 鉄幹

(三十年八月京城に於て作る)

妻をめどらば才たけて
顔うるはしくなさけある
友をえらばば書を読んで
六分の侠気四分の熱

恋のいのちをたづぬれば
名を惜むかなをとこゆゑ
友のなさけをたづぬれば
義のあるところ火をも踏む

くめやうま酒うたひめに
をとめの知らぬ意気地あり
簿記の筆とるわかものに
まことのをのこ君を見る

あゝわれコレッヂの奇才なく
バイロン、ハイネの熱なきも
石をいだきて野にうたふ
芭蕉のさびをよろこばず

人やわらはん業平が
小野の山ざと雪を分け
夢かと泣きて歯がみせし
むかしを慕ふむらごころ

見よ西北にバルガンの
それにも似たる国のさま
あやふからずや雲裂けて
天火ひとたび降らん時

妻子をわすれ家をすて
義のため恥をしのぶとや
遠くのがれて腕を摩す
ガリバルヂイや今いかん

玉をかざれる大官は
みな北道の訛音あり
慷慨よく飲む三南の
健児は散じて影もなし

四たび玄海の浪をこえ
韓のみやこに来てみれば
秋の日かなし王城や
むかしにかはる雲の色

あゝわれ如何にふところの
剣は鳴りをしのぶとも
むせぶ涙を手にうけて
かなしき歌の無からや

わが歌ごゑの高ければ
酒に狂ふと人は云へ
われに過ぎたる希望をば
君ならでは誰か知る

「あやまらずや真ごころを
君が詩いたくあらはなる
むねんなるかな燃ゆる血の
値すくなきすゑの世や

おのづからなる天地を
恋ふるなさけは洩すとも
人を罵り世をいかる
はげしき歌を秘めよかし

口をひらけば妬みあり
筆をにぎれば譏りあり
友を諫めに泣かせても
猶ゆくべきや絞首台

同じ愁ひの世にすめば
千里のそらも一つ家
おのが袂と云ふなかれ
やがて二人のなみだぞや」

はるばる寄せしますらをの
うれしき文を袖にして
けふ北漢の山のうへ
駒たてて見る日の出づる方


  晝の花火

金子 みすゞ

線香花火を買つた日に、

夜があんまり待ちどほで、
納屋にかくれてたきました。

すすき、から松、ちやこちやかと、
花火はもえていつたけど、

私はさみしくなりました。


 貧交行

翻手作雲覆手雨
粉粉軽薄何須數
君不見管鮑貧時交
此道今人棄如土

  杜甫

手を翻せば雲と作り 手を覆せば雨となる
粉粉たる軽薄 何ぞ数うるを須もちいん
君見ずや 管鮑貧時の交わりを
此の道 今人こんじん棄てて土の如し

  笛

『月に吠える』 萩原 朔太郎

子供は笛が欲しかった。
その時子供のお父さんは書きものをして居るらしく思はれた。
子供はお父さんの部屋をのぞきに行つた。
扉のかげにはさくらの花のにほひがする。

そとき室内で大人はかんがへこんでゐた、
大人の思想がくるくると渦まきをした、
 ある混み入つた思想のぢれんまが大人の心を痙攣ひきつけさせた。
みれば、ですくの上に突つ伏した大人の額を、
いつのまにか蛇がぎりぎりとまきつけてゐた。
それは春らしい今朝の出来事が、その人の心を憂はしくしたのである。

本能と良心と、
わかちがたき一つの心を二つにわかたんとする大人の心のうらさびさよ、
力をこめて引きはなされた二つの影は、糸のやうにもつれあひつつ、
ほのぐらき明窓あかりまどのあたりをさまようた。
人は自分の頭のうへに、それらの悲しい幽霊の通りゆく姿をみた。
大人は恐ろしさに息をひそめながら祈いのりをはじめた
「~よ、ふたつの心をひとつにすることなからしめたまへ」
けれどもながいあひだ、幽霊は扉のかげを出這入りした。
そこには青白い顔をした病身の彼の子供が立つて居た。
子供は笛が欲しかつたのである。

子供は扉をひらいて部屋の一隅に立つてゐた。
子供は窓際のですくに突つ伏したおほいなる父の頭脳をみた。
その頭脳のあたりは甚だしい陰影になつてゐた。
子供の視線が蝿のやうにその場所にとまつてゐた。
子供のわびしい心がなにものかにひきつけられてゐたのだ。
しだいに子供の心が力をかんじはじめた、
子供は実にはつきりした声で叫んだ。
みればそこに笛がおいてあつたのだ。
子供が欲しいと思つてゐた紫いろの小さい笛があつたのだ。

子供は笛に就いてなにごとも父に話してはなかつた。
それ故この事実はまつたくの偶然の出来事であつた。
おそらくはなにかの不思議なめぐりあはせであつたのだ。
けれども子供は かたく父の奇蹟を信じた。
もつとも偉大なる大人の思想が生み落した陰影の笛について、
卓の上に置かれた笛について。


  不思議

金子 みすゞ

私は不思議でたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀にひかつてゐることが。

私は不思議でたまらない、
青い桑の葉たべてゐる、
かひこが白くなることが。

私は不思議でたまらない、
たれもいぢらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。

私は不思議でたまらない、
誰にきいても笑つてて、
あたりまへだ、といふことが。


  冬が来た

高村 光太郎

きつぱりと冬が来た
八つ手にの白い花も消え
公孫樹の木も箒になつた

きりきりともみ込むやうな冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た

冬よ 僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ

しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た


  冬の明け方

中原 中也

残んの雪が瓦に少なく固く
枯木の小枝が鹿のやうに睡い、
冬の朝の六時
私の頭も睡い。

鳥が啼いて通る――
庭の地面も鹿のやうに睡い。
――林が逃げた農家が逃げた、
空は悲しい衰弱。
私の心は悲しい・・・・・

やがて薄日が射し
青空が開く。
上の上の空でジュピター神の砲ひづつが鳴る。
――四方の山が沈み、

農家の庭が欠伸をし、
道は空へと挨拶する。
私の心は悲しい・・・・・・


  冬の雨

金子 みすゞ

「母さま、母さま、ちよいと見て、
 雪がまじつて降つててよ。」
「ああ、振るのね。」とお母さま、
 お裁縫しごとしてるお母さま。
 ――氷雨の街をときどき行は、
 みんな似たよな傘ばかり。

「母さま、それでも七つ寝りや、
 やつぱり正月來るでしょか。」
「ああ、來るのよ。」とお母さま、
 春着縫つてるお母さま。
 ――このぬかるみが河ならいいな。
 ひろい海なら、なほいいな。

「母さま、お舟がとほるのよ、
 ぎいちら、ぎいちら、櫓をおして。」
「まあ、馬鹿だね。」とお母さま、
 こちら向かないお母さま。
 ――さみしくあてる、左の頬に、
 つめたいつめたい硝子です。


  冬の長門峡

中原 中也

長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌みてありぬ。

われのほか別に
客とてもなかりけり。

水は、恰も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがて蜜柑の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。

