鹿柴 鹿柴ろくさい 王 維
空山不見人 空山くうざん 人を見ず
但聞人語響 但だ人語じんごの響くを聞くのみ
返景入深林 返景へんけい 深林しんりんに入り
復照青苔上 復また青苔せいたいの上を照らす
山は静かで 人影もなく
人声だけが 聞こえてくる
暮れの陽は 林の奥に射しこんで
苔の青さを さらに照らし出す
同 前 前に同じ [裴迪]
日夕見寒山 日夕にっせき 寒山かんざんを見て
便為独往客 便すなわち独往どくおうの客と為る
不知松林事 知らず 松林しょうりんの事
但有麏鹿跡 但ただ麏鹿きんかの跡有るのみ
日が暮れて 寂しい山をみつけると
たまらずに ひとりで山中に分け入った
松林の奥に なにがあるのか分からない
あるのは唯 鹿の残した足跡だけ
王維のこの詩は『輞川集』のなかで最も有名な作品です。
「鹿柴」は鹿を飼ってある場所で、囲いの柵があります。
しかし、詩中に鹿は出てこず、山中の静けさと、そのなかで夕陽が深い林の中にさし入って青い苔を照らし出している印象的な点景だけを描いています。裴迪の詩の「寒山」は特定の山ではなく、冬枯れの淋しげな山のことです。
その山中に分け入っていくが、あるのは鹿の足跡だけというところは、王維の「空山」を受けて秀作となっていると言っていいでしょう。
木蘭柴 木蘭柴もくらんさい 王 維
秋山歛余照 秋山しゅうざんは余照よしょうを歛おさめ
飛鳥逐前侶 飛鳥ひちょうは前侶ぜんりょを逐おう
彩翠時分明 彩翠さいすい 時に分明ぶんめいにして
夕嵐無処所 夕嵐せきらんの処おる所無し
秋の山に 夕日は赤く照りかえし
飛ぶ鳥は 仲間の鳥を追っていく
紅葉の草木の緑は 時にあざやかに
夕靄は 定めもなしに流れていく
同 前 前に同じ [裴 迪]
蒼蒼落日時 蒼蒼そうそうたり 落日の時
鳥声乱渓水 鳥声ちょうせいは渓水けいすいを乱す
縁渓路転深 渓たにに縁そうて路は転うたた深し
幽興何時已 幽興ゆうきょう 何の時にか已やまん
おごそかに 夕陽が落ちるとき
鳥の声は 谷川の瀬音をみだす
谷沿いの路は ほのかにくらく
この深い趣は いつまでつづくのか
「木蘭」は木犀に似た香りのよい木で、柵で囲んで植えてあったようです。輞川荘といっても家や庭だけでなく、植物園も点在している荘園のようなものであったとみられます。王維の詩は非常に繊細な表現で、「彩翠」というのは美しく色づいた秋の草木の中に緑の部分がときどき鮮やかに見えるというのでしょう。「嵐」は中国では靄もやのことで、日本語の「あらし」は中国では「風雨」と書きます。裴迪の詩も落日のときを詠っていますが、「幽興」は日本語に訳すのが難しい詩語です。
「興」つまり詩興もしくは詩情の源泉が「幽」(奥深い)といった感じの熟語になるようです。