酔吟二首 其二     酔吟 二首 其の二   白居易
   両鬢千茎新似雪   両鬢の千茎せんけい 新たなること雪に似たり
   十分一盞欲如泥   十分の一盞いっさんでいの如くならんと欲す
   酒狂又引詩魔発   酒狂しゅきょう 又 詩魔しまを引きて発す
   日午悲吟到日西   日午にちご悲吟して 日の西なるに到る
両鬢の千本の毛 雪のように白く
たっぷりの酒で 泥のように酔おう
酔った勢いで 詩作の意欲を駆りたて
正午から苦吟を重ね 日は西に傾いた

 内面の不満を消し去るには、泥のように酔うしかありません。
 酔った勢いで詩をつくるのが、白居易にとって誇りを保つ唯一の手段であったようですが、そんな精神状態で苦吟を重ねてもよい詩はできないのです。


  食後          食後     白居易
食罷一覚睡     食罷わりて 一覚いっかくの睡ねむり
起来両甌茶     起き来たりて 両甌りょうおうの茶
挙頭看日影     頭こうべを挙げて日影にちえいを看れば
已復西南斜     已すでに復た西南に斜めなり
楽人惜日促     楽しき人は 日の促あわただしきを惜しみ
憂人厭年賖     憂うる人は 年の賖ながきを厭いと
無憂無楽者     憂いも無く楽しみも無き者は
長短任生涯     長きも短きも生涯に任まか
食事が終わっての 一寝入り
起きてから飲む 二杯の茶
顔を挙げて 太陽を見上げると
早くもすでに 西南に傾いている
楽しみのある人は 一日の速いのを惜しみ
憂いを持つ人は 一年の長いのを嫌う
憂いも楽しみもない者は
長くても短くてもかまわない なりゆき任せだ

 そのころ白居易の兄の幼文は、浮梁の主簿の職を辞して徐州の符離に移って一族の者と暮らしていました。その兄が亡くなって、白居易は兄の遺族六、七人を江州に引き取ることになりました。また弟の白行簡は、元和二年に進士に及第したあと秘書省校書郎に任官し、二人が母の喪に服していた元和八年に渭村下邽で長男阿亀が生まれました。
 阿亀は男の子のいない白居易が引き取って養育していましたが、その後、白行簡は剣南節度使盧坦ろたんの掌書記になって巴地に行っていました。
 ところが、盧坦が亡くなったために白行簡は掌書記を辞し、家族を連れて江州の白居易のもとで寄食するようになりました。白居易は兄弟の家族をかかえて大家族となり、生活も苦しくなってきていたようです。
 「食後」の詩は秋のころの作品と思われますが、自分を「憂いも無く楽しみも無き者は」と規定し、なんとなく投げやりな感じがあります。

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