銭塘湖春行       銭塘湖 春行    白居易
   孤山寺北賈亭西   孤山寺こざんじの北 賈亭かていの西
   水面初平雲脚低   水面初めて平らかにして雲脚うんきゃく
   幾処早鶯争暖樹   幾処いくしょの早鶯そうおうか 暖樹だんじゅを争い
   誰家新燕啄春泥   誰が家の新燕しんえんか 春泥しゅんでいを啄ついば
   乱花漸欲迷人眼   乱花らんか 漸く人眼じんがんを迷わさんと欲し
   浅草纔能没馬蹄   浅草せんそうわずかに能く馬蹄を没す
   最愛湖東行不足   最も湖東ことうを愛し 行けども足らず
   緑楊陰裡白沙堤   緑楊陰裡りょくよういんり 白沙堤はくさてい
孤山寺の北 賈公亭の西
湖面はようやく穏やかになり 雲が垂れこめる
鶯が 樹々の日だまりで初音を競い
どの家の燕だろうか 春の泥をついばんでゆく
花は乱れて 人の目を迷わすほどに咲きはじめ
草の新芽は 馬蹄を隠すほどに伸びてきた
湖の東が好きになり どこまで行っても飽きることがない
なかでも楊柳やなぎ 緑の木陰と白沙の堤

 堰堤の工事が完成に近づいた正月の二十二日に、都では穆宗が三十歳の若さで病死しました。二十六日には皇太子李湛が即位して敬宗となりますが、十七歳になったばかりの少年でした。
 大喪が発せられますが、白居易は任期中に堰堤を完成させるために仕上げを急ぎ、二月には完成したと思います。堤上には楊柳ようりゅうを植えて、あたりの景観と調和するように配慮しました。
 新堤は白沙堤と名づけられ、白居易は孤山寺の北、賈公亭かこうていの西のあたりを飽きずに歩きまわるのでした。


  西湖留別        西湖留別     白居易
  征途行色慘風煙  征途せいとの行色こうしょく 風煙ふうえん慘たり
  祖帳離声咽管絃  祖帳そちょうの離声りせい 管絃咽むせ
  翠黛不須留五馬  翠黛すいたいは須もちいざれ 五馬ごばを留むるを
  皇恩只許住三年  皇恩こうおんは只だ許す 三年を住するを
  緑藤陰下鋪歌席  緑藤陰下りょくとういんか 歌席を鋪
  紅藕花中泊妓船  紅藕花中こうぐうかちゅう 妓船を泊はく
  処処迴頭尽堪恋  処処(しょしょ)(こうべ)を迴らせば尽く恋うるに堪えたり
  就中難別是湖辺  就中なかんずく 別れ難きは是れ湖辺
旅立ちの風景は 漂う靄もいたましく
別れの宴の歌声 管絃はもの悲しく咽び泣く
緑の山よ 刺史の車を引き止めるのはやめたがよい
天子が下されたのは 三年間の任期だけ
思えば 藤の木蔭で宴会を催し
蓮の花咲く湖で 妓女たちと船で遊んだ
見わたせば いずこも恋しい場所ばかり
なかでも別れがたいのは 西湖のほとりの美しさ

 三月に杭州刺史の任期が来て、白居易は太子左庶子(正四品上)分司東都に任ぜられ、洛陽勤務を命じられます。
 太子左庶子は東宮官で、もともと閑職であるうえ、分司東都は長安と同じ職を洛陽にも併置するもので、さらに閑職です。
 ただし、品階は中級の州の刺史と同じですので左遷ではありません。
 詩人刺史との別れを惜しんで、杭州では連日のように送別の宴が催されました。白居易は留別の詩(送られる者が送る者に贈る詩)を書き、「就中 別れ難きは是れ湖辺」と詠いました。

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