夜雨寄北        夜雨 北に寄す  李商隠
君問帰期未有期  君は帰期を問うも 未だ期有らず
巴山夜雨漲秋池  巴山の夜雨 秋池に漲る
何当共剪西窗燭  何か当に共に西窓の燭を剪って
却話巴山夜雨時  却しも話すべき 巴山夜雨の時を
「いつお帰りですか」と尋ねられても まだ決めてはいない
巴山に夜の雨が降り 寂しさは池にみちている
ああ いつになったら 西の窓辺で燭芯を切り
語り合うことができようか 巴山の夜の秋雨のこと

 李商隠は杜牧より十歳くらい年少で、開成二年(八三七)に進士に及第しています。
 開成二年の二年前の大和九年には甘露の変があり、開成三年には「入唐求法巡礼行記」を書いた円仁が揚州に到着しました。
 武宗の会昌の廃仏は会昌四年(八四五)に最高潮に達します。
 李商隠は晩唐の多難な時期に官吏として生きることになるのです。
 寒門の出であったため官途には恵まれず、官は検校工部員外郎(従六品上)で終わりました。「検校」というのは名誉職という意味ですので、実質は員外郎に達しなかったのです。
 「巴山」は四川地方の山、「西窗」は西向きの窓、もしくは西向きの窓のある部屋のことで、主堂の西にあり主婦の部屋とされています。
 燭の芯を切れば明かりが更新されて部屋が明るくなるのです。


  春夕酒醒       春夕酒醒  皮日休
四弦纔罷酔蛮奴   四弦 纔に罷む 酔蛮奴
酃醁余香在翠炉   酃醁の余香 翆炉に在り
夜半醒来紅蝋短   夜半醒め来れば紅蝋短し
一枝寒涙作珊瑚   一枝の寒涙珊瑚を作す
四弦の琵琶が止むや この酔っぱらいめ
酃醁の酒の香は まだ炉上にただよっている
真夜中に目覚めると ちびてしまった蝋燭一本
融けた紅蝋は寒々と 珊瑚の涙のように垂れている

 皮日休(ひじつきゅう)は懿宗の咸通八年(八六七)に二十七歳くらいで進士に及第し、秘書省著作郎(従五品上)から太常博士にいたりました。
 しかし、任官八年後の僖宗の乾符二年(八七五)に黄巣の乱がはじまり、広明元年(八八〇)に賊は長安に攻め入りました。
 皮日休は黄巣政府の翰林学士に任じられ、黄巣が滅んだあとは消息不明になります。晩唐の退廃が色濃い作品ですが、しみじみとした孤独感があります。


和襲美春夕酒醒    襲美の春夕酒醒に和す 陸亀蒙
幾年無事傍江湖   幾年事無く江湖に傍
酔倒黄公旧酒壚   酔いて倒る黄公の旧酒壚
覚後不知名月上   覚めて後知らず名月上り
満身花影倩人扶   満身の花影 人の扶けを倩いしを
江湖に隠棲して 事もなく月日は過ぎた
竹林の七賢人は 黄の酒場で酔っぱらう
名月に照らされ 満身に花の影
酔いが覚めても 扶け起こされたのを覚えていない

 陸亀蒙(りくきもう)は生没年不詳。
 進士に及第せず湖州や蘇州刺史の幕僚をつとめた。のち松江の甫里(蘇州市の東南)に隠棲して江湖散人、甫里先生などと号した。
 この詩は皮日休(あざなは襲美)の「春夕酒醒」に和したもので、ふたりは親しく交わり、読書と遊覧の日々を過ごした。亡くなったのは僖宗の中和元年(八八一)と推定されており、黄巣の乱の最中である。
 詩中の「黄公」は竹林の七賢が通った酒場の主人で、「酒壚」は居酒屋のことです。

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