秋 思         秋 思       張 籍
洛陽城裏見秋風 洛陽城裏 秋風を見る
欲作家書意万重 家書を作らんと欲して 意万重
復恐怱怱説不尽 復た恐る怱怱にして説いて尽くさざらんことを
行人臨発又開封 行人 発するに臨んで又封を開く
洛陽の街に 秋風が吹き
便りを書こうとするが つもる憶いでいっぱいだ
慌ただしく書いたので 言い足りぬことはなかろうかと
旅人の出ていく際にもう一度 封をひらいて見なおした

 張籍は貞元十五年(七九九)の進士及第者で、韓愈と同世代である。韓愈の文学改革運動に参加し、詩では人間感情の微妙な動きをとらえた。詩中の「行人」は旅人もしくは使者で、家族への手紙を旅行者に託して送ったのである。


 滁州西澗        滁州の西澗    韋応物
  独憐幽草澗辺生   独り憐れむ 幽草の澗辺に生ずるを
  上有黄鸝深樹鳴   上に黄鸝の深樹に鳴く有り
  春潮帯雨晩来急   春潮 雨を帯びて晩来急なり
  野渡無人舟自横   野渡 人無く 舟自ずから横たわる
谷川のほとりに ひっそり生える草が好きだ
頭上には枝葉がしげり 鶯が鳴いている
雨もよいの日暮れと共に 春の潮は急となり
野辺の渡しに人影はなく 小舟がひとり横たわっている

 韋応物は開元二十五年(七三七)ころの生まれですので、安史の乱のときは二十歳くらいでした。若いころは任侠を好み、玄宗皇帝の三衛郎(近衛兵)であったようです。乱後に勉学につとめ各地の刺史(州知事)を歴任し、自然を題材とした詩を作りました。
 滁州は今の安徽省滁県、西澗は城外にある川です。


 湘南即事        湘南即事      載叔倫
 盧橘花開楓葉衰   盧橘 花開いて 楓葉衰う
 出門何処望京師   門を出でて何れの処にか京師を望まん
 沅湘日夜東流去   沅湘 日夜 東に流れて去り
 不為愁人往少時   愁人の為に往とどまること少時もせず
金柑の花は咲き 楓葉は紅葉になった
門を出て都を望むが はてどちらだったか
沅水と湘水は やすむことなく東に流れ
愁い心の私のために しばし留まることもない

 載叔倫(たいしゅくりん)は開元二十年(七三二)の生まれですから、杜甫より二十一歳年少です。安史の乱のときは二十五歳でしたが、兵乱を避けて波陽(江西省鄱陽県)に移っています。その後進士に及第し、杭州新城(浙江省富陽県)の県令、撫州(江西省臨川県)の刺史などをつとめ、のち辞職して道士となり、ほどなく五十八歳で亡くなりました。
 「湘南」は湖南省のことで、沅水(げんすい)は西から、湘水(しょうすい)は南から洞庭湖に注いでいます。

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