酔後却寄元九     酔後 元九に却寄す  白居易
蒲池村裏匇匇別   蒲池村裏ほちそんり 匇匇そうそうとして別れ
灃水橋辺兀兀廻   灃水ほうすい橋辺 兀兀こつこつとして廻かえ
行到城門残酒醒   行きて城門に到れば 残酒ざんしゅ
万重離恨一時来   万重ばんちょうの離恨りこん 一時に来たる
蒲池の村では あわただしい別れ
灃水橋の辺を とぼとぼと帰る
城門に着くと 酒の酔いも一時に醒め
別れの悲しみが 胸一杯に湧いてきた

 元稹は三月二十五日に通州(四川省達県市)の司馬に任ぜられ、三月三十日に長安を発って行きました。
 長安の地区と漢中地区との境を灃水が流れています。
 白居易は灃水の近くの蒲池村まで元稹を見送り、長安へもどってきます。
 城門に着くと、別れの酒の酔いも醒めて、悲しみが胸に満ちてくるのでした。


   初貶官過望秦嶺   初めて官を貶されて望秦嶺を過ぐ 白居易
草草辞家憂後事   草草そうそう家を辞して 後事こうじを憂い
遅遅去国問前途   遅遅ちち国を去りて 前途ぜんとを問う
望秦嶺上迴頭立   望秦嶺上 頭こうべを迴めぐらして立てば
無限秋風吹白鬚   限り無き秋風しゅうふう 白鬚はくしゅを吹く
慌ただしく家を出て 後のことが心配になり
ぐずぐずと都を去り 行く末のことを思う
望秦嶺に立って 都のかたを振りかえると
限りなく吹く秋風が 白いあご鬚をなびかせる

 淮西で叛した呉元済の討伐は、年が明けてもつづいていました。
 平廬節度使の李師道と成徳節度使の王承宗がひそかに呉元済を支援していたので、政府軍は効果的にたたかえなかったのです。
 そんなとき、都で重大な事件が起こりました。
 六月三日の未明、宰相の武元衡ぶげんこうが宮中への参内の途中、靖安里の自宅近くで何者かに殺害されたのです。同じ時刻に御史中丞(正五品上)の斐度かいども暴漢に襲われ、重傷を負いました。当時の朝政は早朝に行われます。
 白居易はこの事件を宮中で知り、宮中からの帰途、殺害現場を見に行って、直ちに暗殺者を捜し出して逮捕すべきであると上書しました。
 白居易の上書は正午には提出されたといいますので、かなりすばやい行動でした。しかし、白居易の上書には問題があります。太子左賛善大夫である白居易は、宰相暗殺のような重大事件について上書する立場にありません。
 つまり越権行為に当たるのです。白居易もそのことは知っていたはずです。
 憂国の至情から出たと好意的に解することもできますが、閑職に不満を持っていた白居易があえて突出した行動に出て、一勝負したいという気持ちが働いていたと解することもできます。
 やがて白居易の異例の行動に対して、どこからともなく非難の声が湧いてきて、翰林学士の王涯おうがいが正式に弾劾したことにより、白居易は七月末に江州(江西省九江市)司馬に左遷されることになりました。
 州司馬は州の次官のひとりですが、当時はなんの仕事もない名目だけの冗官でしたので、左遷といっても配流に等しい処罰です。
 白居易は処分を黙って受け入れ、八月のはじめに家族よりも一足先に家を離れ、元稹が江陵へ去っていったのと同じ覇城門から江州へ旅立ちました。
 詩題の「望秦嶺」ぼうしんれいは驪山りざんの麓にあり、そこを過ぎると長安が見えなくなります。結びの「限り無き秋風 白鬚を吹く」は絵のような一句で、自分の心境を表わしています。 

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