秋遊原上       秋 原上に遊ぶ  白居易
七月行已半     七月 行々ゆくゆく已に半ばなり
早涼天気清     早涼そうりょう 天気清し
清晨起巾櫛     清晨せいしん 起きて巾櫛きんしつ
徐歩出柴荊     徐歩じょほして柴荊さいけいを出ず
露杖筇竹冷     露杖ろじょう 筇竹きょうちく冷ややかに
風襟越蕉軽     風襟ふうきん 越蕉えつしょう軽し
秋七月 半ばを過ぎようとし
初秋の涼しさ 空は清らかに澄みわたる
清々しい朝だ 起きて見じまいをし
ゆっくりと わが家の門を出る
露に濡れた杖 筇竹の冷たい手ざわり
襟元に風が吹き 越の芭蕉布の衣は軽い

 渭村下邽での生活も、二年目の秋を迎えるころには、親しく言葉を交わす村人も出てきました。「筇竹」は蜀の山地で取れる竹で、それで作った杖は上質のものであったようです。白居易はこのとき四十一歳であり、杖を必要とするほど老いてはいません。高原に遠出するような散策には杖を持つのが、このころの知識人の習慣であったようです。

閑携弟姪輩     閑しずかに弟姪ていてつの輩はいを携えて
同上秋原行     同ともに秋原しゅうげんに上りて行く
新棗未全赤     新棗しんそう 未だ全く赤からず
晩瓜有余馨     晩瓜ばんか 余馨よけい有り
依依田家叟     依依いいたり田家でんかの叟そう
設此相逢迎     此れを設もうけて相あい逢迎ほうげい
自我到此村     我 此の村に到りし自
往来白髪生     往来して 白髪はくはつ生ず
村中相識久     村中 相識そうしき久しく
老幼皆有情     老幼 皆みなじょう有り
弟や甥を連れ
のどかに秋の高原に上ってゆく
棗はなったばかりで まっ赤ではなく
終わりかけの瓜にも 残り香がある
顔なじみの農家の主人が
棗や瓜を出して もてなしてくれる
私がこの村に来てから
村人とつきあい 白髪もはえた
知り合って久しい者もあり
年寄りも子供も みな人情がある

 白居易は弟や甥(姪は「おい」)を連れて、みのりの田野を眺めながら秋の高原を歩いてゆきます。
 高原といっても、平地よりは少し高くなった黄土の台地でしょう。それから顔なじみの農家に立ち寄って取れたての作物のもてなしを受けます。
 村人は年寄りも子供もみな人情があると、心地よさそうです。

留連向暮帰     留連りゅうれんして暮れに向なんなんとして帰る
樹樹風蝉声     樹樹じゅじゅ 風蝉ふうせんの声
是時新雨足     是の時 新雨しんう足り
禾黍夾道青     禾黍かしょ 道を夾はさみて青し
見此令人飽     此れを見れば人をして飽かしむ
何必待西成     何ぞ必ずしも西成せいせいを待たん
長居して 日暮れになって帰ってくると
樹々に風 蝉の声が聞こえてくる
このところ 雨がたっぷり降ったので
稲やきびは 道の両側で茂っている
これを見れば 人々も天の恵みに満足し
秋の収穫を 心配して待つこともなさそうだ

 日暮れになって高原の散策からもどってくると、樹々に涼しい風が吹き、蝉の声が聞こえてきます。
 秋のみのりも上々で、「何ぞ必ずしも西成を待たん」と結びます。
 ここに出てくる「西成」は『尚書』堯典にみえる語で、秋に万物がみのることを意味します。詩に重量感を与える語ですが、中国古典の重みを背負っていますので、日本語に訳するのは困難です。

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