書架
       春情妓談水揚帳

 昔、花川の渡しとか呼びたる竹町のほとりに好色なる男ありけり。
 商売の丸太杉が立ち続けと言いたるは、丈八が金言なりと甘んじ、朝に花を眺めては
「あれもうどうも」と耳たぶの赤らむの色を思い出し、夕に紅葉を愛でるときは、裳裾にひらめく下紐の紅なるに比べつ、さかずきをあぐるにも剣菱のこわごわしき名を嫌い、妹が小袖に染めなせる花筏こそよけれとつぶやき、赤貝の形のおかしげなる蓴菜の滑らかなるに舌打ちして閨房事にのみ暮らしたが、好きこそものの上手なれと諺にもいうめれば、いでやかの興ある冊子を作らんとさまざまに案ずれども、いまは鶺鴒の教えをも待たず、茶臼を見ては逆床をはじめ、刺し鯖に習いては後ろ取りをたくみ、四十八手はさておきぬ百手千手の秘術を尽くした上なれば、さらにいわんことをしもしらず。
 ただ近きあたりにして、このごろ人の物語を水揚帳の反古の裏へ拾い書きして、書名をも水揚帳とて呼びなすは、かかる双紙を作りいづる初事という意なるべし。

一 番頭の一言はよく釘の利三寸貫木

 ところはそんじょそこらの裏茶屋。
 口さがなきようなれど、二階のさまをあらあらいわんに、見つけの壁はお定まりの泥黄土。
 三尺の床の間は房州砂の裾どおりに江ノ島のしゃれ貝をぬり込み、煤竹のおとしがけ。
 掛け物は光琳風の一輪椿の袋表具。
 花活けは鮎籠に木咲きの梅のからみつき、垂撥のかけるべきところへ大小書きたるお多福の面。
 麦わらの蛇と熊手は屋根裏の埃に埋もれ、一間の押し入れのあとはようやく五畳敷き。
 ここにあやしき夜具を設け、床の上に腹這いになり、客の鼻紙袋からやたらに小菊を引き出して、枕紙をあてがえているは舞鶴屋のつけ廻し、菊里が番頭新造で菊の井というあだものにて、年のほどは二十一〜二十二。
 色白にてぽちゃぽちゃとした肉あい、黒目がちにて口元可愛く、座敷持ちより浮気をするのはこれがよいとの我が儘もの。
 ひっつめ島田に角だちの笄こうがい、水色の前髪留をおっこちそうにちょいと差し、帯と上着と客の羽織はたたみもせずに屏風へ投げかけ、心意気の都々逸を小声に歌うているところへ、上がってくるは小七とて黒船町の茶道具屋。
 梯子から下を覗き、
「なに、お楽しみどころかえ。あとはいつでもお苦しみさ。鐘四ツを打ったなら、おっかあ、きっと知らせてくんな。揚屋町のが聞こえるだろう」 と捨て台詞を言いながら、鞠型の煙草入れと半染めの手拭いを左の手にひっつかみ、右の手に墨水型の四分一の煙管を持って、ちょいと屏風を一枚はねのけ、
「おや、お早いお手回しだ。いつの間にかお休みだ。これ、なんぼ人の紙だってちょいと寝るばかりだに一枚巻いておけばいいに、たっぴつにおごりかけるの。あれ、羽織もたたまずにさ。世帯知らずもほどがあらぁ。てめえをかかあに持つ者ぁ因果だぜえ」と言いながら無軌道に夜着をのけると、
「あれさ、足が出ているわな」
「何が出てもいいじゃあねえか」
「それだって気恥ずかしい」
「十年ばかり以前にやぁ、恥ずかしいこともあったろう」
「おや、かわいそうに。あれ、主こそ世帯知らずだ。皺になるから下着になんな」と帯をぐるぐるたぐり出し上着を脱がせて、互いに見合わす顔と顔。
 右の手を枕の間へ差し掛けて、やわらかなふくらはぎを男へちょいとかけると、男は心得たものなれ、右の手はどこへ行ったか。
 女は少し顔をしかめ、
「おや、つべてえ手だのぉ」
「なあに、てめえの肌があったかいのだ。たいそうにぽちゃ肥りしている」
「ほんにわたしやぁ、どこまでまあ肥るだろう。こりゃあ酒のせいだっさ」と、あとは小声で、
「よしなよ。おじょうさまじゃあ、あるめえし。そんなことを言わずともいいわな。それだってな。おめえ、もうなんだか嬉しそうじゃあねえか」
「そりゃあ生きている体だもの」と耳がほんのり赤くなると、眉毛の間へ皺がより、いかにも怨まずげに我知らずくぜつの囁き。
「あれさ、いけない人」というに、鼻息せわしく、我知らず体に波を打たせ
「あれさ、もうよしなというに。情の強こわい」と男の手を無理に押しのけ、上へいだき上げてあてがいて、さまざま体をもじらすれば、男はわざと進めず、やわりやわりとあしらわれ、女はいよいよ夢中になり、このごろ流行る横取りと本手の間に持ち掛けて、右の足を踏み伸ばし、左の足の踵にて男を引き締め引き締め、一人であせって、
「ああ、どうも。さげすまされてもしかたがない」と情を移し、ため息ついて目を開き、男の頬を指にてつき、
「平気な顔でさ、憎らしい」と、なおも下から持ち掛け持ち掛け、小袖をはおって体をぴったりとあわすれば、情の水冷たく流れ、総籬そうまがきの新造の尊さここに表われて、地者の味に異ならず。
 その上、思う男なれば、(どうがなして心よく。早く情を移させん)と気をもみすぎて、おのれもまた再度味な心地になり、息づきせわしく、火のように熱い頬を頬へすりつけ、我を忘れて取り乱せば、男もいまはこらえかね、力一杯抱きしめ、一時に水のもれるとおぼしく、目をおしねぶりて、ぎちぎちと枕の音のするばかり。
 言葉はなくてその口打って、
「ああ、もう口がはしゃいだ」と男の口へ唇をつけて、
「あれ、嫌そうに。ちっとばかり、もっと唇をお出しなんし」と唾を呑み込み、下着の袂いろいろに探してみて、
「おや、何を落としたそうだ」と小菊を取って息を吹き掛け、片手でもむは読ませぬためなり。
「あれさ、冗談じゃあないよ。お屋敷じみて、いっそもう外聞が悪いよ」と笑ってしまえば、小七は笑い、
「外聞とはほかの聞こえ。てめえが二度どうかしたをほかで聞いているもんか。ときにいつがいつもこうして逢うも窮屈だが、どうか二階は明かめえかの」と問えば、菊の井腹這いにて煙草盆を引き寄せながら、
「そりゃあ私も如才がねえのさ。伊勢町の客人からそれきた金を通屈して竹屋のほうは済んでしまうし、いちばん難しいおしげどんには法華宗の信心話で主がこううまく合わせておかしったから、『小七さんはどうしなすった』と聞くほどだが、どうしたことか花魁が小七さんを呼ばしっちゃあ、やれどうのこうだのと、この一段が冷えねえばかりさ。菊里さんが大方、主に気でもあらっしゃるのだろう」と尻目にちょいと顔を見ると、小七はずっと起き上がり、
「いや、そいつぁまず耳寄りだ。あ、熱い。とんだ煙管の焼金場。安寿姫にやぁ受け取りにくい。そんならこうと花魁に、ためになる客人をひきつけたらどうだろう」
「そうせえしてくれさっしゃりゃあ、どうでもなるにちげえはねえが、主はあてでもあらっしゃるか」
「きっと当てがあるでもねえが、このあいだ八文字屋の本を見てから、ちっとばかり思い付いたことがある。菊里さんの夜具はやっぱり俺が知った古いのか」
「あいさ。新町の提灯の印のような波があって」と言いながら煙草入れを手にとって、都鳥の根付けをちょっと小七に見せ、
「こんな鳥がついておりいず」
「う、あつぁ鴛鴦ぎれの写しでいいころなふるびだっけ。そいつをやって立派な夜具をこしらえさせて、敷初しきぞめまでさせる段は、耳をかしな。の。それ。こうすると、こうなる」と何かひそひそ話すうち、引けの拍子木コンコンコン。

