余杭形勝四方無 余杭よこうの形勝は四方しほうに無し
余杭形勝 余杭の形勝 白居易
余杭のような形勝の地は どこにもない
州は青山に囲まれ 県城は湖に臨む
湖岸を巡って 蓮の花は三十里もつらなり
城壁に沿って 千本もの松の木が茂る
謝霊運ゆかりの夢児亭は古びているが
蘇小小の名を伝える教妓楼は新しい
ここにひとり 年老いた州刺史がおり
美しい景色に 白い髭鬚ひげがそぐはない
「余杭」よこうは杭州西方の地名ですが、州は杭州、県は銭塘県ですので、この詩は西湖を囲む形勝の全体を詠っていると考えていいでしょう。
西湖は周囲三十里(約一五`b)と白居易自身が書き残しており、岸辺は蓮の花で満たされていたようです。「夢児亭」は六朝の詩人謝霊運しゃれいうんが夢をみたという伝承のある亭で、古びてはいますが残っていたようです。
銭塘の名妓蘇小小そしょうしょうが出ていたという「教妓楼」は新しくなって建っていました。白居易は杭州の刺史ですが、老いてしまって余杭の形勝にそぐはないと歎いています。
しかし、杭州では商玲瓏、謝好好といった妓女となじみ、音曲を楽しんだと言われていますので、悩みよりは楽しみの方が多かったようです。
西湖に柳 小島に松 蓮の花咲く寺があり
日暮れに櫂を動かして 道場をあとにする
山に枇杷の実 雨に濡れて重たげに垂れ
棕櫚の葉陰を 風は涼しげに吹いてゆく
靄は静かに流れ 水の碧さをゆらめかせ
あまたの堂塔は 夕陽に映えて重なり合う
岸辺に着いたら どうか振り向いて眺めてほしい
海のただなかに 蓬莱宮をみるであろう
西湖の北岸近くに高さ三八bの孤山という小島がありました。
その島に永福寺という南朝陳の時代に建てられた寺があって、「孤山寺」こざんじとも言われていました。
詩の前半で白居易は島にいて、日暮れに舟で帰途に着きます。
「盧橘」は金柑もしくは枇杷のことで、黄色の実が雨に濡れて重そうに垂れています。だから季節は仲夏五月のころでしょう。
白居易が杭州で夏を過ごすのは長慶三年だけです。孤山は現在、白堤で陸地とつながっており、この堤は白居易が築造したという伝えがあります。
堤は治水のために作られたもので、県城から行き来するには舟で湖上をゆくのが便利であったようです。後半で白居易は舟で湖上に出ています。
丁度夕暮れ時で、湖上から西北の方、孤山をふりかえると「楼殿」ろうでんは日没の逆光を受けて黒く重なり合ってみえます。
その向こうには茜色に彩られた夕空があり、まるで海のただなかに蓬莱宮があるのをみるようだと詠い、客人たちに贈りました。