編集拙詩成一十五巻因題巻末戲贈元九・李二十 白居易
 拙詩を編集して 一十五巻と成し 因って巻末に題して 戲れに元九・李二十に贈る

  一篇長恨有風情  一篇の長恨ちょうこん 風情有り
  十首秦吟近正声  十首の秦吟しんぎん 正声せいせいに近し
  毎被老元偸格律  毎つねに老元ろうげんに格律かくりつを偸ぬすまれ
  苦教短李伏歌行  苦ねんごろに短李たんりをして歌行かこうに伏せしむ
  世間富貴応無分  世間の富貴は 応まさに分ぶん無かるべきも
  身後文章合有名  身後の文章は 合まさに名有るべし
  莫怪気粗言語大  怪しむこと莫かれ 気粗にして言語大なるを
  新排十五巻詩成  新たに 十五巻の詩を排はいして成る
一篇の長恨歌には 風情があり
十首の秦中吟には 詩の正しさがある
親愛なる元稹には いつも詩の格律を盗まれ
小柄の李紳には 歌行の出来に大層感心された
富や名声には もとより縁はないが
私の文章は 死後に有名になるだろう
荒っぽく大きなことを言うと思わないでくれ
十五巻の詩集が いま出来あがったばかりなのだ

 白居易の初めての自選詩集十五巻は十二月に完成し、友人の元稹と李紳りしんに送り届けることができました。
 掲げた詩は、詩集の巻末に記して二人に送ったものです。
 詩集には約八百首の詩が収められましたが、詩集の題名は不明です。
 内容については、詩集に添えて送った「元九に与うる書」に「諷諭詩百五十首、閑適詩百首、感傷詩百首、雑律詩四百首余りの四分類に分かち、計八百首から成る」と述べています。
 「元九に与うる書」は詩に対する白居易の考えを総括的に述べたもので、白居易は諷諭詩こそ『詩経』以来の詩の精神と伝統を受け継ぐ正統の詩であり、みずから評価できるものであると言っています。
 諷諭詩の代表作は「新楽府五十首」「秦中吟十首」であり、詩は社会に役立つもの、民衆の声を天子に伝えるものでなければならないと言っています。
 「閑適」と「感傷」の詩の違いについては、すでに実例について述べました。
 「雑律詩」は詩の内容からする分類ではなく、詩体による分類です。
 律詩などの近体詩をひとまとめにしたもので、白居易はあまり重きを置いていません。しかし、白居易はこのあと、諷諭詩と見られるものをほとんど作っておらず、作品の多くは雑律詩です。政事的な環境が変化して次第に諷諭詩を作ることが困難になってきたためで、その意味で「元九に与うる書」は諷諭詩宣言の書であると同時に、その終焉の書でもありました。


  庾楼暁望        庾楼暁望      白居易
   独憑朱檻立凌晨  独り朱檻しゅかんに憑り 凌晨りょうしんに立てば
   山色初明水色新  山色さんしょく初めて明らかにして 水色新たなり
   竹霧暁籠銜嶺月  竹霧ちくむ暁に籠む 嶺みねに銜ふくまるる月
   蘋風暖送過江春  蘋風ひんぷう暖かに送る 江こうを過ぐる春
   子城陰処猶残雪  子城しじょうの陰処いんしょお雪を残し
   衙鼓声前未有塵  衙鼓がこの声前せいぜん 未だ塵ちり有らず
   三百年来庾楼上  三百年来 庾楼ゆろうの上
   曾経多少望郷人  曾かつて 多少たしょう望郷の人を経たる
独り朱塗の欄干に寄り添い 朝早く立つと
山の色は明るくなりはじめ 川の水色も新しい
霧が夜明けの竹林をつつみ 嶺のあたりの月の影
風は浮草の上を暖かに吹き 春は川の上を過ぎてゆく
子城の陰には なお雪が消えのこり
県衙の太鼓が鳴る前で 路上には塵も立たない
三百年この方 庾楼の上には
故郷を思う人々が どれだけ過ぎていったろうか

 明けて元和十一年(八一六)、白居易は江州ではじめての春を迎えます。
 詩題の「庾楼」ゆろうは庾公楼ともいい、江州の太守であった晋の庾亮ゆりょうが建てたと伝える城楼です。詩中の「子城」は出城のことで、白居易は子城の陰の残雪に目をとめます。「衙鼓」は朝の開門を告げる太鼓で、開門の太鼓が鳴る前ですので人馬の往来もなく、路上に塵も立っていません。
 静かな朝です。結びの「望郷の人」は単に旅人と考えてもいいのですが、江州を通ってさらに南の地へ流されていった人々をさすと考えると、作者の思いはいっそう切実となります。

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