あゞ! ――そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。


  冬の日の記憶

中原 中也

昼、寒い風の中で雀をてにとつて愛してゐた子供が、
夜になって、急に死んだ。

次の朝は霜が降つた。
その子の兄が電報打ちに行つた。

夜になつても、母親は泣いた。
父親は、遠洋航海してゐた。

雀はどうなつたか、誰も知らなかつた。
北風は往還を白くしてゐた。

つるべの音が偶々たまたました時、
父親からの、返電が来た。

毎日々々霜が降つた。
遠洋航海からはまだ帰れまい。

その後母親がどうしてゐるか・・・・・
電報打つた兄は、今日学校で叱られた。


  望郷五月歌

佐藤 春夫

塵まみれなる街路樹に
哀れなる五月さつき来にけり
石だたみ都大路を歩みつつ
恋しきや何ぞわが古郷
あさもよし紀の国の
牟婁むろの海山
夏みかんたわわに実り
橘の花さくなべに
とよもして啼くほととぎす
心してな散らしそかのよき花を
朝霧か若かりし日の
わが夢ぞ
そこに狭霧らふ
朝雲か望郷の
わが心こそ
そこにいさよふ
空青し山青し海青し
日はかがやかに
南国の五月晴こそゆたかなれ
心も軽くうれしきに
わだの原見迥はるかさんと
のぼり行く山辺の道は
杉檜楠の芽吹きの
花よりもいみじく匂ひ
かぐはしき木の香薫じて
のぼり行く路いくまがり
しづかにも登る煙の
見まがふや香炉の煙
山樵やまがつが吸ひのこしたる
鄙ぶりの山の煙草の
椿の葉焦げて落ちたり
いにしへの帝王たちも通はせし
尾の上の道は果てを無み
ただつれづれに
通ふべきにはあらねば
目を上げてただに望みて
いそのかみふるき昔をしのびつつ
そぞろにも山を下りぬ
歌まくら塵の世をはなれ小島に
立ち騒ぐ波もや見むと
辿り行く荒磯石原ありそいしはら
丹塗舟にぬりぶね影濃きあたり
若者の憩へるあらば
海の幸鯨いさな捕る船の話も聞くべかり
且は聞け
浦の浜木綿幾重なすあたり何処いづく
いざさらば
心ゆく今日のかたみに
荒海の八重の潮路を運ばれて
流れよる千種百種ちぐさももぐさ
貝がらの数を集めて歌にそへ
贈らば都の子等に


  星落秋風五丈原

『天地有情』 土井晩翠

  一

祁山悲愁の風更けて
陣雲暗し五丈原
零露の文は繁くして
草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光なく
鼓角の音も今静か。
 * * *
丞相病篤かりき。

清渭の流れ水やせて
むせぶ非情の秋の声
夜は関山の風泣いて
闇に迷ふかかりがねは
令風霜の威もすごく
守るとりでの垣の外。
 * * *
丞相病篤かりき。

帳中眠かすかにて
短檠光薄ければ
こゝにも見ゆる秋の色
銀甲堅くよろへども
見よや侍衛の面かげに
無限の愁溢るゝを。
 * * *
丞相病篤かりき。

風塵遠し三尺の
剣は光曇らねど
秋に傷めば松柏の
色もおのづとうつろふを
漢騎十万今さらに
見るや故郷の夢いかに。
 * * *
丞相病篤かりき。

夢寐に忘れぬ君王の
いまはの御こと畏みて
心を焦がし身をつくす
暴露のつとめ幾とせか
今落葉の雨の音
大樹ひとたび倒れなば
漢室の運はたいかに。
 * * *
丞相病篤かりき。

四海の波瀾収まらで
民は苦み天は泣き
いつかは見なん太平の
心のどけき春の夢
群雄立ちてことごとく
中原鹿を争ふも
たれか王者の師を学ぶ。
 * * *
丞相病篤かりき。

末は黄河の水濁る
三代の源遠くして
伊周の跡は今いつこ、
道は衰へ文幣ぶれ
管仲去りて九百年
楽毅滅びて四百年
誰か王者の治を思ふ。
 * * *
丞相病篤かりき。

  二

嗚呼南陽の旧草盧
二十余年のいにしへの
夢はたいかに安かりし
光を包み香をかくし
隴畝ろうほに民と交はれば
王佐の才に富める身も
たゞ一曲の梁歩吟。

閑雲野鶴空闊ひろ
風に嘯うそふく身はひとり
月を湖上に砕きては
ゆくゑ波間の舟ひと葉
ゆふべ暮鐘に誘はれて
ふは山寺の松の風。

江山かうざんさむるあけぼのゝ
雲に驢を駆る道の上
寒梅痩せて春早み
幽林蔭を穿うがつとき
伴は野鳥の暮の歌
紫雲たなびく洞ほらの中
そや棊局の友の身は。

其隆中の別天地
空のあなたを眺むれば
大盗競ほひはびこりて
あらびて栄華さながらに
風の枯葉こえふを掃はらふごと
治乱興亡おもほへば
世は一局の棊なりけり。

其世を治め世を救ふ
経綸けいりん胸に溢ふるれど
栄利を俗に求めねば
岡も臥竜の名を負ひつ、
乱れし世にも花は咲き
花また散りて春秋の
うつりはこゝに二十七。

高眠遂に永からず
信義四海に溢れたる
君が三たびの音づれを
背きはてめや知己の恩
羽扇綸巾うせんりんきん風軽き
姿は替へで立ちいづる
草盧あしたのぬしたれや。

古琴の友よさらばいざ、
暁さむる西窓せいさう
残月の影よさらばいざ、
白鶴帰れ嶺の松
蒼猿眠れ谷の橋
岡も替へよや臥竜の名、
草盧あしたはぬしもなし。

成算胸に蔵をさまりて
乾坤こゝに一局棋
たゞ掌上に指すがごと、
三分の計はや成れば
見よ九天の雲は垂れ
四海の水は皆立て
蛟竜かうりゃう飛びぬ淵の外

  三

英才雲と群がれる
世も千仞の鳳ほう高く
くる雲井の伴ともやたそ
東新野しんやの夏の草
南濾水ろすゐの秋の波
戎馬関山いくとせか
風塵暗きたゞなかに
たてしいさをの数いかに。

江陵去りて行先は
武昌夏口の秋の陣
一葉いちえふ軽く棹さして
三寸の舌呉に説けば
見よ大江の風狂ひ
焔乱れて姦雄の
雄図砕けぬ波あらく。

剣閣天にそび入りて
あらしは叫び雲は散り
金鼓震ひて十万の
雄師は囲む成都城
漢中尋ついで陥りて
三分の基はや固し。

定軍山ぢやうぐんざんの霧は晴れ
べん陽の渡り月は澄み
赤符再び世に出でゝ
興るべかりし漢の運、
天か股肱の命尽きて
襄陽じょうよう遂に守りなく
玉泉山の夕まぐれ
恨みは長し雲の色。

中原北に眺むれば
冕旒べんりゅう塵に汚されて
炎精あはれ色も無し、
されば漢毛の一宗派
わが君主をいたゞきて
踏ませまつらむ九五の位、
天の暦数こゝにつぐ
時建安の二十六
景星照りて錦江の
流れに泛うかぶ花の影。

花とこしへの春ならじ、
夏の火峰の雲落ちて
御林の陣を焚き掃ふ
四十余営のあといつこ、
雲雨荒台夢ならず
巫山ふざんのかたへ秋寒く
名も白帝の城のうち
竜駕りょうがとどまるいつまでか。