二 二十を越えたが囲いには面白い床柱

 げにや枯れたる榎にも吹き付け紙の花ぞ咲き、誓いはしるき日ごとの賑わい。
 野寺あるてふ昔にひきかえ、石の枕は宮戸橋にその面影を残すのみにて、姥が池に泡も立たねば、茶筅もいまは買い人少なく、変わらぬものは楊枝見世。
 白歯を磨いて出しておけば猿より人を呼子鳥。
 人丸堂のほとりまで水茶屋は軒を並べ、輪出しに結い、銀杏に結び、つぶし芸子やのめし髷。
 鼈甲は太きを尊び、銀かんざしは細きをいとわず、長い煙管に短い前垂れ。
 新造年増のよりどりみどり。
 小間物、絵双紙、貝細工。
 能代まがいのガラスは出来合い扇の箔紋とその光を争えば、縮緬紙の紫は紅丈長の朱を奪えり。
 赤玉の薬屋は並びの数珠の看板で間に合わせるかといとおかしく、お多福の名を着せたる弁天の向こう店に見面みめよりを製すも興あり。
 これは皆様ご存じの、はねたりとんだりよいよいの、拍子は後の大神宮の、拍手の声に混じ、名代の榧の砂糖漬け。
 鬼がちゃんちゃん打ち鳴らす鉦鼓は六部の回向にまがえり。
 されば手遊び屋に見世を張り、くだりのおやま人形も緋縮緬の二布でなければ人の目につかぬが浮き世。
 松風を鬮くじでとらせる鼠は人の詞を聞きわけ、酒といえば銚子をくわえ、女郎といえば土木偶の姉さまを持ってくる。
 嗚呼、生きとし生けるもの、淫酒の二つは離れがたし。

 ここらあたりの茶見世の奥は蒲団も敷かず、かいまき代わりのどてらをすそへ引っ掛けて天の岩戸にあらねども、簾おろした床闇に昼を夜なる二人寝にぽつぽつ話している。
 女はこの家の娘分、お初という浮気もの。
 はや、鉄漿をくいたがるとか。
 白歯はうるみ、眉毛も立ち、顔は少しあらびたれども、抱えてさてどうかにするには面白い真最中。
 男は三十余りに見え、田町辺りのちょっとした呉服屋の旦那株。
 松田屋の徳兵衛とて苦みばしった色男。
「こう、先度から次郎吉がてめえに誰かを世話しようと骨を折っているそうだ。いつまでも俺が世話になっていても詰まらねえ。相応な者ならば家へ入れるがいいじゃねえか」
「嫌だよ」
「そりゃあ、はや俺が前で『うん』とも言われめえが、相談づくにするがいい。ご婚礼のお支度のご注文はうけたまわろう」
「ええ。嫌だと言うにひつっこい」と、ちょいと男の肩を食い付き、
「家の小指がやかましいもんだから親切ごかしに『長棹のその手じゃゆかぬ。出直して』と浜村屋が言ったならじやじやがこようけれど、私じゃあ収まらねえ。ねえ、徳さん、そんなにびくびくしなさんな。なんぼこんなとんちきでも、『女房去らせてわしがなる』と古い台詞は言わねえよ。こうしているが気楽でいい」と男をぐっと引き寄せて、
「いま、黒丸子を呑んだから、ちょっとにがきゃ堪忍おし」
 と、たっぷり口を吸わせ、股の間へ男を挟んで仰向け様に体をひねれば、男は女の下前をかきのけながら乗りかかり、
「濃浅黄の大幅を三筋だけよこしたに、一筋おろして締めればいい。水へ入った縮緬はざらざらして、膝っ小僧へあたり心が悪いもんだ」と栄耀に餅の皮ならで剥くように二布をまくれば、女はそこへあたるようにそっくりと持ってくる。
 嗚呼、このお初という娘、革羽織とか世にうたう摺りがらしのように見ゆれど、子どものときより小癪にて、逃げ隠れはせしかども、すぐさま親に取り戻され、亭主は持たず、商売はせず、近年までは六十余の老人に囲われて、堪能をするほどに男に会いしことなければ、打ち見のすごきにひきかえて、まだかの心は顔ほど荒らびず。
 お歯向き心で吸わせた口で己が味に気が変わり、門口ばかりあしらわれるがもどかしく、訴えるごとく身は畳に落ち着かず、風に漂う海女小舟、浮きつ沈みつするほどに、枕に楫の音聞こえ、満ちくる潮は藻屑を伝いてあふれ、男の体を両足に引き締めては緩め、また引き締めては我身を引き、腹をつかせ、すりつけ、男の攻めも待たず、己一人で秘術を尽くし、ようやく正気に立ち戻り、
「ああ、もう、暑い」と目を開き、
「なんだな。人の顔を見ておかしいことがあるものか」と言うに徳兵衛笑いを含み、
「なぁに、ひがみこんじゃうな。誰がおめえを笑うものか。何もこれが隠れ忍んでこうしているというではなし。静かにしてもいいことになったろうにあせるから、これ、びっしょりと汗になった」
「そうかの。どうりで肌が冷たい」
「馬鹿な。そりゃあ汗じゃあねえだろう。どれどれ、どこが何だ」
「あれさ、話をおいちゃあ悪いわな。なんだかどう暗くしても、こう昼は気が散って、しんみりとしねえようだ」
「それじゃあ、このくれえならしんみりしただろう。お初さん、おらあ、おめえに頼みがある」
「なんだな。人を馬鹿にして。早く言ってお聞かせな」
「願いといってほかでもねえ。おめえのややを」と。
 女はわけなく嬉しがり、
「男の情を移すときが、わっちゃあ、いっち嬉しい」と夢のようになっている。

 表へ雪駄の音せわしく入りきたるは道具屋小七。
 茶くみ女のお福に向かい、
「徳さんはいなさるか」
「いいえ」
「なあに、しらを切んなさんな。俺と一緒に一昨日買った唐丸の雪駄があらあ」と、奥へ行くのをお福が止め、
「何だかいま、用があるから誰がきてもよこしちゃあわりい、と言っておきなさった。私がちょっとそう申して」
「はて。野暮を言いなさんな。用はたいがい知れたもんだ。俺に隠すこたあねえ」と、障子を開けてずっと入り、
「もう、ええ加減、痴話んねえ」と言われてお初は帯をとり、ぐるぐると巻きながら、
「おや、小七さん。案内もせず、ずかずかと。不躾でも何でもないよ。お福さん、お茶を三つ。二つはうめてぬるいがよいよ」と、ちょいと火入れへ手をかざし、
「さあ、一服おあがりな」と差し出せば、小七は煙管を取り出しながら、
「こう、徳さん。ちと欲張った話だが、うんとさい言いなさりゃあ、まんざらでねえことがある」と言われて徳兵衛は、図々しく寝ながら振り向き、
「うまくいくなら乗りもしようが、まあ、筋を言ってみねえ」
「さあ、狂言の発端は、舞鶴屋の菊里が夜具は大丸でできたっけが、京機きょうばたの鴛鴦ぎれえ。いいころにふるびがついて、私が見ても古金襴さ。さて、それからの思い付き、回り遠いようなこったが、あの聖天へ日参でいつもここへ寄り付けの江戸神のきたり喜之助。あいつを玉に」と、言いかけるを見世からお福が飛び出て、
「もし。喜のさんは先しがた、また例ののたまくで、それ、そこへ転げ込んで縁側に寝ていなはった。めったなことをお言いでないよ」と言うに、お初はいまの騒ぎを洩れ聞かれしかと呆れ顔。
「おや、お福さん。なぜ私にそう言っておくれでない」とこわごわ障子を開けてみて、
「なあに、白川夜船でさ、遠慮はないさあ。お話し」と笑えば、お福は口小言。
「喜のさんがおいでだとあれほどさっき言ったのに、自分が夢中になっていて、知らせてくれぬもよくできた」と尻目に見やって立っていく。
 小七は少し小声になり、
「おめえは心安い人だが、俺はほんの見知りごし。いい旦那について歩いて、おつう座敷も持つそうだ。もし、あの人に」と耳に口。
「ね。よしか。そうするとあの先生が、どこかの旦那へ働きぶりに話しかけると欲の世の中、ぜひその夜具を取ろうと思って乗り込んできたそのときに、菊の井にのみ込ませ、代わりの夜具はおめえのところへ来るように働かせる」と聞いて徳兵衛、にこにこ顔。
「そいつはどうかいきそうだ」と、お初のほうを振り返り、
「主と俺は知らぬ顔で見世に腰をかけているから、喜印を起こしてみな」と言えばお初は笑みを含み、
「ここへはよく聞こえましたよ。それができると小七さん」
「しっかり奢りやす。おめえ何でも口まかせ。相槌を打ってくんな」と。

