議婚          婚を議す   白居易
天下無正声     天下 正声せいせい無し
悦耳即為娯     耳を悦よろこばしむれば即ち娯たのしみと為
人間無正色     人間じんかん 正色せいしょく無し
悦目即為姝     目を悦ばしむれば即ち姝かおよしと為す
顔色非相遠     顔色がんしょく相遠きに非あらざるに
貧富則有殊     貧富は則ち殊ことなる有り
貧為時所棄     貧しきは 時ときの棄つる所と為り
富為時所趨     富めるは 時の趨おもむく所と為る
天下に 正しい音楽というものはない
聞いて楽しければ それがよい音楽だ
世間に ほんとうの美人と決まったものはない
見て美しければ それが美人だ
人の美醜に大差はないが
貧富の点では大いに異なる
貧乏だと世間に見棄てられ
金持ちだと皆にもてはやされる

 元和五年(八一〇)の五月、白居易は京兆府の戸曹参軍(正七品上)に任ぜられました。一見左遷のようですが、都府の役人で翰林学士の兼務はそのままですので、むしろ翰林院の仕事に専念させるための措置とも考えられます。
 加えて品階は五段階の昇進となりますので、収入は倍増することになります。そのころ白居易の母陳氏は思い病にかかっていましたので、収入の増加はありがたかったでしょう。前年の秋からつづいていた成徳節度使王承宗おうしょうそうの討伐は、そのご進展せず、軍事費がかさむだけではなく、政府軍に厭戦気分が生じていました。白居易は王承宗との和約もやむを得ないと考えて上書を提出し、上書は採用されて秋七月には王承宗の地位は認められ、討伐軍は引き上げました。そうした勤務のかたわら、白居易はこの年、「新楽府五十篇」と対になる諷諭詩の連作「秦中吟十篇」を書いています。
 「議婚」はその第一首で、富家の娘と貧家の娘の結婚について論じています。
 はじめの八句は序章で、人の美醜は見る人によってさまざまであるが、貧富の点では大いに差があり、金持ちの娘は皆からもてはやされると指摘しています。

紅楼富家女     紅楼こうろうの富家ふうかの女むすめ
金縷繡羅襦     金縷きんる 羅襦らじゅに繡ぬいとり
見人不斂手     人を見るも手を斂やすめず
驕痴二八初     驕痴きょうち 二八にはちの初め
母兄未開口     母兄ぼけい 未だ口を開かざるに
已嫁不須臾     已すでに嫁ぎて須臾しゅゆもせず
緑窓貧家女     緑窓りょくそうの貧家の女むすめ
寂寞二十余     寂寞せきばくとして二十はたち余り
荊釵不直銭     荊釵けいさぜにに直あたらず
衣上無真珠     衣上いじょうに真珠しんじゅ無し
幾迴人欲聘     幾迴いくたびか 人 聘へいせんと欲するも
臨日又踟蹰     日に臨のぞみて又た踟蹰ちちゅう
朱塗りの邸宅に住む金持ちの娘は
薄絹の衣装に 金糸で刺繍をする
人が来ても手を休めず
無邪気で 十六になったばかりだ
母や兄が口もひらかないうちに
すでに婚儀の手筈はととのっている
緑の窓の貧乏な家の娘は
寂しく暮らして二十を過ぎる
安っぽい荊のかんざしをつけ
衣裳に真珠の飾りもない
幾度か 貰おうとする人はいたが
いざとなると 二の足をふむ

 「新楽府」は『詩経』の文学観に立脚して、政事や社会に対する意見や批判を述べることに重きを置いていましたが、「秦中吟」しんちゅうぎんはもっぱら当時の習慣や風俗の不条理を指摘することによって、人々の蒙を啓こうとするものでした。唐代中期のさまざまな世相、世間の価値観や道徳観の浅薄な部分を取り出して注意を喚起しています。
 中の十二句では、前半の六句で金持ちの娘は十六歳になったばかりだというのに、周囲の者が婚儀の手筈をととのえてしまうと詠います。後半の六句では、貧乏な家の娘は二十歳を過ぎても結婚しようという者が現われないと詠い、貧富の差が結婚に影響を与えることを対比して述べています。

主人会良媒     主人 良媒りょうばいを会し
置酒満玉壺     置酒ちしゅ 玉壺ぎょくこに満つ
四座且勿飲     四座しざしばらく飲む勿なか
聴我歌両途     我が両途りょうとを歌うを聴け
富家女易嫁     富家ふかの女むすめは嫁し易やす
嫁早軽其夫     嫁すること早きも其の夫を軽んず
貧家女難嫁     貧家ひんかの女は嫁し難く
嫁晩孝於姑     嫁すること晩おそきも姑しゅうとめに孝なり
聞君欲娶婦     聞く 君 婦よめを娶めとらんと欲すと
娶婦意如何     婦を娶る 意は如何いかん
ご主人はよい仲人たちを集め
宴会を開いて壺入りの酒を出す
一座の方々よ 飲むのをしばらくやめて
私の貧富の歌を聞いてくれ
金持ちの娘は たやすく嫁いで
早く結婚するが 夫をばかにする
貧乏な家の娘は 縁談に恵まれず
嫁ぐのは遅いが 姑に孝行する
聞けばご主人は 嫁を娶りたいとか
結婚についてのご意見は いかかがですかな

 しかし本当は、結婚の相手には貧乏な家の娘のほうがいいのだと、白居易は主張します。その舞台を仲人たちを集めた酒宴の席にしているのは巧みな設定です。最後の六句が白居易の意見で、金持ちの娘は夫をばかにするけれど、貧乏な家の娘は姑に孝行する。どちらがいいですか、と問い掛けています。

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