その三峡の道遠き
永安宮の夜の雨
泣いて聞きけむ竜榻りょうたふ
君がいまはのみことのり
忍べば遠きいにしへの
三顧の知遇またこゝに
重ねて篤き君の恩、
諸王に父と拝されし
思やいかに其宵の。

辺塞遠く雲分けて
瘴烟しやうえん蛮雨ものすごき
不毛の郷に攻め入れば
暗し瀘水の夜半の月、
妙山世にも比たぐひなき
智仁を兼ぬるほこさきに
南夷いくたび驚きて
君を崇あがめし「神なり」と。

  四

南方すでに定りて
兵は精くはしく糧は足る、
君王の志うけつぎて
姦を攘はらはん時は今、
江漢常武いにしへの
ためしを今にこゝに見る
建興五年あけの空、
日は暖かに大旗の
竜蛇も動く春の雲、
馬は嘶いななき人勇む
三軍の師を随へて
中原北に上りけり。

六たび祁山の嶺の上
風雲動き旗かへり
天地もどよむ漢の軍、
へん師節度を誤れる
街亭の敗何かある、
鯨鯢げいげい吼えて波怒り
あらし狂ふて草は伏す
王師十万秋高く
武都陰平を平げて
立てり渭南の岸の上。
ふせぐはたそや敵の軍、
かれ中原の一奇才
韜略たうりゃく深く密ながら
君に向はんすべぞなき、
納めも受けむ贈られし
素衣巾幗そいきんくわくのあなどりも、
陣を堅うし手を束つか
魏軍守りて出ざりき。

鴻業こうげふ果たし収むべき
その時天は貸さずして
出師のなかばに君病みぬ、
三顧の遠きむかしより
夢寐も忘れぬ君の恩
答て尽すまごゝろを
示すか吐ける紅血くれなゐは、
建興の十三秋なかば
丞相病篤かりき。

  五

魏軍の営も音絶て
夜は静かなり五丈原、
たゝずと思ふ今のまも
丹心国を忘られず、
病を扶たすけ身を起し
臥帳掲げて立ちいづる
夜半の大空雲もなし。

てう斗声無く露落ちて
旌旗せいきは寒し風清し、
三軍ひとしく声呑みて
つゝしみ迎ふ大軍師、
羽扇綸巾膚はだ寒み
おもわやつれし病める身を
知るや非情の小夜あらし。

諸塁あまねく経廻りて
輪車静かにきしり行く、
星斗は開く天の陣
山河はつらぬ地の営所、
つるぎは光り影冴て
結ぶに似たり夜半の霜。

嗚呼陣頭にあらはれて
敵とまた見ん時やいつ、
祁山の嶺に長駆して
心は勇む風の前、
王師たゞちに北をさし
馬に河洛からくに飲まさむと
願ひしそれもあだなりや、
胸裏百万兵はあり
帳下三千将足るも
彼れはた時をいかにせむ。

成敗遂に天の命
事あらかじめ図られず、
旧都再び駕を迎へ
麟台りんだい永く名を伝ふ
はる玉楼の花の色
いさをし成りて南陽に
琴書をまたも友とせむ
望みは遂に空しきか。

君恩酬むくふ身の一死
今更我を惜まねど
行末いかに漢の運、
過ぎしを忍び後しのぶ
無限の思無限の情、
南成都の空いつこ
玉塁今は秋更けて
錦江の水痩せぬべく、
鉄馬あらしに嘶きて
剣関の雲睡ぶるべく。

明主の知遇身に受けて
三顧の恩にゆくりなく
立ちも出でけむ旧草盧、
嗚呼鳳ほう遂に衰へて
今に楚狂の歌もあれ
人生意気にに感じては
成否をたれかあげつらふ。

成否を誰かあげつらふ
一死尽くしゝ身の誠、
仰げば銀河影冴えて
無数の星斗光濃し、
照すやいなや英雄の
苦心孤忠の胸ひとつ
其壮烈に感じては
鬼神も哭かむ秋の風

  六

鬼神も哭かむ秋の風
行て渭水の岸の上
夫れ残柳の恨訪へ、
劫初ごふしよこのかた絶えまなき
無限のあらし吹過ぎて
野は一叢むらの露深く
世は北ばうの墓高く。

蘭は砕けぬ露のもと
桂は折れぬ霜の前
霞に包む花の色
蜂蝶睡る草の蔭
色もにほひも消去りて
有情も同じ世々の秋。

群雄次第に凋落し
雄図ゆうとは鴻の去るに似て
山河幾とせ秋の色
映画盛衰ことごとく
むなしき空に消行けば
世よ一場いちぢやうの春の夢。

撃たるゝものも撃つものも
今更こゝに見かへれば
共に夕の嶺の雲
風に乱れて散るがごと、
蛮触二邦角の上
蝸牛くわぎうの譬たとへおもほへば
世々の姿はこれなりき。

金棺灰はひを葬りて
魚水の契り君王も
今泉台の夜の客、
中原北を眺むれば
銅雀台の春の月
今は雲間のよその影、
大江の南建業の
花の盛りもいつまでか。

五虎の将軍今いつこ、
神機きほひし江南の
かれも英才いまいつこ、
北の渭水の岸守る
仲達かれもいつまでか、
感極まりて気も遙か
聞けば魏軍の夜半の陣
一曲遠し悲笳ひかの声。

更に碧りの空の上
静かにてらす空の色
かすけき光眺むれば
神秘は深し無象むしやうの世、
あはれ無限の大うみに
溶くるうたかた其はては
いかなる岸に泛うかぶらむ、
千仞暗しわだつみの
底の白玉誰か得む
幽渺いうべうさかひ窮みなし
鬼神のあとを誰か見む。

嗚呼五丈原秋の夜半
あらしは叫び露は泣き
銀漢清く星高く
神秘の色につゝまれて
天地微かに光るとき
無量の思齋らして
「無限の淵」に立てる見よ、
功名いづれ夢のあと
消えざるものはたゞ誠、
心を尽し身を致し
成否を天に委ねては
魂遠く離れゆく
高き、尊き、たぐひなき
「悲運」を君よ天に謝せ、
青史の照らし見るところ
管仲楽毅たそや彼れ、
伊呂の伯仲、眺むれば
「万古の霄そらの一羽毛」
千仞翔くる鳳の影、
草盧にありて竜と臥し
四海に出でゝ竜と飛ぶ
千載の末今も尚
名はかんばしき諸葛亮。