 二人が外に立ちいずれば、お初は茶碗に水を取り寄せ、
「喜のさん、喜のさん、日が暮れるよ。水を一杯おあがりな」と揺り起こされてびっくり飛び起き、
「いやはやとんだ夢を見て、心持ちが味になった」と茶碗をとってぐっと一息。
 呆然としたる顔、差し覗き、
「何の夢を見なはった」とお初に問われて吐息をつき、
「観音様の本堂で通夜をしていたところが、額に描いた頼政が抜けて出たと思いねえ。古法眼の馬が夜よる、草を食いに出たそうだが、頼政も浅草餅でも食いにゆくのか、けだしまた大みつへ矢大臣と出かけるのかと見ていると、天上から紫雲が下りて天人が降りてきて、ことかいなあの御姿。ころりと寝ると頼政は心得顔にして近寄り、蜀江錦の二布に触れれば、霊香四方に薫じ、むくむくとしてうまそうな無明の酒の酒太り、雪の肌えということも天上よりや言いそめけん、木にさえ餅のなる世界、股の間の饅頭もあるであろうと、好ましく頼政は目を細くして、
 『あれ、あれ、家臣猪の早太は鵺をとらえて九刀ここのかたな。俺はそもじを切り通す、どうじゃ、どうじゃ』と、ややしばらく何からやらどきから起こる霓裳羽衣げいしょうういの天上楽に、袖を翻して三度まで舞い返されて天人は、ただ『はあ、何』という声も、簫、笛、琴、箜篌くご。夕日ほど顔はほんのり赤くなり、極楽中がひときりよ。それよりはいなと肌も天衣も八功徳池の波に濡れて、
 『こういうところを菖蒲さんが見てなら腹をお立ちだろう』と、男の顔へうちかける足高山や風市ふじ三里。もうもう、いつかそのときも幽かになりて天津乙女の極楽のところをありあり見て、ああ、もう、どうもよい夢を見た。お福さんでも貸してくんな」と言われて、お初は傷を持つ足。
 いま、取り乱せしわが声を聞きてのことかと笑いも出でず、
「おやもう、いかな」と言ったばかり。
 喜之助は小首を傾け、
「蛇の交尾を見てさえも仕合がよいという。天人の遊牝さかるを見たらいいことが吹き付けよう」と一人で祝っている面に、小七が声にて高々と、
「徳兵衛さん、ちっと金さえ働くと、儲かることがありやすね。舞鶴屋の菊里が夜具をよく見なすったか」と問えば徳兵衛、真顔にて、
「あれはこの前、長崎の客人がこしらえてやらしった古金襴」
「そうさ。本圀寺の鴛鴦裂にちっとも違ったこたあねえ。茶入れの袋だけあると捨て売りでも七十両。夜着と蒲団が丸であると立派な地面が四、五か所買える。禿育ちで人がいいから、この夜具を古くなったと気にしているところへつけ込み、あいつをこっちへ巻き上げて、といったところだが元手がねえ。いや、だいぶ陽が傾いた。徳兵衛さん、おゆるり」と立ち上がるを押しとどめ、
「どうで、今夜もあっちだろう。一緒に中の前まで行こう。お福坊、気をつけな」と小七とうち連れ、徳兵衛も忙がしそうに立ち返る。
 喜之助、これを洩れ聞きて酒の酔いもさらりと醒め、
「お初さん、いま、おもてで噂のあった菊里は見世だっけの」
「とんだことをお忘れだ。付け回しでいい女郎衆さ。そのくせに下総の五分一で田左衛門という百姓の娘だっさ。七つのときに売れたが、ぜんたいが貰い子でほんの親を探していると、それを文使いの七どんが詳しく話して聞かせた」と、茶汲みのお福が親里を思い出すまま菊里が生まれ故郷にとりなして、口から出まかせ言うとは知らず、己が渾名あだなのきたりと手を打ち、暇もこわず走り出す喜之助。
 その行き先は次に見えたり。

