曲江感秋二首其一 曲江 秋に感ず 二首 其の一 白居易
元和二年秋     元和げんな二年の秋
我年三十七     我が年としは三十七
長慶二年秋     長慶二年の秋
我年五十一     我が年は五十一
中間十四年     中間の十四年
六年居譴黜     六年は譴黜けんちゅつに居る
窮通与栄悴     窮通きゅうつうと栄悴えいすい
委運随外物     運に委ゆだねて外物がいぶつに随う
遂師廬山遠     遂に廬山の遠おんを師とし
重弔湘江屈     重ねて湘江しょうこうの屈くつを弔う
夜聴竹枝愁     夜には竹枝ちくしの愁いを聴き
秋看灩堆没     秋には灩堆えんたいの没するを看
元和二年の秋
私は三十七歳だった
長慶二年の秋
私は五十一歳である
中間の十四年
六年間は流謫の身であった
境遇の順不順 栄達か落魄かは
運に任せて状況に随う
廬山では慧遠えおんを師とし
湘江では屈原を弔った
夜は竹枝詞の悲しい歌の調べを聞き
秋には灩澦堆が水に没するのを見る

 明けて長慶二年(八二二)の正月、深州の城は落城寸前の状態にありました。白居易は戦乱平定の策を奏上しましたが用いられず、政府は二月二日に王庭湊の成徳節度使を追認して叛乱の罪を赦しました。
 以上の経過は白居易が李党寄りの献言をし、それが却下されて牛党の宥和策が採用されたことを意味します。
 元愼は前年の秋に翰林学士承旨・中書舎人(正五品上)に任ぜられていましたが、この年二月十九日に突如、同中書門下平章事どうちゅうしょもんかべんしょうじに任ぜられ宰相になりました。この人事は異例のもので、穆宗が他の宰相の議をへずに独断で決めたと言われており驚きをもって迎えられました。ところで河北に出陣していた裴度はいどは三月に都に帰還し、宰相に就任します。
 裴度はもとから元稹と対立していて仲が悪く、五月になると元稹が裴度を暗殺しようとしているという噂が流れます。調査の結果、噂は真実でないことが判明しますが、元稹にも別の落ち度があることが明らかとなり、一方、裴度のほうも暗殺の噂を流したのは裴度自身であることが分かり、喧嘩両成敗のような形で二人とも宰相を罷免される事態になりました。
 白居易は元稹とも裴度とも親しかったので、二人が政敵となって争うこと自体が苦しいことでした。元稹は失脚して同州(陝西省大荔県)刺史に左遷されましたので、政策実現の有力な手掛かりを失うことになりました。
 白居易は政府部内の党派争いに失望していましたが、元稹と裴度が罷免されたのに乗じて宰相になったのは李党の李逢吉りほうきつでした。
 このような状況では自分もいつまた党争に巻き込まれ、再び江州流謫のような悲運に見舞われるかもしれないと思い、白居易はみずから地方勤務を願い出ます。白居易は幾度も曲江を訪れて詩を作っていますが、この年の七月十日にも曲江を訪れ、二首の詩を書いています。
 其の一の詩の前半十二句は、これまでの自分の人生、特に流謫の苦しみを回想しているのが印象的です。

近辞巴郡印     近ごろ巴郡はぐんの印いんを辞し
又秉綸闈筆     又た綸闈りんいの筆を秉
晩遇何足言     晩遇ばんぐう 何ぞ言うに足らん
白髪映朱紱     白髪はくはつ 朱紱しゅふつに映ず
銷沈昔意気     銷沈しょうちんす 昔の意気
改換旧容質     改換かいかんす 旧もとの容質ようしつ
独有曲江秋     独り曲江の秋の
風煙如往日     風煙ふうえん 往日おうじつの如き有り
さきごろ忠州の刺史を辞し
中書省で筆をとる身分となる
晩年の待遇など ありがたくもないが
白髪に朱色の印綬が映える
往年の意気は消え
かつての容姿も変わり果てる
変わらないのは曲江の秋
昔と変わらぬ風が吹き 靄がただよう

 後半八句は都にもどって中書省に勤めるようになってからの白居易の心境ですが、この詩からは中書舎人という栄達の可能性のある地位に対する意気込みは少しも感じられません。諦観に似た感慨を洩らしており、自分の置かれている状況に白けてしまった無気力な心情が窺がわれます。

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