  星がひとつ

H・ハイネ 井上正蔵

星がひとつ
きらめく空からおちる
ほら おちるにが見える
あれこそは恋の星

花や葉が ばらばら
りんごの木からおちる
いたづらものの風がきて
たわむれたり もてあそんだり

池のなかを白鳥が
歌をうたってこぎまわる
声はおとろえひくくなり
みずの墓場にしずんでいく

このしめやかさ このうすぐらさ
花や葉はとび去り
星はくだけちり
白鳥の歌はとだえた


  ほたる

『山芋』大関 松三郎

ようやく夕飯ができたけれども まだ つぁつぁがたんぼからこないので
みなして ねむたいのを がまんして まっている。
ぼくは ねぎもんを ひっかぶってねた。
とたんに ぽかっと 電気がきえた。
栄作が 「ほら あそこへ ほたるが いっぱいこと かたまっていら」
といったので えんがわのほうを みたら ほたるが 二、三十ぴきかたまって ポカ ポカ ポカ と きょうそうで 光っている。
あ、そうそう よんべ とってきて ビンに いれたまま そこへ おきわすれていたのだ と 思いながら ぼくは そのほうへ はいずっていった。
びんをつかむ手が 青白く 病人の手のように やせてみえた。
くちから 大きい ほたるが ボウッとでたとおもうと ポカッポカッと青光りだけみせて 上へ上へと あがっていく。
ああ やっとにげて らくらくした ほたるだろう。
長い息を しているように てんじょうに とまったまま しずかに ひかっている。
そこへ 七つの秋一がきて ぼくののってる ビンをとって くちを下にすると たった一匹の ほたるがでて はいずった。
秋一は それを 足で すりつけて ほう ほう ほたるこい と いいながら 外の方へ いった。
すりつけられた ほたるは むしろの間に はさまって こなごなに くだかれて 青光りを だしている。
動かない青光り なんだか こきびのわるい 青光り。
ほう ほう ほうたるこい と よぶこえが とおくで きこえている。


  骨

中原 中也

ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ
ヌツクと出た、骨の尖さき

それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。

生きてゐた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐つてゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある、
と思へばなんとも可笑しい。

ホラホラ、これが僕の骨―――
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残つて、
また骨の処にやつて来て、
見てゐるのかしら?

故郷の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立つて
見てゐるのは、――僕?
恰度ちょうど立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。


  ぼろぼろな駝鳥

高村 光太郎

何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢゃないか。
頸があんまり長過ぎるぢゃないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。
腹がへるから堅パンも食ふだろうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢゃないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢゃないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢゃないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢゃないか。
これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。


  また或るとき人に与へて

佐藤 春夫

しんじつふかき恋あらば
わかれのこころな忘れそ、
おつるなみだはただ秘めよ、
ほのかなるこそ吐息なれ、
数ならぬ身といふなかれ、
ひるはひるゆゑわするとも
ねざめの夜半におもへかし。


  またある夜に

立原 道造

私らはたたずむであらう 霧のなかに
霧は山の沖にながれ 月のおもを
投箭とうせんのやうにかすめ 私らをつつむであらう
灰の帷とばりのやうに

私らは別れるであらう 知ることもなしに
知られることもなく あの出会つた
雲のやうに 私らは忘れるであらう
水脈みをのやうに

その道は銀の道 私らは行くであらう
ひとりはなれ……(ひとりはひとりを
夕ぐれになぜ待つことをおぼえたか)

私らは二たび逢はぬであらう 昔おもふ
月のかがみはあのよるをうつしてゐると
私らはただそれをくりかへすであらう


  X また落葉林で

立原 道造

いつの間に もう秋! 昨日は
夏だった……おだやかな陽気な
陽ざしが 林のなかに ざわめいてゐる
ひとところ 草の葉のゆれるあたりに

おまへが私のところからかへつて行つたときに
あのあたりには うすい紫の花が咲いてゐた
そしていま おまへは 告げてよこす
私らは別離に耐へることが出来る と

澄んだ空に 大きなひびきが
鳴りわたる 出発のやうに
私は雲を見る 私はとほい山脈を見る

おまへは雲を見る おまへはとほい山脈を見る
しかしすでに 離れはじめた ふたつの眼ざし……
かへつて来て みたす日は いつかへり来る?


  また来ん春・・・・・・

中原 中也

また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返ってくるぢやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫にゃあといひ
鳥を見せても猫だった

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが・・・・・・


  Z また昼に

立原 道造

僕はもう はるかな青空やながされる浮雲のことを
うたはないだらう……
昼の 白い光のなかで
おまへは 僕のかたはらに立つてゐる

花でなく 小鳥でなく
かぎりない おまへの愛を
信じたなら それでよい
僕は おまへを 見つめるばかりだ

いつまでも さうして ほほゑんでゐるがいい
老いた旅人や 夜 はるかな音を どうして
うたふことがあらう おまへのために

さへぎるものもない 光のなかで
おまへは 僕は 生きてゐる
ここがすべてだ!……僕らのせまい身のまはりに


  松が枝に

室生 犀星

わが見しものは松が枝にきゆる音なきむらしぐれ
金沢に来しより幾月ぞ
ひと妻となりしむかしのむすめら
お茶のみにきたまへといへども
人妻に何んの語らひせんものぞ
かたみにわかれ時雨のなかに消えけり。


  真冬の夜の雨に

立原 道造

あれらはどこに行つてしまつたか?
なんにも持つゐなかつたのに
みんな とうになくなつてゐる
どこか とほく 知らない場所へ

真冬の雨の夜は うたつてゐる
待つてゐた時とかはらぬ調子で
しかし帰りはしないその調子で
とほく とほい 知らない場所で

なくなつたものの名前を 耐へがたい
つめたいひとつの繰りかへしで――
それさへ 僕は 耳をおほふ

時のあちらに あの青空の明るいこと!
その望みばかりのこされた とは なぜいはう
だれとも知らない その人の瞳の底に?


  見しらぬ犬

萩原 朔太郎

この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
みすぼらしい、後足でびつこをひいてゐる不具の犬のかげだ。
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
わたしのゆく道路の方角では、
長屋の屋根がべららべと風に吹かれてゐる、
道ばたの陰気な空き地では、
ひからびた草の葉つぱがしなしなとほそくうごいて居る。

ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
おほきな、いきものやうな月が、ぼんやりと行手に浮かんでゐる、
さうして背後うしろのさびしい往来では、
犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をきずつて居る。

ああ、どこまでも、どこまでも、
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
きたならしい地べたを這ひまわつて、
私の背後で後足をひきずつてゐる病気の犬だ、
とほく、ながく、かなしげにおびえながら、
さびしい空の月に向かつて遠白く吠えるふしあはせの犬のかげだ。


  水

大関 松三郎

大きなやかんを
空のまんなかまでもちあげて
とっくん とっくん 水をのむ
とっくん とっくん とっくん とっくん
のどがなって
にょろ にょろ にょろ つめたい水が
のどから むねから いぶくろへはいる
とっくん ろっくん とっくん
にょろ にょろ にょろ
息をとめて やかんにすいつく
自動車みたいに 水をつぎこんでいる
のんだ水は すぐまた あせになって
からだじゅうから ぷちっとふきうでてくる
もう いっぱい
もう ひと息
とっくん とっくん とっくん とっくん
どうして こんなに 水はうまいもんかなあ
こんな水が なんのたしになるもんかしらんが
水をのんだら やっと こしがしゃんとした
ああ 空も たんぼも
すみから すみまで まっさおだ
おひさまは たんぼのまんなかに
白い光を ぶちまけたように 光っている
遠いたんぼでは しろかきの馬が
ぱしゃっ ぱしゃっと 水の光をけちらかしている
うえたばかりの苗の頭が風に吹かれて
もう うれしがって のびはじめてるようだ

さっき とんでいったかっこうが
村の あの木で 鳴きはじめた


  ミニヨン (明かせと)

J・W・ゲーテ 手塚富雄

明かせといってくださいますな、
言わぬをおゆるしくださいまし。
わたしの秘密はわたしの義務でございます。
この胸にあることを残らずお話しとうございます。
けれども運命がそれを許してくれませぬ。