三 田舎家の別荘は繁昌の地に秋田杉

「待乳山。金龍山とも聖天山ともいう。古木生い茂り、砂石山なり。仁王門の下蓮池のなかに弁天の社あり。この山の風景言語におよびがたし。かの土手通いする二挺だちの船は、浅草川より新鳥越の橋へこぎいれ、汐なきときは橋より前にてあがり、山の麓を徒歩にてゆくを、山の茶屋から知る人の見ることもやとて、熊谷笠をふせてかぶり、または羽織をうちかついで行けども、なりふりあゆみぶり、草履取りにてやがて見しりて、手をたたきてよびかくる――」と、『紫の一本』を女房お春に読んで聞かせるこの家の主は、治平とて人に知られし紙問屋、年のころは四十ばかり。
 昔は石町秀佳と呼ばれ、小娘、人の女房にも不料簡を出させし男。
 色香は失せて身ぎれいにて、垢と嫌味は微塵もなく、第一によいことは金銀があり余り、年々に利が利を産むこと鼠算はものかはにて、算盤の桁をはずして奢りにかけても世帯は傷まず、惣領の治之助に石町の見世を預け、その次は女の子、お今というて今年十七。
 去々年の春、秩父さまのお小姓にあげしとき、古今という名をくだされしが、容貌はよし、利発ゆえ、奥さまの御意にかない、ご自慢心で御遊山のお供にもいちはながけ。
 手習い、つま琴、茶の湯まで、それぞれの師匠があがって稽古するにも自由がたり。
 家にいるより気散じなと文のたびたびに言いおこせば、まずこれも苦労はなく、自分の妹は治平が父のまだ存生であるうちに本町辺りへ娶入せて、いまでは二人の子持ちなれば離縁さられて戻る案じもなし。
 この上なき身の上。
 あまりに繁花の土地に飽き、見晴らしのよきところこそよけれと、待乳山を背に隅田川を前に控えし地面を往年求めおき、茅門がかりの格子の入り口、木地を見せたる板塀の裏にひっしと竹を植え込み、住居はさまで広からねど、風雅を尽せし高殿の銅炉を仮の炬燵にして、ころりと寝て肱枕。
 女房お春は煙草を吸いつけ、丁寧に拭いて差し出し、
「いま、お読みなすったところがここのお山でござりますか。そのように編み笠をかぶって遊びに参りますは、おかしな姿でござりましょう。ああ、御膳をいただきすぎて腹がせつのうござります。ご退屈ならお銚子でも少し、あなた、あがりませんか」と、あじな詞の残っているこの女房の店卸し、また例の口さがなく、かいつまんでここに言うべし。
 もとこのお春は金杉の紙屑問屋の秘蔵娘、七つ八つより踊りが好きにて板東お実が弟子となり、十三ばかりのころなりけん、誰人いうとなくお春があだ名を悪酒といいはやせり。
 ついには親の耳に入り、元来、娘は酒も呑まず、よしんば呑みたりとも女子のこと、酒に乱れんようもなしと心得がたく思いしが、これに一条の因縁あり。
 坂本辺りの水菓子屋の吉蔵という息子、十七ばかりの若衆にて、杵屋突太郎が門に入り、三味線をよくひきつ。
 人、水吉と呼びなせり。
 お春が地弾のおたつという女は大の浮気もの。
 杵屋のきねの太きを見込み、臼をこちから持ちかけて、あそこの茶屋で口説かんと、毎晩、毎晩の忍び逢い。
 とにかくお春が邪魔ゆえ、これへも誰ぞ相手をあてがい、二臼ずつで稼がんと年ごろも相応なれば、かの水吉をお春に取り持ち、踊りのさらいの騒ぎのまぎれ、楽屋で初めて会わせたるを、何人か見つけてお春のことを悪酒とあだ名せしは水が割ってあるとのことと湯屋で噂をお春が父、聞きより大いに驚き、おたつはすぐに長のおいとま。
 娘は踊りをいいたてに梶原さまの奥へ出し、お小姓となりお側へとあがり、今年まで勤めしが、この治平が前の女房死去し、その後へ、
「あの子はどうであろう。ちっと年は違えども、金に困らず厄介なし。あれほど気楽なところはない」と三分礼より十分一とるが巧者な薮にいる竹斎が中人口。
 治平がほうへお見舞申し、
「こうこういう女があるが、中肉で真っ白な足の指がぴんと反り、口元の小さなところは極上品と愚老が見立て、そういうこともあるまいが、病労いの看病などには妾よりは女房でなければ薬の利が悪い、まだ三十にはなるまい」と、やっと二十一、二なる女を十ばかりふっかけ、とうとう見合いとこじつけて聖天の茶屋を借りしが、抱きつく縁があってやら、あんまり俺には若すぎると口には言えど、治平は承知。
 女のほうはどうであろうと、思いのほか子どものときから贔屓な秀佳に似ているとまんざらでなき様子なれば、すぐに相談取りきめ、披露目は後のことにしてまだ持ちたてほやほや女房。
 その容貌を詳しく見るに、時代に讃えれば花顔柳腰。
 世話にてこれをたとえんに、色白く、きめ細やかさは笹の雪という豆腐のごとく、腰の細くたおやかなるは、白滝と呼ぶ蒟蒻を百条ばかり束ねしに似たり。
 粧ず、剃らず、産毛の生えたる額は富士を映し、眉をはらいしその跡の青やかなるは春の海。
 さも涼しげなる目のうちには秋の水をや湛えぬらん。
 にっこり笑えば片方へ指の腹ほどえくぼが入り、尋常な口元から真っ黒な糸切り歯がちょっと見ゆる可愛らしさあれで、そのとき唇を食い付かれたら弁慶でも一度では堪えられまじ。
 着付けは結城の唐桟縞。
 くずしやの字に白茶の小柳。
 前垂れを締めるのが何よりも珍しく閑東嶋へ金襴での腰帯を紐につけ、縮緬は野鄙なりとて水でひとふり粘りを抜いた白羽二重の一布半から、肥えすぎず痩せすぎぬふくらはぎがちらめくをもし久米の仙人が見つけたら即死なるべし。
 髪には布のかけたいところを、亭主が老けているゆえに年増づくりの丈長ばかりで、丸髷にちんまり結らせ、飛騨春慶の政子形。
 四方木の五分珠入れし銀台鍍金の一本足。
 治平の顔を楽しみそうに眺めながら、延べの煙管で薄舞を呑んでいるところへばたばたと上がってくるは、このお春に金杉からついてきた女にてお君といえるひょうきんもの。
「稲荷雁木にいかいこと舟がついておりましたが、皆、下へ下がったそうで、たった一捜残っている。御遠眼鏡で見てやろう」と、さし覗いて、
「おやおや、なぜか上がり場でもないところへ舟をつけて、船頭が乱杭から、あれ、土手へ上がってどこかへ行く。おやおやおや、舟の内には年増の女と若い男が差し向かい。ぴったりと寄り掛かり、あれまあ、女の呑みかけた酒を男に呑ませます。さあ大事ができてきた。女が頬をすりつけて口を吸わせるつらのにくさ。そりゃこそ男が手をかけたは、赤いのが長襦袢。白いのは二布ゆもじであろう。我もの顔に手をかけてどうされるのか。女はいろいろ顔をしかめて倒れそうなのを男が抱いておりまする。おかみさん、おかみさん、ちょっとまあ、御覧じまし」と言われて、お春は見たくもあり、半ば夫の気をかけて、
「なんの簾も上げておき、日も暮れぬのにそんなことする者があるものか」と落ちつき顔に入れ代わり、見ればお君が言いしに違わず。
 女はもはやたまりかね、男の首へしがみつき、唇のうごめくは、(そんなにお前、じらさずとどうぞ早く)と言うのかと思えば味な心になり、
「おやおや、ほんに大胆な」と顔うち赤めて立ち退くをお君は待ちかねいるおりで、
「あれ、あれ。裾をまくりますと、女も手を差し入れて何をするのか、目を細くしてぽちぽちと話をするやら口がうごめく。目鏡へ耳をすりつけて、あの言うことは聞こえまいか。あれはきっと間男だ。どうしてやろう」と法界悋気。
 身をもみあせれば、治平は振り向き、
「そういうことをしようと思って船頭へ一分はずみ、上がり場でもないところへ舟をつけておかせたのだ。あれまあ、お君は夢中になって尻をもじもじすることは。遠眼鏡を出しておいて、とんだ罪をつくった」と笑うところへ上がってくるは、お銭といって島田のときからこの家に奉公した女。
 娘の古今の気に入りにて秩父さまについて上がり、いまでは姿も屋敷風。
 昨日の昼、お側女中にそっと頼まれて四ツ目屋へ買いに行き、古今の宿に用もあれば、明日までこの家へ泊りがけ。
 容貌の優れしというにもあらねど、色白く、でっぷり肥って身ぎれいなれば、抱きでがあって暖かそうでと、男の目につく年増盛り。
 心のうちはどうか知らねど、まず見たところはしとやか者。
「これ、お君さん、お前はまあ大きな声で下までも筒抜けだよ。まだ初々しいおかみさん、困っておいでなさろうに、下へおいで」と手をとられ、
「それだと言っても、あれ、いまが肝心のところだわな」
「見たばかりでは腹は張らぬよ。行きな」というに、
「情の強い」とお君はお銭にひったてられ、名残惜しげに下りていく。

