暮江吟          暮江吟     白居易
   一道残陽鋪水中   一道いちどうの残陽ざんよう 水中に鋪
   半江瑟瑟半江紅   半江はんこうは瑟瑟しつしつ 半江は紅くれないなり
   可憐九月初三夜   憐れむべし 九月初三しょさんの夜よる
   露似真珠月似弓   露は真珠に似 月は弓に似たり
ひとすじの残光が 水面みなもに射し込み
江の半ばは碧みどり 半ばは紅に染まる
九月三日のその夜は 愛すべき美しさ
露は真珠のように 月は弓のような新月だ

 内郷県から南へ下れば襄陽に出て、そこから漢水を船で下ります。
 船はやがて長江に出て、長江を東に下ればかつての流謫の地、江州を通過します。白居易は湓浦の渡津に船を泊めて、一夜を廬山の草堂で過ごしました。自分で掘った池、そこに植えた蓮に花が咲いているのを眺め、感慨にふけるのでした。白居易はさらに長江を下って、九月のはじめには潤州(江蘇省鎮江市)に近づいていたでしょう。「暮江吟」ぼこうぎんは制作年のはっきりしない詩で、長江で晩秋の新月を仰ぐ機会はこれまでにも幾度となくあったはずです。「九月初三夜」に特別の意味があるのか不明ですが、白居易は詩中にしばしば年月や年齢を入れますので、単なる旅の日付かもしれません。
 その日、白居易は潤州にいて名勝として名高い北固山に登ったかもしれません。山頂から暮れゆく長江の景を眺めながら、白居易は有名なこの詩を作ったのではないか。


  杭州春望        杭州の春望    白居易
   望海楼明照曙霞   望海楼ぼうかいろう 明らかにして曙霞しょか照らし
   護江堤白蹋晴沙   護江堤ごこうてい 白くして晴沙せいさを蹋
   涛声夜入伍員廟   涛声とうせい夜入る 伍員ごうんの廟
   柳色春蔵蘇小家   柳色りゅうしょく春蔵す 蘇小そしょうの家
   紅袖織綾誇柿蔕   紅袖こうしゅう 綾を織りて柿蔕したいを誇り
   青旗沽酒趁梨花   青旗せいき 酒を沽いて梨花りかを趁
   誰開湖寺西南路   誰か開く 湖寺こじ西南の路
   草緑裙腰一道斜   草は緑に 裙腰くんよう一道いちどう斜めなり
望海楼は 朝焼けに照り映えて明るく
護江堤は 白沙を踏んで晴れた日に歩く
波の音が 夜の伍子胥の廟に響き
春の柳は 蘇小小の家をこんもりと覆う
若い娘は 綾織りの柿蔕花を自慢し
酒屋では 銘酒の梨花春が売れている
誰が開いたのか 弧山寺の西南の路
一筋の草の緑は 裳裾のように斜めに延びる

 船は潤州から大運河を南へ下り、蘇州を経て杭州に至ります。
 白居易が杭州に着いたのは冬の最初の日、十月一日でした。
 そのころの杭州はめざましい発展を遂げている途中の街で、精巧な絹織物や美しい刺繍をほどこした扇など、あらゆる贅沢品の産地でした。
 白居易は杭州到着後、半月以上も病気で臥していたようです。杭州は長安からすれば南の果ての遠隔地ですから、旅の疲れが出たのでしょう。
 しかし、翌長慶三年(八二三)の春になると、杭州の美しさ、繁華なようすが白居易を魅了します。白居易は杭州で二回の春を過ごしていますので、春の詩は長慶三年の春か、翌四年の春の作か不明です。「杭州の春望」は杭州ではじめての春を迎えたという感じの強い詩と思います。
 「望海楼」は作者の自注に「城東の楼を望海楼と名づく」とありますので、県城の東壁の上に建っていた城楼から海を望むことができたので、仮に名づけたもののようです。「護江堤」は銭塘江の護岸堤防と思われます。
 杭州は銭塘江の土砂が堆積してできた土地の上に築かれた街ですので、西湖(当時は一般に「銭塘湖」と称していました)と銭塘江の間は幅数㌔㍍しかなかったと言われています。「伍員廟」は春秋呉に仕えた伍子胥ごししょを祀る廟、「蘇小家」は六朝時代の杭州の名妓蘇小小そしょうしょうの家のことです。
 そのほか柿蔕花したいかの衣裳や銘酒梨花春りかしゅんなど、この詩には杭州の繁華なようす、名所・名風物が巧みに盛り込まれています。

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