沈園二首 其一     沈園二首 其の一   陸 游
城上斜陽画角哀  城上(じょうじょう)の斜陽 画角(がかく)哀し
沈園非復旧池台  沈園(しんえん)は復た旧池台(きゅうちだい)に非ず
傷心橋下春波緑  心を(いた)ましむ 橋下 春波(しゅんぱ)の緑
曾是驚鴻照影来  曾て是れ驚鴻(きょうこう)の影を(うつ)し来る
壁上に夕陽かたむき 角笛の哀しい音がする
沈園も変わりはて 苑池楼台は見るかげもない
思えば胸が傷んでくる 橋下の池は春にして緑色
鴻のかつて飛び立つ絵姿を 映したこともあったのだ

 陸游は高宗の紹興十四年(一一四四)、二十歳のときに母親の親族から唐琬(とうえん)を娶りました。二人は仲むつまじい新婚生活を送ったのですが、やがて母親と唐琬のあいだがうまくゆかなくなりました。
 陸游は一時、家を別に借りて唐琬を住まわせ、自分が通うようなこともしましたが長くつづかず、三年ほどで離婚させられ、王氏の娘と再婚しました。王氏女とは幾人も子を儲け、永く連れ添います。
 唐琬もその後、宗室趙氏の一員と再婚しました。陸游が三十一歳になった年の春、郷里山陰の沈氏の庭園で二人は偶然に出会います。
 唐琬は夫に従って歩いており、二人は目を合わせただけで行き過ぎますが、ほどなく陸游の席に唐琬の夫の席から酒肴が届きました。
 再会といってもただそれだけのことですが、陸游は「釵頭鳳(さとうほう)」という詞を作って庭園の壁に書きつけます。
 その後まもなく唐琬は若くして亡くなりますが、陸游にとって唐琬は生涯忘れることのできない想い出となりました。
 詩は陸游が七十五歳の春、沈氏の旧園を訪ねて作ったものです。
 「(おおとり)」が唐琬であることは言うまでもありません。


 沈園二首 其二      沈園二首 其の二   陸 游
 夢断香銷四十年   夢は断え香は()えて四十年
 沈園柳老不飛綿   沈園の柳も老いて綿を飛ばさず
 此身行作稽山土   此の身 行々稽山の土と作らんとするに
 猶弔遺蹤一泫然   猶お遺蹤(いしょう)を弔って一たび泫然(げんぜん)たり
夢は断ち切られ 余香は消え去って四十年
沈園の柳も老い 柳絮も飛ばなくなった
やがてこの身も 会稽山の土となるだろう
想い出の地を訪れて なおも涙はしとどに流れる

 七十五歳のときの作品で、「香銷四十年」と言っているのは、唐琬が亡くなってから四十年という意味でしょう。
 唐琬と沈園で再会したのは陸游が三十一歳のときですから、その四年後、陸游三十五歳のときに唐琬は亡くなったものと思われます。
 詩中の「綿」わたは、柳が春に飛ばす「柳絮(りゅうじょ)」のことです。
 「稽山(けいざん)」は会稽山(かいけいざん)のことで、陸游の郷里越州山陰の南にあります。
 唐琬との再会の地「沈園(しんえん)」を訪れて、老陸游は涙を流すのです。

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