時がくれば日のあゆみは、
闇夜を逐い、夜は明けずにおりません。
堅い岩もついには胸を開きます、
そして深くかくれた泉をひとびとに惜しみはいたしません。

たれしも友の腕にいだかれて思うさま泣きとうございます、
苦しみを訴えれば胸をかろくすることもでrきましょう。
けれどわたしは一つの誓いのために
口を鎖とざされているのでございます、
それをひらくことができるのは神さまだけでございます。


  ミニヨン(あこがれを)

J・W・ゲーテ 手塚富雄

あこがれを知る人だけが 知ってくれます
わたしの胸の悲しみを。
ただひとり 世の幸のすべてに
離れ
わたしは見やる
かなたの空を。
ああ わたしを愛で わたしを知ってくださる方は
遠いあちらにおいでです。
目はまどい 胸は
裂けます。
あこがれを知る人だけが 知ってくれます
わたしの胸の悲しさを。


  ミニヨン(このよそおいを)

J・W・ゲーテ 手塚富雄

このよそおいをおゆるしくださいまし
この真白い着物を脱がせてくださいますな
わたしがほんとうにそのようになるまでは。
わたしがもうすぐこの美しい世に別れ
揺るがぬ小家こいえへいそぎます。

そこでしばらくやすんだら
眼はさわやかに開きます。
そのときわたしはこの着物も
帯や花輪も脱ぎすてます。

すると天使に迎えられるわたしには
もう男、女の区別はなく
浄められたからだには
帯も着物もいりませぬ。

わたしは苦労もなく生きてまいりました。
けれど深い悲しみは知りすぎるほど知りました。
なやみのため こんなに老けてしまったわたくしに
どうか永遠の若さをおあたえくださいまし。


  ミニヨン(知りますや その国)

J・W・ゲーテ 手塚富雄

知りますや その国、檸檬レモンは花さき
暗き葉蔭に柑子こうじは熟れ
真青き空より風通いて、
ミルテは静かに 桂は高く聳そびゆ、
 そを知りますや
かなたへ かなたへ
 いとしき人よ 君と共にゆかまし。

知りますや かの館たち、柱は並みて
屋根高く、広間居間かがやきわたり
きびしき大理石像いしのひとがたはわれをうち見て、あわれの子よ
ひとやなれに辛きと 言問こととうごとし、
 そを知りますや
かなたへ かなたへ
 頼める人よ 君と共にゆかまし

知りますや かの嶺 雪の桟橋かけはし
騾馬らばは霧に歩みゆるく
洞窟いわやには竜の古きうから棲み
切り峙つ巌に滝つせかるる、
そを知りますや
 かなたへ かなたへ
父なる人よ 君と共にゆかまし。


  耳

ジャン・コクトー 堀口大学

私の耳は貝のから
海の響きをなつかしむ


  みみず

『山芋』 大関 松三郎

何だ こいつめ
あたまもしっぽもないような
目だまも手足もないような
いじめられれば ぴちこちはねるだけで
ちっとも おっかなくないやつ
いっちんちじゅう 土の底にもぐっていて
土をほじっくりかえし
くさったものばかりたべて
それっきりで いきているやつ
百年たっても二百年たっても
おんなじ はだかんぼうのやつ
それより どうにもなれんやつ
ばかで かわいそうなやつ
おまえも百姓とおんなじだ
おれたちのなかまだ


  ミラボー橋

ギィヨーム・アポリネール 堀口大学

ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われ等の恋が流れる
私は思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると

 鐘が鳴ろうと 日が暮れようと
月日は流れ わたしは残る

手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
こうしていると
二人の腕の橋の下を
相も変わらぬまなざしの 疲れた水が流れゆく

 鐘が鳴ろうと 日が暮れようと
月日は流れ わたしは残る

流れる水のように恋もまた死んでゆく
恋もまた死んでゆく
命ばかりが長く
希望ばかりが大きい

 鐘が鳴ろうと 日が暮れようと
月日は流れ わたしは残る

日が去り月がゆく
過ぎた時も 昔の恋も
二度とまた帰って来はしない
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ

 鐘が鳴ろうと 日が暮れようと
月日は流れ わたしは残る


  みんなを好きに

金子 みすゞ

私は好きになりたいな、
何でもかんでもみいんな。

葱も、トマトも、お魚も、
残らず好きになりたいな。

うちのおかずは、みいんな、
母さまがおつくりなつたもの。

私は好きになりたいな、
誰でもかれでもみいんな。

お醫者さんでも、烏でも、
残らず好きになりたいな。

世界のものはみィんな、
神さまがおつくりなつたもの。


  麥のくろんぼ

金子 みすゞ

麥のくろんぼぬきませう、
金の穂波をかきわけて。

麥のくろんぼんぬかなけりや、
ほかの穗麥にうつるから。

麥のくろんぼ焼きなせう、
小徑づたいに濱へ出て。

麥になれないくろんぼよ、
せめてけむりは空たかく。


  虫けら

大関 松三郎

畑をたがやしていると
いろいろな虫けらがでてくる
土の中にも
こんなに いろいろなものが生きているのだ
こんな 小さなものでも
すをつくったり こどもをうんだり
くいあいをしたり
何をたのしみに 生きているんかしらないが
ようも まあ たくさん 生きているもんだ


  無題 T

中原 中也

  T

こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに、
私は強情だ。ゆうべもおまへと別れてのち、
酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝
目が覚めて、おまへのやさしさを思ひ出しながら
私は私のけがらはしさを嘆いてゐる。そして
正体もなく、今茲に告白をする、恥もなく、
品位もなく、かといつて正直さもなく
私は私の幻想に駆られて、狂ひ廻る。
人の気持ちをみようとするやうなことはつひになく、
こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに
私は頑なで、子供のやうに我儘だつた!
目が覚めて、宿酔ふつかよひの厭ふべき頭の中で、
戸の外の、寒い朝らしい気配を感じながら
私はおまへのやさしさを思ひ、また毒づいた人を思ひ出す。
そしてもう、私はなんのことだか分らなく悲しく、
今朝はもはや私がくだらない奴だと、自ら信ずる!

  U

彼女の心は真つ直い!
彼女は荒々しくも育ち、
たよりもなく、心を汲んでも
もらへない、乱暴な中に
生きてはきたが、彼女の心は
私のより真つ直いそしてぐらつかない。

彼女は美しい。わいだめもない世の渦の中に
彼女は賢くつつましく生きてゐる。
あまりにわいだめもない世の渦のために、
折に心が弱り、弱々しい躁ぎはするが、
而もなほ、最後の品位をなくしはしない
彼女は美しい、そして賢い!

