折剣頭        折剣の頭  白居易
拾得折剣頭     折剣せつけんの頭さきを拾得しゅうとく
不知折之由     之を折りし由ゆえを知らず
一握青蛇尾     一握いちあく 青蛇せいだの尾
数寸碧峰頭     数寸なる碧峰へきほうの頭いただき
疑是斬鯨鯢     疑うらくは是れ 鯨鯢げいげいを斬るか
不然刺蛟虬     然らずんば 蛟虬こうきゅうを刺すか
欠落泥土中     欠けて泥土でいどの中に落ち
委棄無人収     委棄いきせられて人の収おさむる無し
我有鄙介性     我に鄙介ひかいの性せい有り
好剛不好柔     剛ごうを好んで柔じゅうを好まず
勿軽直折剣     直折ちょくせつの剣を軽んずること勿かれ
猶勝曲全鉤     猶お 曲全きょくぜんの鉤こうには勝れる
折れた剣の切っ先を拾ったが
折れた理由はわからない
青い蛇の尻尾の先ともみえ
気高い峰の尖った頂ともみえる
もしかしてこれは 大海の鯨を切ったのか
そうでなければ 蛟龍を刺したのであろう
欠けて泥の中に落ち
捨てられて 拾う人もない
私は愚かな ひねくれ者
剛直を好み 妥協を好まない
真っ直ぐなため 折れた剣を軽んじてはいけない
曲がって安全な釣り針よりは すぐれているのだ

 そのころ白居易は、翰林院の銀台門(南門)に呼び出されました。
 そこで五題の制詔についての論策を命ぜられましたが、それは翰林院へ登用するための試験でした。
 答案は及第し、白居易は十一月五日に翰林院学士に採用されます。
 翰林院学士は令外の官で、天子の特命を受けて詔勅などの草案を起草するのが役目です。令外の官といっても優秀な官僚が集められ、天子の直接の諮問に答えるのですから、非常に名誉な職と考えられていました。
 翌元和三年(八〇八)四月二十八日、白居易は翰林院学士のまま門下省左拾遺従八品上に任ぜられ、いよいよ国政の中枢に参画する身分になりました。
 このとき親友の元愼は母親の喪に服して都にはいませんでした。白居易はひとり心中に決するものがあり、「折剣の頭」の詩を書いたと思われます。
 白居易には時の政事を批判する精神が芽生えていましたが、詩はその心を折れた剣の切っ先に託して詠ったものでしょう。
 しかし、その志がはっきりと表に出て来るのはもうすこし後のことです。


 贈売松者       松を売る者に贈る 白居易
一束蒼蒼色     一束いつそく 蒼蒼そうそうの色
知従澗底来     澗底かんていり来たるを知れど
斸掘経幾日     斸掘しょくくつして幾日をか経たる
枝葉満塵埃     枝葉しよう 塵埃じんあい満つ
不買非他意     買わざるは他意たいあるに非あら
城中無地栽     城中 栽うる地無し
ひと束の蒼々とした色
谷底から採って来たのは知っているが
掘り出して まだ幾日もならないのに
枝葉は塵と埃にまみれている
買わないのは ほかでもない
長安には 植える土地がないからだ

 都勤めになった白居易は、新昌坊に新居を構えます。新昌坊は校書郎に任官したときに住んだ常楽坊のふたつ南の坊で、高台に属します。
 坊の東南隅に青龍寺があり、楽遊原につらなる辺鄙な住宅地です。
 松の苗を売る賈人に詩を贈ったのも、このころのことでしょう。
 この詩が五言六句の変則的な詩であるのも、即興的に作られたものであることを示しています。松の苗を買わないことを小難しく述べてありますが、谷底から掘り出した松は寒門出身であることを意味しており、松は高潔な人格者の比喩でもあります。「城中 栽うる地無し」と言っているのは、高潔な者が生きることの難しさを嘆いているのでしょう。

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