舟中雨夜       舟中 雨の夜   白居易
江雲暗悠悠     江雲こううん 暗くして悠悠ゆうゆうたり
江風冷修修     江風こうふう 冷たくして修修しゅうしゅうたり
夜雨滴船背     夜雨やう 船背せんぱいに滴したた
夜浪打船頭     夜浪やろう 船頭せんとうを打つ
船中有病客     船中せんちゅうに病客有り
左降向江州     左降さこうされて江州に向かう
長江の雲は どこまでも暗く広がり
長江の風は 冷たい音で吹きつける
夜の雨は 舟の背から滴り落ち
夜の浪は 舟の舳先に砕け散る
船中には 病の旅人
左遷されて 江州へ向かうのだ

 この詩には「江雲」「江風」の語がありますので、漢水から長江に出てからの作品でしょう。舟は夏口かこう(湖北省武漢市漢口区)から長江に入りますが、詩は雨の降る夜、船中で病に臥しているときの作です。
 病中であるにしても、詩人の心象風景は暗澹としたもので、前の詩の「一旦来たりて此に遊ぶ」といった心境はどこにもありません。
 貶謫という重要な事態に際会して、同じ旅で全く反対の心境を詠っているのは不思議なことです。実はのちに編まれた詩集で、「舟中雨夜」は「感傷」の部に収められ、「舟行江州路上作」は「閑適」の部に収められています。
 閑適の詩というのは、白居易が独自に創出した詩の境地もしくは意識的に意義づけした詩の概念で、日常生活の中で寝たり食べたりする当たり前のことに満足や充足を覚え、そこに生きることの喜びを味わう態度を意味します。この態度に積極的な意義を認めて詩に詠いあげることを、新しい詩作の態度として主張するのです。それに対して「感傷」の詩は従来型の抒情詩もしくは詠嘆の詩をさしており、自然の感情のままに詠った詩です。
 だから「舟行江州路上作」は詩人として在るべき姿を描いたことになり、「舟中雨夜」は飾り気のない本心を詠っていることになります。


 舟中読元九詩     舟中にて元九の詩を読む 白居易
   把君詩巻燈前読   君が詩巻を把りて 燈前とうぜんに読む
   詩尽燈残天未明   詩尽き燈ともしび残りて 天未だ明けず
   眼痛滅燈猶闇座   眼痛み燈を滅して 猶お闇座あんざすれば
   逆風吹浪打船声   逆風げきふう浪を吹いて 船を打つ声
君の詩集を手にとって 灯火の下で読む
読み終わって灯火は残り まだ夜は明けない
目が痛むので灯火を消し 暗い中に坐していると
逆風は浪を吹きつけ 船板を打つ音がする

 「閑適」「感傷」の区分に従えば、この詩も「感傷」の詩に属するでしょう。
 元稹が通州司馬になって都を去るとき、編纂済の自分の詩集を白居易の手に託していきました。白居易は船旅の舟中で元稹の詩巻をひもとき、夜を徹して読みふけりました。
 詩集には貶謫される元稹の苦しい胸の内がつづられており、いま同じ境遇に落ちてしまった白居易には、身につまされるものがあったでしょう。
 詩は「燈」によって時間の経過が示されており、結句の「逆風浪を吹いて 船を打つ声」は白居易の心境を映して悲壮です。

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