嘗て彼女の魂が、どんなにやさしい心をもとめてゐたかは!
しかしいまではもう諦めてしまつてさへゐる。
我利々々で、幼稚な、獣や子供にしか、
彼女は出遇はなかつた。おまけに彼女はそれと識らずに、
唯、人といふ人が、みんなやくざなんだと思つてゐる。

  V

かくは悲しく生きん世に、なが心
かたくなにしてあらしめな。
われはわが、したしさにはあらんとねがへば
なが心、かたくなにしてあらしめな。

かたくなにしてあるときは、心に眼まなこ
魂に、言葉のはたらきあとを絶つ
なごやかにしてあらんとき、人みなは生れしながらの
うまし夢、またそがことわり分ち得ん。

おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて
悪酔の、狂ひ心地に美を索もと
わが世のさまのかなしさや、

おのが心におのがじし湧きくるおもひもたずして、
人に勝らん心のみいそがはしき
熱を病む風景ばかりかなしきはなし

  W

私はおまへのことを思つてゐるよ。
いとほしい、なごやかに澄んだ気持の中に、
昼も夜も浸つてゐるよ、
まるで自分を罪人ででもあるやうに感じて。

私はおまへを愛してゐるよ、精一杯だよ。
いろんなことが考へられもするが、考へられても
それはどうにもならないことだししるから、
私は身を棄ててお前に尽くさうと思ふよ。

またさうすることのほかには、私にはもはや
希望も目的も見出せないのだから
さうすることは、私に幸福なんだ。

幸福なんだ。世の煩ひのすべてを忘れて、
いかなることとも知らないで、私は
おまへに尽せるんだから幸福だ!


  無題 X 幸福

中原 中也

    X 幸福

幸福は厩うまやの中にゐる藁の上に。
幸福は和なごめる心には一挙にして分る。

頑なの心は、不幸でいらいらして、
せめてめまぐるしいものや
数々のものに心を紛らす。
そして益々不幸だ。

幸福は、休んでゐる
そして明らかになすべきことを
少しづつ持ち、
幸福は、理解に富んでゐる。

頑なの心は、理解に欠けて、
なすべきをしらず、ただ利に走り、
意気消沈して、怒りやすく、
人に嫌はれて、自らも悲しい。

されば人よ、つねにまづ従はんとせよ。
従ひて、迎へられんとには非あらず、
従ふことのみ学びとなるべく、学びて
汝が品格を高め、そが働きの裕ゆたかとならんため!


  村の時計

中原 中也

村の大きな時計は、
ひねもす動いてゐた

その字板のペンキは
もう艶が消えてゐた

近寄つてみると、
小さなひびが沢山にあるのだつた

それで夕陽が当たつてさへが、
おとなしい色をしてゐた

時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴つた

字板が鳴るのか中の器械が鳴るのか
僕にも誰にも分らなかつた


  室生犀星氏

室生 犀星

みやこのはてはかぎりなけれど
わがゆくみちはいんいんたり
やつれてひたひあをかれど
われはかの室生犀星なり
脳はくさりてときならぬ牡丹をつづり
あひもとはさだかならねど
みやこの午前
すてつきをもて生けるとしはなく
ねむりぐすりのねざめより
眼のゆくあなたは緑けぶりぬと
午前をうれしみ辿り
うつとりとうつくしく
たとへばひとなみの生活をおくらむと
なみかぜ荒きかなたを歩むなり
されどもすでにああ四月となり
さくらしんじつに燃えれうらんたれど
れうらんの賑ひに交はらず
賑ひを怨ずることはなく唯うつとりと
すてつきをもて
つねにつねにただひとり
謹慎無二の坂の上
くだらむとするわれなり
ときにあしたより
とほくみやこのはてをさまよひ
ただひとりうつとりと
いき絶えむことを専念す
ああ四月となれど
桜を痛めまれなれどげにうすゆき降る
哀しみ深甚にして坐られず
たちまちにしてかんげきす


  椰子の実

島崎 藤村

名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ

故郷の岸を離れて
汝はそも波に幾月

旧の機は生ひや茂れる
枝はなほ影をやなせる

われもまた渚を枕
孤身の浮寝の旅ぞ

実をとりて胸にあつれば
新たなり流離の憂

海の日の沈むを見れば
たぎり落つ異郷の涙

思ひやる八重の潮々
いづれの日にか国に帰らん


  柳 河

北原 白秋

もうし、もうし、柳河じや、
柳河じや。
かねの鳥居を見やしやんせ。
欄干橋を見やしやんせ。
(御者は喇叭の音ねをやめて、
 赤い夕日に手をかざす、)

あざみの生えた
あその家は、………
その家は、
ふるいむかしの遊女屋ノスカイヤ
人も住はぬ遊女屋ノスカイヤ

裏のBANKOバンコにゐる人は、………
あれは隣の継娘ままむすめ
継娘。
水に映つたそのかげは、………
そのかげは
母の形見の小手鞠を、
小手鞠を、
赤い毛糸でくくるのじや、
涙片手にくくるのじや。

もうし、もうし、旅のひと、
旅のひと。
あれ、あの三味をきかしやんせ。
にほの浮くのを見やしやんせ。
(御者は喇叭の音をたてて、
 あかい夕日の街に入る。)

夕焼、小焼、
明日天気になあれ。


  大和行

八木 重吉

大和の国の水は こころのようにながれ
はるばると 紀伊とのさかいの山山のつらなり
ああ 黄金きんのほそいいとにひかって
秋のこころが ふりそそぎます

さとうきびの一片をかじる
きたない子が 築地ついじからひょっくりとびだすのもうつくしい
このちさく赤い花も うれしくて
しんみりと むねへしみてゆきます

きょうはからりと 天気もいいんだし
わけもなく わたしは童話の世界をゆく
日はうらうらと わずかに 白い雲がわき
みかん畑には 少年の日の夢が ねむる

皇陵やまた みささぎのうえの しずかな雲や
追憶は はてしなく うつくしくうまれ
志幾しきの宮の 舞殿まいでんにゆかをならして そでをふる
白衣びゃくえの神女みこは くちびるが 紅あか


  山のあなた

K・ブッセ 上田 敏

山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
噫、われひとゝ尋めゆきて、
涙さしぐみかへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。


  雪

三好 達治

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。


  雪

堀口 大学

雪はふる! 雪はふる!
身よかし、天の祭なり!

空なる神の殿堂に
その祭ぞ酣なる!

たえまなく雪はふる、
をどれかし、鶫等よ!

うたへかし、鵯等!
ふる雪の白さの中にて!

いと聖く雪はふる、
沈黙の中に散る花弁!

雪はしとやかに
踊りつつ地上に来る。

雪はふる! 雪はふる!
白き翼の聖天使!

われ等が庭に身のまはりに
ささやき歌ひ雪はふる!

ふり来るは恵みの麺麭なり!
小さく白き雪の足!

地上にも屋根の上にも
いと白く雪はふる。

冬の花弁の雪はふる!
地上の子等の祭なり!


  雪

金子 みすゞ

誰も知らない野の果てで
青い小鳥が死にました
さむいさむいくれ方に

そのなきがらを埋めよとて
お空は雪を撒きました
ふかくふかく音もなく

人は知らねど人里の
家もおともにたちました
しろいしろい被衣かつぎ着て

やがてほのぼのあくる朝
空はみごとに晴れました
あをくあをくうつくしく

いきれいなたましひの
神さまのお國へゆくみちを
ひろくひろくあけようと


  雪に

金子 みすゞ

海にふる雪は、海になる。
街にふる雪は、泥になる。
山にふる雪は、雪でゐる。

空にまだゐる雪、どォれがお好き。


  ゆふすげびと

立原 道造

かなしみではなかつた日のながれる雲の下に
僕はあなたの口にする言葉をおぼえた
それはひとつの花の名であつた
それは黄いろの淡いあはい花だつた

僕はなんにも知つてゐなかつた
なにかを知りたく うつとりしてゐた
そしてときどき思ふのだが 一体なにを
だれを待つてゐたのだらうかと

昨日の風に鳴つてゐた 林を透いた青空に
かうばしい さびしい光のまんなかに
あの叢に 咲いてゐた……さうしてけふもその花は
思ひなしだが 悔いのやうに……
しかし僕は老いすぎた 若い身空で
あなたを悔いなく去らせたほどに!


