渡河到清河作   河を渡り清河に到りて作る 王 維
汎舟大河裏    舟を汎うかぶ 大河の裏うち
積水窮天涯    積水せきすいは天涯を窮きわ
天波忽開拆    天波てんぱ忽ち開拆かいたくして
郡邑千万家    郡邑ぐんゆうの千万家あり
行復見城市    行きて復た城市じょうしを見る
宛然有桑麻    宛然えんぜんたる桑麻そうま有り
廻瞻旧郷国    廻瞻かえりみれば旧郷国きょうこく
E漫連雲霞    E漫びょうまんとして雲霞うんか連なれり
大河に舟を浮かべてゆくと
水は満々として天の果てまで広がっている
天と波がとぎれるところに
忽然として賑やかな街があらわれる
舟を下りて城中を一見すると
まことに富裕な都会である
来し方を振り返ると 都の方には
縹渺ひょうびょうとして雲煙が連なっている

 王維は陸路を東へたどって、河陽もしくは対岸の孟津(もうしん)から舟に乗り、黄河を下ってゆきました。
 途中の泊地で詩を作りながら旅をつづけていますが、詩は略します。
 当時の黄河は鄭州を過ぎると、現在の黄河よりも北を東北流し、やがて清河(河北省清河県)に着きます。
 詩は清河に着いたときの作品です。
 清河は当時、交通の要衝で、繁栄した城市であったようです。
 詩の結びが「観猟」と同じ趣向になっていることに注意してください。
 王維は遥か遠くの地に来たという感慨をおぼえながら、ここで黄河から離れ、水路もしくは陸路をたどって済州に向かったはずです。


 被出済州     済州に出いださる 王 維
微官易得罪   微官びかんは 罪を得易えやす
謫去済川陰   謫去たくきょす 済川さいせんの陰いん
執政方持法   執政 方まさに法を持すも
明君無此心   明君 此の心無からん
閭閻河潤上   閭閻りょえん 河潤かじゅん上り
井邑海雲深   井邑せいゆう 海雲かいうん深し
縦有帰来日   縦たとえ帰来きらいの日有るも
多愁年鬢侵   多く年鬢ねんびんの侵おかすを愁う
小役人は罪に陥りやすく
済水の南へ左遷される
当局は法の執行に厳格だが
わが君の本心ではあるまい
村の出入口まで川の湿り気が及び
村里に海からの雲が立ちこめる
たとえ都に 帰る日があったとしても
鬢に白髪が きっと混じっているだろう

 この詩は済州に着いてすぐの作品でしょう。左遷されたのは天子の本心ではあるまいと、王維は玄宗を信じています。
 済州のあたりは河北の大平原で、太古に禹が九川を治水したところと言われています。「閭閻」は村里の入り口の門で、そのあたりまで川の湿り気が上ってくるような低湿地であったようです。
 王維は改めて左遷された身の不運を悔み、「縦え帰来の日有るも 多く年鬢の侵すを愁う」と将来を悲観します。
 王維はこのときから開元十四年(七二六)の春まで五年あまり済州にとどまりますが、その間の行動はよく分かっていません。

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