別州民        州民に別る   白居易
耆老遮帰路     耆老きろうは帰路を遮さえぎ
壺漿満別筵     壺漿こしょうは別筵べつえんに満つ
甘棠無一樹     甘棠かんとう 一樹いちじゅだも無く
那得泪潸然     那いかんぞ泪なみだ潸然さんぜんたるを得ん
税重多貧戸     税重く 貧戸ひんこ多く
農飢足旱田     農飢え 旱田かんでんおお
唯留一湖水     唯だ一湖水を留とど
与汝救荒年     汝なんじに与えて荒年こうねんを救わん
長老たちは 別れを惜しみ
別れの宴は 酒でにぎわった
善政らしい事も していないのに
どうして彼らは 涙を流すのか
税金は重くて 貧しい家が多い
農民は飢えに苦しみ旱魃に悩む
そこで堤を築き 水を貯え
不作の備えにしてやった

 白居易は農民からも慕われており、「耆老」(農民の長老)たちが送別の宴を催してくれました。詩中の「遮帰路」は清廉な役人が去るのを惜しむ言葉です。「甘棠」はカタナシという木のことで、周の召公がその木の下で休憩した故事から善政の象徴とされていました。
 白居易は善政らしいこともせず、ただ堰堤を築いてやっただけなのに、どうしてこんなに感謝されるのかと、農民の苦しみに心を寄せています。


 寄皇甫七       皇甫七に寄す   白居易
孟夏愛吾廬     孟夏もうか 吾が廬いおりを愛す
陶潜語不虚     陶潜とうせんむなしからず
花樽飄落酒     花樽かそん 酒に飄落ひょうらく
風案展開書     風案ふうあん 書を展開す
隣女偸新果     隣女りんじょ 新果しんかを偸ぬす
家僮漉小魚     家僮かどう 小魚しょうぎょを漉ろく
不知皇甫七     知らず 皇甫七こうほしち
池上興何如     池上ちじょうきょう 何如いかん
「孟夏 吾が廬を愛す」と
陶淵明は言っているが おっしゃる通りだ
花見の酒に 花びらが舞い落ち
机上の風で ひとりでに書物はひらく
近所の娘が 実ったばかりの果実を盗み
召し使いが 池の小魚をすくう
いかがですか 皇甫湜よ
君の家の 池のほとりの趣きは

 白居易は夏五月に杭州を発ち、運河を北上して洛陽へ向かいます。
 その途中、符離に立ち寄って短期間滞在しました。
 そのころ符離の親族には官職についている者がおらず、所有地の多くを手放して困窮した生活におちいっていました。
 符離の親族には若いころひとかたならぬ世話になっていますので、出世した白居易は応分の援助を覚悟せねばなりません。
 白居易が洛陽についたのは秋になってからでした。
 すでに五十三歳になっています。
 体に調子の悪いところが多く、年齢よりは老けてみえたようです。
 東宮官の分司東都といっても、当時は敬宗が即位したばかりで、皇太子も指名されていませんでした。だからほとんど無用の官職といってよく、白居易は引退せよとの暗示ではないかと思って、長安のようすを窺いました。
 当時、都では戸部侍郎(正四品下)の牛僧孺ぎゅうそうじゅが同平章事に任命され、宰相になっていました。白居易は牛僧孺に書簡を送り、隠退を求められているのではないことを確かめてから洛陽にとどまることにしました。
 住居は妻の同族のひとり楊憑ようひょうの家が洛陽の履道里りどうりにありましたので、それを買い取って自宅としました。履道里は洛陽の東南隅に近いところにあって、郭内ですが辺鄙な場所です。その冬、越州にいる元稹の手によって『白氏長慶集』五十巻がまとめられ、十二月に完成します。
 これは白居易の二番目の詩文集です。
 白居易は洛陽にあって仕事もないまま宝暦元年(八二五)を迎えます。
 そのころ洛陽に聞こえてくるのは、敬宗の常軌を逸した生活でした。
 若い敬宗は政事をかえりみず、歓楽と女色にふける毎日でした。
 宰相の牛僧孺もそれを制することができません。
 そんななかで、白居易の唯一の楽しみは友人との詩の交換でした。皇甫湜こうほしょくは元和元年(八〇六)の進士で、白居易よりも後輩にあたります。
 気楽に交際できる相手であることが、詩からもうかがえます。

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