晏座閑吟        晏座閑吟   白居易
   昔為京洛声華客  昔は 京洛けいらく声華せいかの客為
   今作江湖老倒翁  今は 江湖こうこ老倒ろうとうの翁と作
   意気銷磨群動裏  意気銷磨しょうます 群動の裏うち
   形骸変化百年中  形骸けいがい変化す 百年の中うち
   霜侵残鬢無多黒  霜は残鬢を侵して 多くの黒きもの無く
   酒伴衰顔只暫紅  酒は衰顔に伴いて 只暫しばらく紅くれないなるのみ
   頼学禅門非想定  頼さいわいに 禅門の非想定ひそうじょうを学び
   千愁万念一時空  千愁万念ばんねん 一時に空むな
昔は都で 高い名声を得ていたが
今は江湖で 老いた翁となっている
物みなが躍動するなかで 私は意気消沈し
人生百年 骨肉は変化してしまう
霜は鬢の毛を侵し 黒髪も少なくなり
衰えた顔に 酒がしばしの赤みをさす
幸いにも 禅門の悟りの境地を学んだので
様々な愁いや雑念も 一度に消えてなくなった

 船は夏口から二〇〇㌔㍍ほど長江を下って江州に着きます。江州の州治は潯陽(江西省九江市)にあり、江州は郡名を潯陽じんよう郡ともいいます。
 城の近くを湓水ぼんすいが流れ、潯陽城は一名を湓城ともいいました。
 白居易の上司、崔さい江州刺史は、新任の司馬を貶謫の罪人としてではなく、著名な詩人として遇しましたので、白居易は比較的自由な生活を送ることができたようです。江州に着いたのは冬のはじめ十月のことで、まずは城内に居を定めました。詩題の「晏座閑吟」あんざかんぎんは、安らかに座って静かに詩を読むという意味ですが、詩の内容は貶謫者の「千愁万念」に満ちています。
 詩中の「非想定」は何の執着もない禅の境地であり、無念無想の世界をさしていますが、それはむしろ白居易が、そうありたいという希望を述べたものと解するべきでしょう。


 江州雪         江州の雪    白居易
新雪満前山     新雪 前山ぜんざんに満ち
初晴好天気     初めて晴れて天気好し
日西騎馬出     日西にして 馬に騎りて出ずれば
忽有京都意     忽ち京都けいとの意有り
城柳方綴花     城柳じょうりゅうまさに花を綴り
簷冰纔結穂     簷冰えんぴょうわずかに穂を結ぶ
須臾風日暖     須臾しゅゆにして 風日ふうじつ暖かに
処処皆飄墜     処処しょしょ 皆な飄墜ひょうつい
行吟賞未足     行吟こうぎんしょう未だ足らず
坐歎銷何易     坐歎ざたんしょう何ぞ易やす
猶勝嶺南看     猶お嶺南れいなんの看かんに勝まされり
雰雰不到地     雰雰ふんぷんとして地に到らず
前方の山に 新しい雪がつもって
晴れ上がり いい天気になった
日暮れに 馬に乗って出かけると
長安にいるような気分になる
城のほとり 柳には花のように雪がつらなり
軒のつららは わずかに穂のように垂れている
すると忽ち 日は暖かになり
到るところで 雪や氷は融けてしまう
心ゆくまで 詩情を楽しむ暇もなく
雪解けの早さに ため息をつく
だがしかし 嶺南に降る雪のように
地に届く前に消えるよりはいいだろう

 白居易は流謫を機会に、これまでの自分の詩業を振りかえり、詩集にまとめることにしました。江州到着の冬は詩集編纂の仕事に費やされたようです。
 そんな作業のある夜、雪が降りました。潯陽の南に横たわる廬山ろざんにも新雪がつもり、翌朝は晴れたいい天気になりました。
 詩集編纂の疲れを休める意味もあったのでしょう。
 白居易は日暮れになって馬に乗って散歩に出かけます。
 詩はそのときの感懐で、長安にいるような気分がしたと言っています。
 白居易は若いころ江南に住んでいたことがありますので、江南の冬ははじめての経験ではありません。しかし、江南の雪に都を想い出し、久しぶりに迎える南国の冬の暖かさが珍しかったようです。
 雪や軒のつららはすぐに消えてしまい、詩情を楽しむ暇もないと嘆いていますが、結びの二句は重要です。
 嶺南(広東省方面)に降る雪が地上に届く前に消えてしまうのよりはよいと、遠く嶺南の地に流されている人もいることに思いを馳せています。

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