 お春は治平にうち向かい、
「お銭という名は、百千の千の字でよいことを、あのお銭は何でまあ、銭という字を書きますね」
「お、あれは俺が名づけ親さ。あのとおりの大女で、たいそうに力がある。近江のお金の金に続いた働きのあるという意こころで銭とつけてやった」
「ほんにあれは力があって、古今さまのお人には気が丈夫でようござります」と言いながら、治平よりほかに人目もないのを幸い、また遠眼鏡をうかがい見るに、舟のなかはその最中。
 女はいと困りし気に船床へ両手をもたせ、うつぶして目をおし眠り、ときどき眉に皺を寄せるは、思う心の届かぬにや。
 さももどかしげに振り動かす手を男の膝へのせ、男のほうよりさまざまにもてくどかるるばかりと見え、応ずる心か息がはずむか口を開き、女はいよいよ上気して真っ赤になりし顔色の、少しさめしは満々たる気のもれたるかと。
 お春は見つめて耳たぶへほんのりと紅をさし、唾をいくたびか呑み込むを治平はそれと見てとりて、『るうふる』とかいう遠くへ声を届かする道具を取り出し、
「不義者見つけた。動くな」と舟を目当てに呼ばわれば、お春もびっくり振り返り、
「かわいそうに、二人ながら色青ざめて簾をおろし、きょろきょろそこらを見ております。殺生なことをあそばした。ああ、うかうか川を見ていたら寒くなった」と炬燵へあたるところを治平は押し転がし、ぐっと割り込み、膝頭をあててみるに、案にたがわず、触ったらこぼれそうなる水の出ばな。
 船頭への祝儀もいらず、さて女房は得なものと心におかしく、乗りかかられ、
「あれ、およしなされまし。誰か次へ参りました」と男へじっと抱きつきながら耳のそばへ口を寄せ、
「晩に寝てから楽しみに」と、あるかなきかの声にて言えば、治平、片頬に笑みを含み、
「誰が来てもいいじゃあねえか。それ、こんなになっているものを拭いてしまっては可惜あったらものだ」
 お春はそばの煙管を取り、雁首をひっかけて枕元の障子をばようようにたてたれども、まだ暮れきらぬ夕日の名残り、雲に映りていと明るく、しげしげ顔を見られるがどうもこうも恥ずかしさ。
 袖にて覆えばかきのけて口を吸われ、頬をすすられ、うつつもなげに仰向けに倒れたままに詞はなし。
 そもそも前に言うごとく、かの水吉に会いたるときは、恥ずかしいと怖いので子ども遊びのわけもなく、お座敷にあがりて後、枕草子に気を動かせ、つまじき朋輩と張形を使いならい、情のうつるは知りながら、ほんの男に抱きしめられ、可愛いもの、よいものと覚えたるはこの治平なれば、ちょっと足で触られても味な気になるその上に、今日はとりわけ船中の取り乱したる躰を見て、もだつくところを締め寄せられ、こういう目にあうその嬉しさ。
「ああ、もう、どうも」と言いたけれど、屋敷女はしつ深いと、もしや愛想のつきやせんと我を忘れて荒々しき鼻息をじっとこらえ、顔のしかむも辛抱してただ莞爾に目をねぶり、慎み深き美しさを眺めながら、治平はその味を食いしめるに、そのことに馴れたる女が上手を尽し、持ちかけてくれるより初心なところがなおうまく、愛敬づくった女の顔のどこやらが皺面になり、目はいよいよ眠りながら口を開いて、この情をうつすのにて、はしたなくなる女よりは神妙なが可愛さ、言わんかたなくおもいれお春に楽しませんと治平はさまざま秘術を尽し、はじめはつつみし鼻息も後にはしげく顔もくずれ、
「あれ、もう悪い冗談を。それではどうも」と鴬声の初音を出し、谷の氷の解けるがごとく、
「そうさ。ぐっと舌を出して。吸わせようが上手になったよ。肥ったようでも軽い体だ。この脛の白いことは、いつでも暗くして寝るからこなたの肌をば初めて見た」と撫でられも、お春は何の答えもせず。
 後生大事に男の首へかじりついている顔が、またほんのりと赤くなる。
 ようように目は開いても顔をそむけ、晩の用意にもんでおいた延べの紙を取り出すところへ、次の間からお君の声で、
「もし。喜之助さんが参りました」

四 樅の肌の美しい年増の答えは極上無節

 ここに隣をとどめしは、かのきたり喜之助に諸事の隣をとどめけり。
 観音の茶屋にては夢を見たのか、ただしまたお初が喜悦を障子越しうつつに聞いたか、たまりかねようようこのところへ走りきたり、二階へ上がれば主の治平、お春と仲良くしている最中。
 お目かけらるる旦那、もしご機嫌損ねてはと、こそこそと下へ降り、今日はいかなる悪日にて行く先も行く先も仲々だらけで、我ながら感涙を流しおる、と酔うるがごとくぐったりと寝転ぶ背中をとんと打つ。
「お久しぶりだね。喜のさん」と言われて後を振り返り、
「おや、お銭さん。お使いか」
「あい。ちっとお買い物で昨夜ここへ参りました。それそれ、ちょうどよいところ。誰もこぬうちこっちへおいで」と薄暗がりへ喜之助が手を引いて連れてゆき、抱きつくように背から袖をかけて耳に口。
「去年の秋、この前を連れ立ってお通りだっけ。それ、両替屋の彦三さん。仮名でいえば古今さまがお宿下がりをなさったとき、あの方を御覧じて、『どうぞ、あそこへ片づきたい』といまの娘は気がしゃれて、打ち明けて私をお頼み。それからよくよく聞いてみたら、三、四か所地面もあり、並木でお見世は蔵づくり。よい塩梅にあちらも独身、お年ごろもちょうどよし。下地を先へこしらえて旦那さまへ言い出したら、ご相談はすぐに決まろう。誰しも覚えのあることで、人に隠れてこわごわながら男に逢うほど、喜之助さん、面白いことはないよ。その面白さをあの子にもちっとさせてあげたいから、お前もどうぞ取り持って」と聞いて喜之助、頭をかき、
「あの彦三は難しかろう。見なさるとおり男はよし、金があるから衣裳つけ、持ち物までも五分もすかぬが、疵といったら悋きしわざ。女房を持つと物がいる、いつまでも独りでいて金を持ってくる養子をもらうほうがよっぽど得だと、二朱ぽっきりで人に隠れ、折節、遊びに行くばかり。小袖も羽織も自分にたたみ、衿紙あてる、火熨斗をかける。田楽屋のくずを買いてざくざく汁が大奢り。あれほど人を使いながら、朝々起きて飯をたき、紙煙草入れのたち落としを焚き付けに使うから、油臭くてこたえられねえ。言い出しても無駄らしい。しかし、芝居でよく言うやつだが、『魚心あれば水心』。お前が『うん』と言ってくれれば、骨っきり働こう。お銭さん、どうしてくれる」と抱きついて太股へ差し込む手先を、身を引きながら膝でしっくり挟まれると、かの大力にて動きもとれず。
 呆れはてたる喜之助が顔をそろそろさすりながら、
「もし。お屋敷女というものは、行儀正しく見えるのはほんの表向きばかりで、明けても暮れても色話。浮気になっているところへ、そんなことをしなさるとなぶられると知っていても、いっそ上気でならないわな。空言なら顔を出してお見。頬が熱くなったろう」とすりつけられて、夢のごとく、
「もったいない。どうしてお前をなぶるものか」と喜之助がもがくほど、なおお銭は平気。
「旦那さまの色事を取り持ってくれぬ人に、私ばかりがよいことをしてもらってはお義理が欠けるよ。ああ、もう味な気になった。喜のさん、その手を取っておくれ。水だくさんなお屋敷者。ひょっとお手が汚れると私は面目ない。ちょっとそっちの手を出して、この乳をいじってごらん。こんなにぷりぷり腹を立ってさ。遠眼鏡でお君どんが舟の内の出会いを見て、尻をもじもじさせていたを叱った私が、喜のさんのおかげでやはりそんなになった。あの子の時分は騒ぐばかりで何にも罪はないものだが、年をとって本当に男の味を知りしめては、じっとしてはおられぬねえ。悪く料簡しはぐると、ご奉公も嫌になるよ。おや、お前、いつの間にか私の帯をおほどきなの。なんぞといえば邪魔なものさ。下着の胸からぐっと開けて、腹と腹をしっくりと心持ちよく合わせると、抱きしめられた男の手のあたったところばかりが知れて体は空になってしまって、馬鹿なことだが、あそこへばかり気がよるそうで、足の裏がしびれるように響いてくると、あとは何だかほんの夢中さ。男はどうも悪いもので、女があがいていろいろに顔に出るのを見ているものさ。喜のさん、お前もそうだろう。いま二階でおかみさんも困っておいでなさったが、床をとって寝たときよりあやにくに嬉しいのを隠すのは切ないのさ。たしかお前もご覧だね。なぜものをお言いでない」と腹いっぱい慰められ、喜之助はただ虚ろうつろと顔をまもりていたりしが、猛き心を振り起こし、かの挟まれし手を力にまかせ揺らしても動かばこそ、もうちっとにて毛のところへ触りそうにて届かねば、泣くばかりなる声をいだし、
「生殺しにしておくと蛇でも人に祟るという。人数ならねど野良一匹こんな目に合わせておくと、怨念影身につきそいて」
「おや。空言にしろ可愛いね。とり殺されたら嬉しかろう。そんなにお前、気をもまずと、古今さまのお願いどおり、彦三さんに逢わせてあげて。そのとき私もご相伴にお前とたんと楽しみたい。あれ、厚かましい女だとさげすんで見ておいでだ」と、ちょっと摘めって股へ手を挟みしままに立ち上がられ、わが手にひかれて喜之助がよろよろすれば、お銭はにこにこ、
「喜のさん、あばよ」と言いながら股を開けば手は抜けて、ばったりこけるを見向きもせず、
「お君さん、お行灯を配んな」と言いつつ、お銭は忙がしそうに勝手のほうへ走りゆく。