  W 夢のあと

立原 道造

《おまへの 心は わからなくなつた
《私の こころは わからなくなつた

かけた月が 空のなかばに
かかつてゐる 梢のあひだに――
いつか 風が やんでゐる
蚊の鳴く声が かすかにきこえる

それは そのまま 過ぎるだらう!
私らのまはりの この しづかな夜

きつといつかは(あれはぬかしのことだつた)と
私らの こころが おもひかへすだけならば!……

《おまへの心は わからなくなつた
《私のこころは わからなくなつた


  ] 夢みたものは・・・・・・

立原 道造

夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛

山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊りををどつてゐる

告げて うたつてゐのは
青い翼の一羽の小鳥
低い枝で うたつてゐる

夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と


  よごれつちまつた悲しみに・・・・・

中原 中也

よごれつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる・・・・・


  酒精中毒者の死

萩原 朔太郎

あふむきに死んでゐる酒精中毒者の、
まつしろい腹のへんから、
えたいのわからぬものが流れてゐる、
透明な青い血漿と、
腐つたはらわたと、
らうまちすの爛れた手くびと、
ぐにゃぐにゃした臓物と、
そこらいちめん、
地べたはぴかぴか光つてゐる、
草はするどくとがつてゐる、
すべてがらぢうむのやうに光つてゐる。
こんなさびしい風景の中にうきあがつて、
白つぽけた殺人者の顔が、
草のやうにびらびら笑つてゐる。


  酔っぱらいの舟

J・A・ランボー 金子光晴

ひろびろとして、なんの手応えもない大河を僕がくだっていったとき、
船曳きたちにひかれていたことも、いつしかおぼえなくなった。
罵りわめく亜米利加印度人たちが、その船曳をつかまえて、裸にし、
菜食した柱に釘づけて、弓矢の的にした。

フラマンの小麦や、イギリスの木綿をはこぶ僕にとっては、
乗組員のことなど、なんのかかわりもないことだ。
船曳たちの騒動がようやく遠ざかったあとで、
河は、はじめて僕のおもい通り、くだるがまにま僕をつれ去った。

ある冬のこと、沸き立つ潮のざわめきのまっただなかに、
あかん坊の頭脳のように思慮分別もわかず、僕は、ただ酔うた。
纜を解いて追ってくるどの半島も、
これ以上勝ちほこった混乱を覚えたことはなかった。

嵐が、僕の海のうえのざめきを祝いだ。
犠牲をはてしもしらずまろばす波浪にもてあそばれ、
キルク栓よりもかるがると、僕はおどった。
十夜つづけて、船尾の檣燈のうるんだ眼をなつかしむひまもなく。

子供らが丸囓りする青林檎よりも新鮮な海水は、
舟板の樅材にしみとおり、
僕らの酒じみや、嘔吐を洗いそそぎ
小錨や、舵を、もぎとっていった。

その時以来、僕は、空の星々をとかしこんだ乳のような、
海の詩に身も溺れこみ、
むさぼるように、淵の碧瑠璃をながめていると、
血の気も失せて、騒ぐ吃水線近く、時には、
ものおもわしげな水死人の沈んでゆくのを見た。

蒼茫たる海上は、見ているうちに、
アルコールよりも強烈に、竪琴の音よりもおおらかに、
金紅色に染め出され、
その拍節と、熱狂とが、
愛執のにがい焦色をかもし出す。

僕は知った。引っ裂かれた稲妻の天を、竜巻を。
よせ返す波と、走る射水を。
夕暮を、また、青鳩の群のように胸ふくらませる曙を。
時にはまた、あるとは信じられないものを、この眼が見た。

菫色に凝る雲々の峯を輝かせて、
神秘な怖れを身に浴びた落日や、
ギリシャ古劇の悲劇俳優たちのように、
はるかに、裾襞をふるわせて、舞台をめぐる立つ波を僕は見た。

目もくらむ光の雪のと降る良夜。
ものやさしくも、海の睫をふさぐ接吻や
水液のわき立ちかえるありさまや、
唄いつれる夜光虫の大群が、黄に青に変わるのを夢に見た。

それから、まる幾月も、僕は、ヒステリックな牛舎さながら、
暗礁に突っかける大波のあとを追う。
聖マリヤのまばゆい御足が、あばれまわる大洋の、
華づらを曲げて飼い馴らしたまうことも忘れはて。

漂着したそこは、この世にあるとも信ぜられないフロリダ州。
知ってるかい? あそここそは、
はるか水平線のした、青緑に群れなす波の背の、
手づなとかかる虹の水しぶきが、
人々の肌や、豹の眼の花々といりまじるところ。

怪物レビアタンの群が燈心草の間に腐臭を放つ大簗の
瘴癘の泥海もながめて過ぎ、
大凪の中心で逆流する水が、
はては、瀑布となって、深淵にきって落とされるのも見た。

氷河、銀の太陽、真珠色の波、燠のような、かじかんだ陽ざし。
にごった入江の奥ふかくに、ばらばらにこわれた坐礁船。
床虫に喰いちらされた大蛇どもが、陰惨な、へんな臭気を放って、
よじれ曲がった木の股から墜っこちてくるとろ。

この金色の魚、歌いながら青波をくぐってあそぶ真鯛の群を、
ふるさとの子供たちに見せてやりたいな。
花と咲く波の泡は、僕の漂流を祝福し、
えもいわれぬ涼風に乗って僕は、飛びたくなった、羽がほしくなった。

時にはまた、両極や、赤道地帯を、
殉教者のように倦みつかれて、海は、
すすり泣きで、やさしく僕をゆすぶる。
一日の血を吸い取った吸玉のように黄色い夕陽が、萎れ衰えゆくとき、
僕は、小娘のようにじっとひざまずく・・・・・・・。

そのとき、黄金の眼をした誹謗者、島に巣喰う海鳥の群が、
舷を訪れ、喧噪と糞を上からふらす。
もろい細索を越えて航海に疲れたものらが、
永遠のやすらいをとりに入水する時刻、
僕らは、侘しくもまた、船旅をつづける。

おもうがままに煙をふかしつつ、うす紫の霧靄に乗り、
赤ちゃけた空を、壁のようにくりぬいてすすむ僕。
よい詩人にとっては、無上の糖菓。
太陽のかさぶたや、空の洟汁を身につけてる僕。

火花と閃く衛星どもを伴い、黒々した海馬に護られて、
革命月の七月が、燃ゆる漏斗の紺碧ふかい晴天を
丸太ん棒でたたきこわした豪雨のなか、
一枚の板子のようにおろかにも、翻弄されてゆられる僕。

五十海里のむこう、発情した海のベヘモとくらい渦潮とが
抱きあってうめき叫ぶのをきいて身の毛もよだった僕。
どこまで行っても青い海を糸繰りながら、ゆきつくあてをもたぬ僕は、
古い胸壁めぐらしたヨーロッパをつねになつかしんだ。

僕は見た。空にふりまかれた星の群島を!
有頂天な空が、航海者たちをまねいているその島々を。
百万の黄金の鳥よ。未来の力よ。この底ふかい夜のいずくに、
おお。どこに、おまえは眠っているか。どこにかくれているか?

