淇上即時 田園    淇上の即時 田園  王 維
屏居淇水上    屏居へいきょす 淇水きすいの上ほとり
東野曠無山    東野とうやは曠ひろく山無し
白日桑柘外    白日は桑柘そうしゃの外にあり
河明閭井間    河かわは閭井りょせいの間かんに明るし
牧童望村去    牧童は村を望んで去り
田犬随人還    田犬でんけんは人に随って還かえ
静者亦何事    静者せいじゃは亦また何を事こととせる
荊扉乗昼関    荊扉けいひを昼に乗じて関とざ
淇水のほとりで何もしないでいると
東に広く野はひらけ 山もない
真昼の太陽が 桑畑の上にかかり
家並みの間を 川は明るく流れている
牧童が村のほうへ帰っていくと
犬は猟師についてもどってくる
静かなる者 私は何をしているのか
昼間というのに 門を鎖して閉じ籠もっている

 王維は長途の旅をして蜀からもどってきますが、都へ着くとすぐに洛陽方面の地方官に出されたらしく、二年ほど洛陽付近の任地を転々としています。「淇上」きじょうは淇水のほとりで、王維はそのころ衛県(河南省淇県)の何かに任ぜられていたのでしょう。
 休暇の日にもなすところなく、門を閉ざして、のどかな単調な一日を送っていたようです。


 寒食 汜上作      寒食 汜上の作   王 維
広武城辺逢暮春   広武こうぶの城辺 暮春ぼしゅんに逢い
汶陽帰客涙巾沾   汶陽の帰客 涙巾きんに沾うるお
落花寂寂啼山鳥   落花寂寂(せきせき)たり 山に啼ける鳥
楊柳青青渡水人   楊柳青青せいせいたり 水を渡るの人
広武古城のあたり 暮れゆく春のころ
汶陽の人と逢い 涙で巾きれは濡れ果てる
花は寂しく散り 山には啼く鳥の声
柳は青々と茂り 川には渡る人の影

 退屈な日々を過ごしていた王維は、ある寒食節の日、それは開元十六年(七二八)の清明節(陽暦四月はじめ)の前と思われますが、汜水のほとりで「汶陽の人」と再会しました。「広武」は汜水に近い山の名で、その麓に広武城(河南省鄭州市の北)がありました。広武城辺の「暮春」(晩春)がいかに素晴らしいものであろうとも、晩春の景に出会うことが「涙巾に沾う」ほどの重要事とは思われません。
 逢ったのは「汶陽の人」でしょう。
 「帰客」とは地方から都にもどる旅人をいい、汶陽の人は王維が洛陽の近くで勤務しているのを知り、会いに来たものと思われます。
 転結句は整然とした対句でまとめられており、汜上しじょうの渡津としんの風景を詠っているように思われますが、「水を渡るの人」は、その日の旅宿にもどる「汶陽の人」でなければなりません。

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