自大散已往深林密竹蹬道盤曲
  四五十里至黄牛嶺見黄花川
 王 維
    大散より已往は深林密竹にして蹬道盤曲せり、
     四五十里にして黄牛嶺に至りて黄花川を見る
危逕幾万転   危逕きけいは幾万たびか転じ
数里将三休   数里将まさに三休さんきゅうすべし
廻環見徒侶   廻環かいかんして徒侶とりょを見れば
隠暎隔林丘   隠れ暎あらわれ林丘りんきゅうを隔へだ
颯颯松上雨   颯颯そうそうたり松上しょうじょうの雨
潺潺石中流   潺潺せんせんたり石中せきちゅうの流れ
危ない小道が 幾度か曲がりくねり
数里を行くのに三回も休まねばならぬ
振り返って従者をみると
丘の林の 木の間がくれに見え隠れする
松の梢を 雨が鳴らして過ぎ
岩の間を 水は滔々と流れゆく

 王維は開元十三年(七二五)の九月に休暇を取って故郷の蒲州に帰る予定でしたが、その年の十一月に玄宗の封禅の儀が泰山で行われることになり、王維は上司の済州刺史裴耀卿の指図に従って封禅の行事にかかわります。
 それは済んだ開元十四年(七二六)の春に、王維は汶陽の人に別れを告げて蒲州に帰り、しばらく滞在したあと長安に上りました。
 ところが長安に着いたところで、蜀への転勤を命ぜられます。
 王維はすでに二十八歳になっていますので、故郷では妻帯の話もあったと思われますが、決心がつかないでいたところに思いがけず蜀への転勤命令が出たのです。王維は汶陽の人への思いを断ち切る機会になるかもしれないと思って蜀へ赴任したようです。
 詩は長い題名になっていますが、蜀道の険路を越えて、はじめての地へ赴く王維の決意が込められているようです。
 従者への配慮が王維らしい表現です。五言十四句の古詩です。

静言深渓裏   静かに言う深渓しんけいの裏うち
長嘯高山頭   長嘯ちょうしょうせり高山の頭いただき
望見南山陽   南山の陽を望み見れば
白日靄悠悠   白日は靄あいとして悠悠たり
青皐麗已浄   青皐せいこうは麗らかに已に浄きよ
緑樹鬱如浮   緑樹は鬱うつとして浮ぶ如し
曾是厭蒙密   曾かつて是れ蒙密もうみつを厭いといき
曠然消人憂   曠然こうぜんとして人の憂うれいを消す
深い谷間では 声も出なかったが
高い頂に着くと 歌声も湧いてくる
南山にかかる太陽を 遥かに望めば
白い光が 靄の中にほのかに見える
山の色は すでに美しく清らかで
樹々の緑が したたるように浮かんでいる
かつては 草木の茂みを息苦しく思ったが
いまは広々として 憂い心も吹き飛ぶようだ

 題中の「大散」だいさんは大散関のことで、鳳翔宝鶏県(陜西省宝鶏市)の南にあります。
 四五十里(唐里)も行くと黄牛嶺こうぎゅうれいがあり、その麓を流れる嘉陵江の上流の一部を黄花川こうかせんと言ったようです。
 王維は従者をともなって険しい山道をたどって行きますが、最後の二句が、この詩のなかで一番重要な部分です。
 「曾て是れ蒙密を厭いき 曠然として人の憂いを消す」と結ばれていますが、「蒙密」もうみつは汶陽の人との秘密な関係のことであり、いまは「曠然」こうぜんとして憂いから逃れたような気がすると詠っているのです。

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