正直言えば、僕には、かなしいことがたくさんすぎた。
夜明けになるごとに、この胸ははり裂ける。
月の光は、いやらしく、日の光は、にがにがしい。
この身を噛みとる愛情は、ただ、喪失したような麻酔で、僕を脹ませるだけだ。
おお。僕の竜骨よ。めりめりと裂けよ!
おお、この身よ。海にさらわれてしまえ!

どれほどヨーロッパの海をなつかしんでみても、
匂わしい薄暮のころ、子供がひざまずいて、憂わしげな様子をして、
五月の蝶の羽のように、こわれやすい玩具の帆舟を放つ
くらい、冷たい、森の潴り水に、それはすぎないのだ。

おお、波よ! その倦怠をこの身に浴びてからは、
木綿をはこぶ荷舟の船脚をさまたげることも興がなく、
旗や、焔の誇りと張りあうのも、
門橋の怖ろしい眼をくぐって泳ぎつき、巨利をむさぼることも、
僕にはできなくなった。


  夜の船室にて

H・ハイネ 井上正蔵

海には真珠
そらには星
わが胸 わが胸
されどわが胸には恋

ひろきかな 海とそら
はるかにひろきはわが胸
真珠より星よりうつくしく
かがやきひかるわが胸の恋

わがうらわかきをとめよ
わがひろき胸にきたれ
げに恋のあまりに
わが胸のおとろへ 海もそらも消ゆ

  *

うるはしき星のきらめく
あをぞらのとばりに
われくちびるをおしあて
はげしく いたく泣かまほしき

かの星こそ 恋びとのひとみなれ
いよよきらめき かがやきて
やさしくほほゑむ
あをぞらのとばりより

われ あをぞらのとばりへ
恋びとのひとみへ
せつなくも腕をのべ
祈り またねがふ

やさしきひとみよ
わが魂をよみしたまへ
われを死なしめ われに得さしめよ
おん身と またそらのすべてを

  *

そらにまたたくひとみより
金の火花ふるへつつおち
闇をつらぬきかがやけば
ああ わがこころいま恋にふくる

おお そらにまたたくひとみよ
わがこころに涙そそげよ
そのひかる星のなみだを
わがこころにあふれしめよ

  *

海のなみに
まどろみの思ひにゆられて
われしずかに船室のかたすみの
をぐらき寝台にふす

ひらきたる小窓により
そらにきらめく星をあふぐ
そは わがなつかしき恋びとの
いとしき うつくしきひとみ

いとしき うつくしきひとみは
わが頭上をみつめ
あをぞらのとばりより
かがやきて会釈す

あをぞらのとばりのかたを
ひたすらにわれは見惚る
しろき霧のうすぎぬに
いとしきひとみの覆はるまで

  *

まどろみのわがまくらべの
ふなばたの板壁をうち
波は 荒波はどよめく
波はざわめき
ひそかにわが耳にささやく
「おろかなるものよ
そらはたくして汝が腕はみじかし
星はそらたかく
金の鋲もてとめられてあり
あこがれはむなし 吐息もむなし
ねむりいるこそいとよけれ」

  *

しじまの白雪とざす
ひろき荒野をわれゆめみたり
その白雪にうづもれ
ひとりつめたき死のねむりに落つ

されど くらきそらよりわが墓を
見おろすは星のひとみ うつくしきまなこ
そのまなこ かちほこりてかがやきぬ
しづかに笑みてなほも おもひこもれり


  旅 愁

吉田 一穂

病みて帰るさの旅の津軽海峡。
 (月は傾く・・・・)

ふる郷の砂丘に秘めし貝の葉の、
はるかな想ひ、乱れ、航跡コース、青く、
光り消ゆ魚城のまぼろし。

月は今、沈む、帰るさ船路に。


  臨 終

中原 中也

秋空は鈍色にびいろにして
黒馬の瞳のひかり
水涸れて落つる百合花
あゝ こころうつろなるかな

神もなくしるべもなくて
窓近く婦をみなの逝きぬ
白き空盲めしひありて
白き風冷たくありぬ

窓際に髪を洗へば
その腕の優しくありぬ
朝の日は澪こぼれてありぬ
水の音したたりてゐぬ

町々はさやぎてありぬ
子等の声もつれてありぬ
しかはあれ この魂はいかにとなるか?
うすらぎて 空となるか?


  ローレライ

H・ハイネ 近藤朔風

なじかは知らねど 心わびて、
昔の伝説は そぞろ身にしむ。
寥しく暮れゆく ラインの流、
入日に山々 あかく栄ゆる。

うるわし少女おとめの 巌頭いわおに立ちて、
黄金の櫛とり 髪のみだれを、
きつつ口吟くちずさぶ 歌の声の、
神怪くすしき魔力ちからに 魂たまも迷う。

こぎゆく舟びと 歌に憧れ、
岩根も見為みやらず 仰げばやがて、
波間に沈むる ひとも舟も、
神怪き魔歌まがうた 謡うたうローレライ


  わがひとに与ふる哀歌

伊東 静雄

太陽は美しく輝き
あるひは 太陽の美しく輝くことを希ねが
手をかたくくみあはせ
しづかに私たちは歩いて行つた
かく誘ふものの何であらうとも
私たちの内の
誘はるる清らかさを私は信ずる
無縁の人はたとへ
島々は恒に替らず鳴き
草木の囁きは時をわかたずとするとも
いま私たちは聴く
私たちの意志の姿勢で
それらの無辺な広大の讃歌を
あゝ」わがひと
輝くこの日光の中に忍びこんでゐる
音なき空虚を
歴然と見わくる日の発明の
何にならう
かない 人気ない山に上り
切に希はれた太陽をして
殆ど死した湖の一面に遍照さするのに


  わかれる昼に

立原 道造

ゆさぶれ 青い梢を
もぎとれ 青い木の実を
ひとよ 昼はとほく澄みわたるので
私のかへつて行く故里が こかにとほくあるやうだ

何もみな うつとりと今は親切にしてくれる
追憶よりも淡く すこしもちがはない静かさで
単調な 浮雲と風のもつれあひも
きのふの私のうたつてゐたままに

弱い心を 投げあげろ
噛みすてた青くさい核たねを放るやうに
ゆさぶれ ゆさぶれ

ひとよ
いろいろなものがやさしく見いるので
唇を噛んで 私は憤ることが出来ないやうだ


  私と小鳥と鈴と

金子 みすゞ

私が兩手をひろげても、
お空はちつとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。

私がからだをゆすつても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがつて、みんないい。


  私の髪の

金子 みすゞ

私の髪の光るのは、
 いつも母さま、撫でるから。

私のお鼻の低いのは、
 いつも私が鳴らすから。

私のエプロンの白いのは、
 いつも母さま、洗ふから。

私のお色の黒いのは、
 私が煎豆食べるから。

書架