五 それを便りに此方も割気は船中の間渡竹

 隠し鈴の柱時計六ツの響きのりんりんと甲走りたるお君が声。
「おかみさんがもういっぺん、お湯を召すとおっしゃったよ。権助どん、一燃しぽっと焚き付けな。おすぎさん、お松さん、お納戸へお鏡台を直しておきな」と行灯を携えて、ばたばた半酔い機嫌。
「喜のさん、何を考えて寂しそうにたった独り。身振りでもしてお見せな」と言われて、ふと心づき、さっき舟の出会いを見て気を味にしていたとの噂。
 これ幸いのことにぞあんなる。
 お銭の鰡ほど脂はのらずと泥っ臭いをこらえたら、おぼこでも精進物の若衆よりはましならんと無言で手に触れば、相手ほしやのお君は嬉しく、
「あれ、およしな」は空辞儀にて、まくれし裾をひきもかけず、股の間へ男を挟んで抱きつけば、喜之助はようよう安堵の思いをしつ。
 蒸したての饅頭へ雪白を解いたような温かい汁がたまって、上戸の腹へはべたべたする黒砂糖の年増ほど胸が焼けぬので、甘味の薄い新造もまたよいものと、はじめから手荒にしてもし女に懲りがくると、二膳めはすえないものとの用意なりともお君は知らず、
「なんだな、喜のさん。腫れ物に触るようにじれってえ。しっかりと抱きしめて」と畳へ尻は落ち着かず、新躰が二、三度めかと思いのほかの馴れ加減。
 ほんに小娘と小袋には油断のならぬ世のたとえ。
 顔にも形にもよらぬものと、お君は正体、泣くような声をいだして、
「喜之助さん、お前はどうも浮気らしい。お銭さんにもお愛慕だね。あれ、もう私をこれぎりに。それさ、そんなにじらさずと。そうすると食い殺す」と何を言うやらわけもなく、はっと昂まりければ、喜之助も水茶屋より汲みためておいたのを、さらりと流してつかえがやっとおりてしまう。
「お前、あのお銭さんを口説くのはほんの無駄だよ。あれは先のおかみさんがお亡くなりになさると、すぐに旦那さまへ持ち掛けて、あんまり家で恥をするから古今さまのお人にして、体よく家を出したのだと。昨夜から泊まっているは、おかみさんをお持ちだから、旦那さまをしっかりとねだる気に違いないと、皆が噂をしているわな。それだから私におし」と、ぴったり頬をすりつけて、わが口へ男の舌を吸い込んで、そっと歯でしごいたり、再度情を動かさんと年増もおよばぬ巧者の働き。
 いよいよ興は醒めはてながら、親の心を子は知らず。
「さっきも次で聞いていたが、おかみさんはよくあんなに鼻息もせず、おとなしく無言でおいでなされる。私は言いたいことを言って騒ぐほど騒がないと、どうも身にならないようだ。喜のさん、お前はどう思っているのかえ。呆れ返った顔をしてさげすむならおさげすみ。さげすまれてもしかたがない。先刻、変な気になって焼酒を筒茶碗であおっておいたが、上気したからその酔いが出たそうで、ああ、もうどうも切なくて」と身をもみあげるを抱きすくめ、
「髪がらりにこわれるわな。道理で臭いと思っていたが、そんならお前は酒酔いだの。切なかあ、もう休みな」と身をひく喜之助。
 お君はいよいよしがみついて放さばこそ。
「初手と違って二杯めには、それ酔いが回っていい気持ちだから、切ないうちがいいのだわな。もうこうなっては、旦那さまがそこへきてお叱りでも雷さまが落ちても放さぬから覚悟をおし」と横に転びつ、仰向きつ、胸気が悪いのかどうするのか。
 さらに他愛のあらざれば、喜之助は持てあぐみ、抱きよせし身のほどもはじめは心よかりしが、後にはそれも汚らわしくなり、今日の始末をつくづく思うに、一度ならず二度、三度、ひょんなところへ行きあわせ、挙句にお銭にしゃべりたてられ、いままたお君に騒ぎたてられ、たてられすぎて勃ったるものもぐにゃぐにゃと降参し、鉾先なまりてしどろもどろ。
 下にははやる女武者、跳ね返すべき勢いにはや敵すべき気力も抜け、とにかく微運を心に嘆じ、
「お君さん、お前はまあ何歳のときから男を覚えてそんなに巧者になったのだ」 と問われて少し腹立ち声。
「私はいまでも内端だから、こんなことも遅かったよ。たしか十二の暮れあたりさ。それはどうでもいいことだぁな。お前はどうも抱きようが可愛いようでなくって悪い。嫌なものならなぜはじめ、そっちから手をお出しだ。しっかりしねえと食いつくよ」と男を叱っているところへ走りてくるお銭がふすま越し。
「お君さん、湿らない御浴衣を持っておいで。夜も昼もそうぞうしい。ちっとお前、おたしなみ」と言われてお君は顔ふくらし、ほどけし帯を締めながら、物も言わず立ってゆく。

