積雨空林烟火遅 積雨せきう 空林 烟火えんか遅し
積雨輞川荘作 積雨 輞川荘の作 王 維
降りつづく雨 人けのない林 煙は緩やかに流れ
藜を蒸し黍を炊いて 畑での食事をつくる
靄のかかる水田で 白鷺は舞い
小暗い夏の木立で 鶯は鳴く
山中で座禅を組み 槿むくげの花を見て無常を悟り
松の木蔭で斎戒し 清らかな葵あおいを食とする
田舎住まいの老人は 席次を争う気もなくなり
海の鷗よ どうしたことか まだ私を疑っているのか
王維は華清宮での玄宗の華やかな宮廷生活に背を向けるように、しばしば輞川の家に通って閑雅を愛するようになりました。
輞川の別荘を「輞川荘」と呼ぶようになったのもこのころのことでしょう。詩の最後で、王維はもはや宮廷での席次を争う気もなくなったと詠っています。
山居秋暝 山居秋暝 王 維
空山新雨後 空山くうざん 新雨しんうの後
天気晩来秋 天気 晩来ばんらい秋なり
明月松間照 明月 松間しょうかんに照り
清泉石上流 清泉 石上せきじょうに流る
竹喧帰浣女 竹 喧かまびすしくして浣女かんじょ帰り
蓮動下漁舟 蓮 動いて漁舟ぎょしゅう下る
随意春芳歇 随意なり 春芳しゅんほうの歇つくること
王孫自可留 王孫おうそん 自ら留とどまるべし
寂しい山に秋雨が降り 心も洗われて
秋らしく爽やかな夜となった
明月の月の光が 松の木の間から差し入り
清らかな泉が 石の上を流れる
竹林の向こうで 女たちの賑やかな声がし
蓮の葉がゆれて 釣り舟が川を下っていく
春草が枯れ果てようと 私はかまわない
王孫もきっと この地にとどまるであろうから
詩は輞川山荘の秋の景です。
五言律詩ですが、前半四句は易しい語を使って含蓄の深い景色を詠い出しており、これだけで五言絶句として独立できそうです。
後半四句で人が登場し、村の生活が詠われます。
「浣女」(洗濯をする女)たちの声は竹林の向こうから聞こえ、釣り舟の通る動きは蓮の葉の動きで示され、間接的な表現になっています。描き方に王維の工夫が凝らされている部分です。
末尾の「王孫」は楚辞の「招隠士」の詩句を踏まえていますので、このままではわかりにくいのですが、「招隠士」では春草が枯れてしまったので帰ろうと春をほめる詩になっています。
ここではそれを逆に使って、秋になっても王孫はきっとこの地にとどまっていてくれるだろうから私はかまわないと、秋の山居のすばらしさを詠う詩に作り変えているのです。