洛陽女児行     洛陽女児行   王維
洛陽女児対門居  洛陽の女児 対門(まむかい)に居る
纔可顔容十五余  纔可(ようや)顔容(かんばせ) 十五に余る
良人玉勒乗驄馬  良人(おっと)(のる)は 玉の勒の葦毛馬
侍女金盤膾鯉魚  侍女は(なます)す 金盤に()の魚
画閣朱楼尽相望  画閣と朱楼 ()な相望み
紅桃緑柳垂軒向  紅桃 緑柳 (のき)に垂れ向かう
羅帷送上七香車  羅帷(らい)より送り上ぐ 七香車
宝扇迎帰九華帳  宝扇(ほうせん)は帰りを迎う 九華帳
狂夫富貴在青春  狂夫(きょうふ)は富貴にして 青春在り
意気驕奢劇季倫  意気は驕奢にして 季倫(きりん)より(はげ)
洛陽の美女が 真向かいの家にあり
見れば年の頃 十五をすこし越えたほど
夫の乗る馬は 玉のくつわに葦毛の馬
侍女の運ぶは 金盤に鯉のお刺身
壁画の殿堂に 朱塗りの楼閣が並び立ち
紅の桃や柳は 軒端に垂れて向かい合う
薄絹の帷から送り出す 七香の車
宝扇を開いて出迎える 九華の(とばり)
元気な夫は金持ちで 若さがあり
贅沢を好む気風は 晋の石崇にまさる

 開元四年(七一六)の春、十八歳になった王維は突然春の風雨(あらし)に襲われます。「洛陽女児行(らくようじょじこう)」という歌行(かこう)は擬古的で王維らしからぬ作品ですが、やはり「時年十八」の題注を付して残しているのです。
 王維の個人的な思いが深かったからだと思われます。
 七言二十句です。まず、「洛陽」というのは地を換えて風雅に詠っているわけで、長安のことです。長安の街が大小の坊に分かれていたことはご存じと思いますが、各坊は坊牆で囲まれ、坊内から大道に出入りするには東西か南北の坊門からしかできませんでした。
 坊内の家は坊を十字に区切る十字街、もしくは南北に区切る横街か、街区をさらに小区分する曲(路地)に面して門を開いていました。
 大寺院の場合、正門を大道に向けて開くことを許されている場合もありますが、通用門は普通の家と同様に坊内の街曲に向けて開いていました。「洛陽の女児 対門(まむかい)に居る」というのは、曲をへだてて寺院の通用門と向かい合っている門があり、その門内に美女がいるのを知ったのです。第二句で「顔容(かんばせ) 十五に余る」と言っていますが、これは若い女性の年齢をいうときの常套句で、王維より年上であった可能性が高いことが後の詩でわかります。王維は色白の美少年であったと言われていますので、女性のほうから遊びに来ないかと誘ったのでしょう。
 あとの八句は家の内部の様子や夫婦の生活の様子で、夫婦は豪奢な生活を営み、仲睦まじかったようです。
 夫婦といっても女性は小婦(おめかけ)であったと思われます。
 田舎出の純情な学生王維は、「対門の家」の夫婦から歓迎されたようです。

自憐碧玉親教舞  自ら憐む碧玉に 親しく舞を教え
不惜珊瑚持与人  惜しまず珊瑚を 持ちて人に与う
春窓曙滅九微火  春窓(しゅんそう)の曙に滅す九微(きゅうび)の火
九微片片飛花璅  九微は飛ばす片片(へんぺん)花璅(かさ)
戯罷曾無理曲時  戯罷(ぎや)んで 曾て曲を(なら)うの時無し
粧成秖是薫香坐  (しょう)成りて (ただ)是れ香を薫じて坐す
城中相識尽繁華  城中の相識(そうしき)()な繁華
日夜経過趙李家  日夜に経過す趙李(ちょうり)の家
誰憐越女顔如玉  誰か憐れまん 越女の(かんばせ)玉の如く
貧賎江頭自浣紗  貧賎して江頭に自ら(しゃ)(あら)うを
愛する妻に みずから舞いを教え
珊瑚を得て 惜しむことなく妻に与える
曙の春の光が窓に射し 九微の火は消えようとし
青い火花が 片ぺんとして明滅する
戯れは終わり 曲を習うの時はなく
化粧を直して ひたすらに香を薫じて坐している
宮中の顔見知りは 華やかな人たちばかり
昼も夜も 貴夫人の家から家を訪ねて歩く
川辺で働く洗濯女 西施の顔は玉のようだが
貧しげな越の女を 誰が憐れと思うだろうか

 この詩に大胆な解釈をほどこして、王維の青春を明らかにしたのは小林太市郎氏(神戸大学文学部教授・昭和三八年没)で、漢詩大系『王維』(集英社)にその遺稿が載せられています。
 王維の青春時代については、美少年で詩を作り琵琶に巧み、貴人にもてはやされたといったことを書いた本は多い。
 はじめ二句は前のつづきで、「対門の家」の夫婦仲のよいことが書かれています。ところが次の四句は韻字も「璅」と「坐」で換韻されています。
 意味的には後半のはじめ二句は後半の七句八句につながるもので、その中間の四句「春窓」から「薫香坐」までは異質な挿入句だというのです。この部分は「対門の家」の女性と王維との間に肉体関係があったことの表現であると、小林太市郎氏は解釈しています。
 女性は王維に琵琶の曲を教えてあげようとでも言って誘ったのかも知れません。思いもかけないことになってしまいましたが、王維は田舎から出てきた貧しい学生(がくしょう)に過ぎません。
 相手は趙飛燕(漢の成帝の皇后)や李夫人(漢の武帝の夫人)のような貴夫人の家に日ごと招かれるような華やかな生活をしています。
 王維はここで自分と夫婦の身分の差を強く意識して、越の西施せいしがいかに美人であろうとも、貧賎の身分で小川で紗を洗っているような状態では「誰か憐れまん」と、自分を西施と比較して悲観しています。

目次へ