 お銭は行灯かきたてて、
「あれ。嶋田が横に曲がって、形に似合わぬ大きな尻をぶりぶりと振ってゆくよ。喜のさん、あの子はどうはあるまい。十三から去年まで五、六度、逃げたそうだ。馬鹿にしごろな小僧だと思うと大なめにあうよ。年をとってもお人のいい私らとは違っている」と笑う背中をちょいと打ち、
「身代わり場の大詰めはどうする気だ、お銭さん。覚えていな」と言い捨て二階へ上がれば、主の治平、夜食の膳を引き寄せながら、
「喜のす。なんぞ用でもあるのか」
「いや、ある段ではござりませぬ。金が百か二百あると千両になる大仕事」
「うますぎて受けられぬが、何だろう、買い置きか見世物の金主ならもうたびたび手懲りをしたが、それでなくば話してみな」と言うところへ、浴衣のままお春は汚れしどこもかしこもすっぱり洗いあげ、
「温かくなった」 と耳たぶへ唾をつけて手であおぎ、
「喜のさん、よくおいでだね。今夜もなんぞしてお見せ」という顔眺めて、
「あざやか。いや、こんなことを言ってまた大いにしくじるものだ。まずおかみさん、ご機嫌よう。先夜は例の酔たん坊で実に何を申したか、後ではさっぱり覚えません。何でもあなたを小町にして関兵衛をやらす気で、お手をとって引き出したを夢のように知っております」
「ほんとに私は困ったよ。踊りはさっぱり忘れたものを」
「おっと、その夜のことは関の清水に流してしまって、おっしゃってくださりますな」と片手で拝んで、
「ときに旦那さま。ただいまの一件はこっそりとしたところで」
「そんなら夜食をやめにして鰻でも食いに行こう。お春、こなたもちっと待ちな。いまに焼かせて持たせてよこすよ」
「はい。あんまり大きくないのをちっと。これ、長吉にお供があるからお提灯をつけろと言いな。あなた、どれぞお召し物を」
「『御服』と言うのがやっと止んだの。着物はこれでいいにしよう。風が出て寒くなったが、羽織ばかりひっかけて、そこにいるは杉か、松でもいい、唐木綿の下羽織と丹後紬が暖かだろう。早く出してきてくれろ。羽織の箪笥は木地のほうだぞ。お春はどれでも脇差しを」
「これでよろしゅうござりますが、ついまだ浴衣でおりますから、お送りは申しません。喜のさん、帰りにきっとお寄りよ」
「じきに帰ってまいります」とうち連れ立って二階を降り、
「長吉どん、御大儀だ。いつでもお供はおめえが行くの。ねえ旦那」
「そうさ。小利口で醜くないから供はあれに決めておくのよ」
「へへ、色若衆め。いまに女を迷わせてしくじらねえようにしな。たしかおめえは十六だの。十六には大柄だ。そろそろ娘が惚れるだろう」とからかい、喜之助は治平に従い行きすぐる。

 家にはお春が化粧して小袖着替えるその折節、
「本町のおかみさんがおいでだとお二階へそう申しな」とお銭が声洩れ聞こえて、いそがわしくお春は帯をひき締めて衣紋つくろうそのところへ、お銭と連れ立ち、治平が妹、お三はきりりと前帯もとりしまり、よき女房盛り。
「お兄さまはお留守かえ。いまにお帰りなさるだろう。寺参りから掬塢へ寄ってつい遅くなったけれど、まだお近づきにならぬから、ちょっとお目にかかってゆこう。お銭、下においでかの」
「いえ、お二階でござります。あなた、いま旦那さまに門でお会いはなされませぬか」
「いえ、いえ。私は船で来て裏口から上がったから、それで大方間違ったろう」と、しとやかにうち通れば、お春は下がって手をつかえ、
「お初にお目にかかりました」
「はい。このたびは不思議なご縁で、お兄さま同然に何かのお世話になりましょう」
「幾久しゅうお目かけられて」とあるべきかかりの挨拶終わり、お春、つらつらお三を見るに、たしかにどこでか逢いたる女。
 向こうではそろそろ上がり、
「へい、おかみさん。お煙草入れがお船に残っておりました」と、差し出す男もまた見たようとお春はさまざま考えて思い出せば夕暮れ方、遠眼鏡で見た屋根船のうちに乗っていた両人。
 うまいことしてあんなまあ真面目な顔は、とおかしさを心にこらえているとは知らず、お三はなおもしとやかに、
「茂兵衛、そなたもよいついで。お目にかかっておくがよい」 と言われて下座へ引き下がり、
「お忘れではございましょうが、踊りをお稽古遊ばす時分は、お近づきでござりました。ただいまでは茂兵衛と申して本町さまにおりまする。こなたさまへも節々にお使いにあがりますれば、万般、よろしゅう願います」と聞いてお春は再び驚き、火影にすかして茂兵衛の顔つくづく見れば、前髪を払って年を重ねたればその面差しは変われども、初めて男にあいそめし、彼の水菓子屋の吉蔵なり。
 いままで人のいたずらを心のうちに笑いしが、たちまちわが身にふりかかり、時雨にまさる肌の汗、顔に紅葉の色を染めさし、うつむいて詞なし。
 茂兵衛はわざとよそよそしく、
「もし。おうちのおかみさん。その時分からあなたさまは美しゅうござりました」
「ほんにそうであったろう。まだまだあんまりお若くてお姉さまとは言いにくい。かつらをおかけなされたら、若衆のように見えるだろうの」
「浜村屋でございます。もし。浦島をお踊りなされた。それぎりお目にかかりませぬ」と言わるるほど、なおお春は苦しく、海の底にも入りたき心地。
 仮の枕の玉手箱、開けて言われぬ胸のうち。
 濡れにぞ濡れし波、幕の水で洗いあげてみると、世はみんなこんなもの、こんなもの。

六 窓障子の工合よく入れるとは夢にも白檜

「これは旦那、よういらっしゃいました。ちょうどただいま、そこのお座敷が空きました。おすえや、掃き出してお連れ申しな。今晩はなぜご新造さまは」
「うちに留守をしております。待っているはずだから焼かせて持たせてやってくんな。おあつらえがあったっけ」
「小さいのでござりましょう。よいころながござりました。喜之助さま、この間はお遠々しゅう」
「さっぱりこっちへ出かけません。例のうまい香物で早く一杯やらせてくんな。いや、掃除ができたそうだ。あちらへまいりましょう」
「あ。喜のすは鰻は断ち物なり。玉子でも焼いてもらって。いや、聖天さまではそれもゆかぬか。ねぎを入れぬ鯰鍋でも、食えるものをいうがよい」と治平は座敷にうち通り、
「ここのうちのかみさんほど世事のいい者はいないの。店借りの時分に七畳半が一間だったが、豪儀に立派な普請になった。二階家にしないうちが風流でどうもいい」という間に鰻も焼けてくる。
 酒、二、三杯呑みて後、喜之助少し声を低め、
「舞鶴屋の菊里が夜具はこの前長崎の客人がしてやった古金襴の鴛鴦形で、茶入れの袋だけあっても五十か百にはなるそうだが、女郎はそういうものとは知らず、柳樽にあるとおり『この夜具もつまりいせんとおそろしさ』と言っているところへ付け込み、立派に夜具をこしらえてそいつをこっちへ取る手段、旦那、どうでござりましょう」と聞いて治平は小首を傾け、
「布の目利きは俺にはゆかぬが、本圀寺の開帳からはやりだして、ひところは手拭いにまで染めてあった。それがいよいよほんならば大造な金目だぜ」
「二百や三百ははりこんでも得だという噂を聞いてさっそくのご注進。菊里が親元までよく洗っておきました。まさかのときには、もしちょっと耳をお貸しなされまし。ね、こういう注文に」
「なるほど、そいつも面白いか。菊里は仲之町で二、三度見て知っているが、色は黒いがいい面だ。ゆきそくなってもあいつに夜具をこしらえてやったと思えば、腹の立つこともねえ。一晩、行ってみようか」
「明日とも言わず、いまからすぐに」と示しあわするそばの衝立さらりと開いて噺家女楽、口で神楽の拍子をとり、ぬっと立ちいであたりを見回し、鼻紙袋をおしいただき、
「まんまと手に入る鴛鴦裂、かたじけない」と、のっさのっさ行なえば、喜之助心得て帯はぎとって引き戻し、ちょっと二人が立ち回り。
 治平は扇でちりをあおぎ、
「いいにしねえか、べらぼうめ。芥が立ってならねえ」と言われて女楽は笑い出し、
「喜之助がお供をしてこれへ渡らせたまいしは合点ゆかずと後をつけ、様子は残らず障子の影で」
「聞いたとあれば」と立ちかかる喜之助をまた治平がとどめ、
「とんと気がふれたようだ。女楽も一緒に行くがいい」
「お供をおおせつけられれば、このこと他言いたさぬ証」
「まだ狂言気がはなれねえの。これ、長吉や、長吉や。ちっとはまるところがあって今夜は帰りが遅かろう。お春に先へ寝ろと言いや」と、供を戻して
「さあ、これからもう一杯呑んでゆこう」となお、ひそひそと物語る。

