見元九         元九に見う   白居易
   容貌一日減一日   容貌 一日は一日よりも減おとろえ
   心情十分無九分   心情 十分じゅうぶに九分無し
   毎逢陌路猶嗟歎   毎つねに陌路はくろに逢うも 猶お嗟歎さたん
   何況今朝是見君   何ぞ況いわんや 今朝 是れ君を見るをや
人の容貌は 日に日に衰え
気力の九割は無くしてしまう
路上で人に逢っても 私はいつも悲しむのだから
今朝 君と会ったときの衝撃を察してほしい

 白居易が再び長安に召し出されたのは、元和九年(八一四)の冬になってからでした。十月十三日に中書侍郎同平章事(宰相)の李吉甫が死んでいますので、そのことが関係しているかも知れません。
 喪に入ってから三年半も経過しての再任用であり、白居易は意識的に放置されていた可能性があります。任命されたのは太子左賛善大夫たいしささんぜんたいふ(従四位下)で、品階は門下省の給事中や中書省の中書舎人よりも高いのですが、国政に口を出せない閑職です。
 白居易はこれを受け入れ、長安の昭国里に居をかまえました。昭国坊は大慈恩寺のある晋昌坊の北に位置し、高台に属する住宅地です。
 この年の閏八月に淮西節度使の呉少陽ごしょうようが死に、その子の呉元済ごげんさいが留後を称して叛しました。
 政府は淮西周辺の節度使に討伐を命じますが、兵の動きは緩慢でした。
 翌元和十年(八一五)の正月、江陵府士曹参軍の元稹が都に呼びもどされ、白居易は五年振りに親友と会うことができました。
 詩はそのときのもので、白居易は元稹の容貌、気力の変わりように驚き、言葉もなく顔を見合わせるのでした。


  白牡丹         白牡丹     白居易
   白花冷澹無人愛   白花はくか冷澹れいたんにして 人の愛する無し
   亦占芳名道牡丹   亦た芳名ほうめいを占めて 牡丹と道
   応似東宮白賛善   応まさに似たるべし 東宮の白賛善はくさんぜん
   被人還喚作朝官   人に還た喚ばれて 朝官と作さるるに
白い花は冷淡な感じで 人に愛されない
それでもよい名を与えられ 牡丹という
東宮の白はく左賛善大夫も同じこと
また召し出されて 朝官にされているのだ

 元和十年の二月になると、永貞の政変に連座して配流となっていた八司馬のうち五人が許されて長安にもどってきました。しかし、すぐに遠隔地の州刺史に任ぜられて都から遠ざけられてしまいます。
 柳宗元りゅうそうげんは三月に柳州(広西壮族自治区柳州市)の刺史になり、ほどなく任地で没することになります。
 憲宗の八司馬に対する処分は、十年経っても緩んでいませんでした。
 白居易と元稹はそれを粛然として眺めながら、城南の郊外や皇子陂おうじはなどに騎馬で遠出をしたりして旧交を暖めました。
 掲げた詩は、そのころに作られた作品と思われます。
 牡丹は長安で流行した花ですが、花の色に赤紫色と白色があって「白牡丹」はくぼたんは珍重されなかったようです。
 白居易は自分の姓の「白」を左賛善大夫にかけて自嘲しています。
 元稹は都へもどってきましたが、中央への復帰は難しいと分かっていました。
 だから白居易は、閑職についた自分を白牡丹の朝官ちょうかんと嘲って見せたのです。

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