贈内子         内子に贈る   白居易
白髪方興歎     白髪はくはつまさに歎きを興おこ
青娥亦伴愁     青娥せいが 亦た愁いに伴ともな
寒衣補燈火     寒衣かんい 燈火に補おぎな
小女戲牀頭     小女しょうじょ 牀頭しょうとうに戲たわむ
闇澹屏帷故     闇澹あんたんとして 屏帷へいい
淒涼枕席秋     淒涼せいりょうとして 枕席ちんせき秋なり
貧中有等級     貧中ひんちゅうに等級有り
猶勝嫁黔婁     猶お黔婁けんろうに嫁とつぎしに勝まさ
白髪頭を 私が歎くと
若いお前も いっしょに嘆く
灯火の下で お前は冬着をつくろい
幼女は 寝台のそばで遊ぶ
屏風や帳は古びて黒くなり
夜具のあたりの秋のけはいがもの寂しい
貧乏にも 程度の差があって
黔婁の妻になるよりはましであろう

 三年に及ぶ流謫の生活に白居易はあきあきしていたようです。
 そんときは、妻をいたわる気持ちもわいてきます。「内子」ないし(妻)の楊氏は冬着の繕いをしていますので、晩秋のころでしょう。
 「小女」は二年前に江州で生まれた次女の阿羅です。
 同居の兄弟の家族には触れていませんが、屏風や帳とばり、寝台の上の夜具も古びて侘しい感じです。「黔婁」というのは春秋魯の清貧の高士で、魯公からたびたび招聘されましたが、仕えることなく生涯を終えたといいます。
 白居易は冗談を言って、妻をなぐさめているのでしょう。


 題峡中石上       峡中の石上に題す    白居易
   巫女廟花紅似粉  巫女廟の花は 紅くれないなること粉ふんに似たり
   昭君村柳翠於眉  昭君村の柳は 眉まゆよりも翠みどりなり
   誠知老去風情少  誠に老い去りて 風情ふぜいの少なきを知るも
   見此争無一句詩  此れを見ては 争いかでか一句の詩無からんや
巫女廟に咲く花は 頬紅のように紅く
昭君村の柳は 美人の眉よりも青い
年老いて 風情を感じることも少なくなったが
これを見たら 一句の詩を作らずにいられようか

 元和十三年(八一八)の冬も押し詰まった十二月二十日に、白居易は忠州(四川省忠県)の刺史に任ぜられました。
 忠州は長江三峡のさらに上流にあって、江州よりも辺鄙な土地ですが、州刺史に任ぜられたのですから流謫の罪は解かれたことになります。
 白居易は十二月二十二日には白行簡ら同居の親族を伴なって江州を発っていますので、ずいぶんと慌ただしい出発です。
 長江を遡る船旅は年を越えてつづきます。同じころ通州司馬の元稹も虢州かくしゅう(河南省盧氏県)の長史に量移(罪を軽くして都の近くに転勤させること)され、長江を下っているところでした。二人は三月十一日に峡州(湖北省宜昌県の西北)で出会い、四年振りの再会を喜び合いました。
 話はつきることなく、元稹は舟を遡らせて下牢まであともどりし、白居易もまた元稹を見送って江を下るという風で、歓談して三泊を共に過ごしました。峡州から長江を六五㌔㍍ほど遡ったところに姊帰しき(湖北省姊帰県)があり、そこに北から香渓が流れこんでいます。
 香渓の上流に昭君村しょうくんそん(湖北省興山県)があり、この村は王昭君の生まれた村として有名でした。白居易はその村を訪ねて詩を作り、それを巫女廟ふじょびょうの近くの峡中の石に書きつけました。
 詩は旅の慰みといった程度のものです。

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