烏衣巷        烏衣巷  劉禹錫
朱雀橋辺野草花   朱雀橋辺 野草の花
烏衣巷口夕日斜   烏衣巷口 夕陽斜めなり
旧時王謝堂前燕   旧時 王謝堂前の燕
飛入尋常百姓家   飛んで尋常百姓(ひゃくせい)の家に入る
朱雀橋のあたり 野草の花が乱れ咲き
烏衣巷の門に 夕陽が斜めに射している
昔 王・謝の堂前に 巣くっていた燕たち
いまは飛んで そこらの家の軒先に入る

 「朱雀橋(しゅじゃくきょう)」は東晋の都建康(南京)の朱雀門外にあり、浮橋であったようです。「烏衣巷(ういこう)」は朱雀橋の東北、秦淮河(しんわいが)に沿う街で、東晋の大貴族王氏や謝氏の邸宅が建ち並んでいました。
 貴門の軒先に集っていた燕も、いまは普通の家の軒先に巣をつくっていると、権力におもねる者を皮肉っている詩とも解せますし、繁栄の昔もいまははかないと世の変転を斜に見ている詩とも解せます。


  哭孟寂        孟寂を哭す 張 籍
曲江院裏題名処   曲江院裏 名を題せし処
十九人中最少年   十九人中 最も少年
今日風光君不見   今日の風光 君見えず
杏花零落寺門前   杏花零落す 寺門の前
曲江の寺院の壁に 共に名前を書きつけた
十有九人のその中で 君が一番若かった
いま同じ景色のなか 君の姿はもはやない
寺院の門前に 杏の花は散るばかり

 張籍はとても心のやさしい人であったようです。
 春二月、貢挙の合格者が発表になると、新しい進士は曲江の杏園で天子の饗宴を受けます。そのあと合格者は慈恩寺の大雁塔に上り、壁にそれぞれ自分の名前を書きつけました。
 張籍が進士になったのは徳宗の貞元十五年(七九九)で、七年後には憲宗の元和の冶、唐の中興の時代になります。
 官吏としては幸運でした。孟寂(もうせき)は一緒に合格した十九人の仲間のなかで一番の年少でしたが、若くして亡くなってしまったようです。
 それを哀惜する詩です。


  古別離        古別離     韋 荘
  晴煙漠漠柳毿毿   晴煙は漠漠として柳毿毿たり
  不那離情酒半酣   那んともせず 離情 酒半ば酣なるを
  更把玉鞭雲外指   更に玉鞭を把って雲外を指せば
  断腸春色在江南   断腸の春色 江南に在り
晴れた空 ひろがる霞 柳の枝はだらりと垂れる
別れはつらく 半端酔いでもしかたがない
鞭をあげて 雲のかなたを指させば
腸も千切れんばかりの春景色 江南の地に満ちている

 韋荘は、唐の滅亡後、後蜀に仕え、成都西郊の杜甫の旧居浣花草堂に住みました。後蜀での官は吏部侍郎兼平章事にいたっていますので、宰相になったのです。
 詩はまだ青雲の志にもえていた若いころの作品でしょう。

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