 隣り座敷にお初とお福、角次郎という下谷辺りの待ち客にいざなわれ、ほどよく酔いのまわりしころ、お初はざっと一風呂入りて、浴衣で耳を拭きながら庭を眺めている背へ角次郎はよりかかり、
「こう、おめえは旦那があるじゃあねえか」
「見世へ寄って茶代を払ってお帰りなさるはみんな旦那さ」
「それじゃあねえ。ここのところの茶をふるまう旦那のことさ」と手を差し込めど、この客も少しは金になりそうなれば、
「あれ、およしな」と言いながら、ちらちらそこへ触らせて、
「何、私らがような者に誰がかまってくれるものか。あれ、お福さんが見ているわな」と言うにお福は心得顔。
「あれ、あれ。鯰が浮いている。いま跳ねたのは鯉だそうだ」と庭へ降りれば、角次郎、
「あれ見な。あの子に如才はねえ」
「それだって、ここのうちはおかみさんが堅いから、こんなことを見つかって断られると大しくじりだ。およし」と言えば
「情の強い。おつな気にでもなってみな。後の始末に困るわな」と味にもたせるそのところへ、
「あなたもお湯をめしまし」と浴衣を持って出てくる娘。
 角次郎はびっくりし、
「おい、酔いが醒めてよかろう」と、こそこそ浴室へ立ってゆく。
 こっちの間には治平が声。
「喜のす。女楽もさわがずとさあ、出立とするがいい」
「かみさん、毎度おやかましゅう」と庭の木戸より裏道づたい、さざめき帰るをお初は見送り、
「お福さん。喜のさんを連れてゆくは見たような人だのう」
「あれはたしか聖天さんの下にいる紙屋とやらの」
「そうそう。金持ちだという噂のあるその人に違いはない。私は今夜、角さんがどこへか連れていくのだろう。おめえ、元へ帰っての。小七さんを呼びにやって、『注文どおりに喜のさんがあの人を菊里さんのところへ今夜連れていった』と話して嬉しがらせておきな。うちの前へはいいように私が口をあわせておくから、管次さんのところへ寄ってちっとは遊んでいってもいいよ」と気を通して帰してやる。
 この管次という者はかの松田屋がかかえにて、徳兵衛が内用の使いにたびたびきたりければ、何ぞのときの頼りにとうちのお福に取り持ちして今宵それに逢わするは、今夜の始末を徳兵衛に告げさすまじとの口止めなるべし。
 これよりお福の帰路はいとくだくだしくあんなれば、図面にゆずりてここに記さず。

 この夜、治平が留守のうちにひとつの笑談あり。
 かのお銭という女は、お君がほぼ言いつるごとく子どものときより小癪にて、主の治平に初穂をまいらせ、周りの髪結い、小間物屋、さまざま浮気を働きしが、利発者ゆえ人には知らさず年を重ねていたりしかば、恐るべきもの家になく、我が儘にのみ振る舞いしが、治平が帰りの遅きを長吉が告げしかば、お春もやがて閨房に入り、お銭も寝床を構えしに、すき間よりもりくり風、さえかえりて寒かりければ、お君を呼びてそのところへ臥せさしめ、暖かきところをたずね、主人も寝ざる囲いのうちへ客夜着を二つ重ね、ゆうゆう独り臥したりしが、つらつら思いめぐらすに、この夕間暮れ、夜食の膳を持って二階へ上がりしとき、治平がお春をさまざまに可愛がるをば次にて眺め、『さるころまではあのごとく我を愛しみたまいしに』と妬ましくもまた羨ましく、心のもだつくそのときに喜之助に抱きつかれ、身をまかせんとは思いしかど、治平、秘かにかれを頼み、いよいよ我を遠ざけん手段ならんと推したれば、乳を抱かせ頬ずりし、気を動かして慰みたれど、実はわが気も味になり、頬は熱く髪はかゆく、心苦しきその上に、お君が聞こえもはばからず、泣き笑い、さまざまの口説きごとを洩れ聞かれて、二布は露に湿りながら我とわが身を恥じらいて、ようやく心は転じたれど、臍の下重くなりて、眠らんとすれど眠られず。
 ふと長吉が若衆ぶりの可愛らしきを思い出し、いまだ子どものことなれば後にて人に語りもせまじ。
 これこそはよき伽なれと、かねて勝手はよく知りつ、彼が臥し所へ忍び行き、
「こっちへきな」も小声にて手を引いて連れてくれば、長吉はうろうろと、
「お銭さま、なんの用でござります」
「なんでもないが、寂しいから私と一緒に寝てくんな。お前の着物はぎこちねえ。寝心地が悪かろう。これを着てさ」と我が小袖をひっかけながら抱きしめ、
「あれさ、帯はしめずといい。こう肌を合わせると暖かでよかろうね」と腹の上に乗せられて長吉は夢見し心地。
「もし。こんなことをいたしまして叱られはしますまいか」
「なぁに、誰が叱るものか。おやおや。おめえは油断のならねえ子どもだと思っていたら、抱きつきようの巧者なことは誰に習った。話しな」と問われて、長吉顔を赤らめ、
「十三のとき、旦那さまが『ここへ入って俺と寝ろ。いい小袖を着せてやろう』とおっしゃって、それからたびたび可愛がってくださったので、抱きようは覚えましたが、女の方はこれが初めて。男と違って柔らかでよいものでござります」
「おや。お前をも旦那さまが。あれがほんの盗人上戸だ。そうしていずと、この手をやって。あれさ、もっと下だわな」
 いろいろあしらえども長吉はただ顔を火のように熱くして、おっかなそうにそろそろといじりまわされ、むずがゆく、お銭はいよいよ上気あがり、
「どれ。お見せ。何恥ずかしがらずと。この子はもうじれってえ」
 『居風呂桶で牛蒡を濯ぐ』と世の諺にいうがごとし。
 さなきだにお銭は、いとこと足りず思うがうえ、かくのごとくの躰となり、そのもどかしさ、いわんかたなく、
「ええ、もうこの子はどうしたのだ。しっかりしな」と口を吸い、またもその気を引き起こさんとさまざま術を尽せども、長吉はもじもじして、
「なんだかどうも私はこそばゆうござります」
 お銭はほとほとせん方尽き、思いついたる頼れ物を長吉へかぶせ、
「やっとこれでしっかりした。何でもお前の好きなものを明日、私が買ってやるから、舌を出して口を吸わせて力一杯抱きしめてくんな。お前のような若衆が独りお屋敷にあったなら、この頬はみなで寄って嘗めつくしてしまうだろう」
と眺めたり、食い付いたり、お君を宵には笑いながら、やはりこっちも夢中になり、引き離れし茶屋敷なれば聞き人なきに心緩み、騒ぎたいほど騒ぎまわり、目をねぶったり細くしたり、顔をしかめ口を開き、息もたゆげな有り様を、長吉はまじまじと下より眺めていたりしが、はや十六の男子なれば、お銭がかくまで喜ぶ躰に再度、心や動きけん。
「私は痛くてなりません」
「そんならもう取ってあげよう。これならもう何にもいらぬよ」
 上手を尽して持ちかけられ、何だか知らねど長吉もにわかにお銭が愛しくなり、今度は二度目のことなれば楽しみも少しは長く、初めて女はよきものと覚えてはっとしがみつかれて、お銭はなおさら可愛さもう、もうたまられず、
「長さん、お前を食ってしまいたいよ」

 この後の物語は水揚二番帳に記しておきつ。

 柳亭種彦は最後のところで続編を予告していますが、これは著されませんでした。
 江戸文花が爛熟した文化・文政時代から一転、それを取り締まる天保の改革が始まり、柳亭種彦もお咎めにあい、自ら命を断ってしまったためです。

終わり 最初へ戻る