客路感秋寄明準上人 客路 秋に感じ明準上人に寄す 白居易
日暮天地冷     日暮れて天地冷やかに
雨霽山河清     雨霽れて山河さんが清し
長風従西来     長風ちょうふう 西より来たり
草木凝秋声     草木そうもく 秋声しゅうせいを凝らす
已感歳倏忽     已すでに歳としの倏忽しゅくこつなるを感じ
復傷物凋零     復た物の凋零ちょうれいするを傷いた
孰能不惨悽     孰たれか能く惨悽さんせいせざらんや
天時牽人情     天時てんじ 人情を牽
借問空門子     借問しゃもんす 空門くうもんの子
何法易修行     何の法か 修行し易やす
使我忘得心     我をして心を忘れ得しめ
不教煩悩生     煩悩ぼんのうをして生ぜしめざる
日暮れて 天地はひんやりとし
雨晴れて 山河は清らかである
西風が 冷たく吹きつのり
草木は 秋の色に染まっていく
すでに 歳月のすみやかであるのを感じ
また 物事のおとろえてゆくのを悲しむ
これを 悲痛と思わない者があるだろうか
天の移り変わりは このように人の心をひく
よってお尋ねする 宗門の徒でない者が
わが心を忘れ去り
煩悩を起こさないようにするには
どの教えが修行しやすいであろうか

 白居易の家の実情からすると、前進士になった白居易の出世に対する期待は大きく、白居易は収入を得ることに焦っていたようです。貞元十七年の春、白居易が若いころ世話になった符離の従祖兄が亡くなりました。
 浮梁に滞在していた白居易はすぐに符離に行って弔意を表し、遺された家族を励ましました。この父の従兄弟の家は、そのころ家産を失い、従祖兄も身分の低い官吏で亡くなったので生活は困窮していたようです。白居易は若いころ家族同様に世話になったので、恩を返す必要がありました。
 秋になると、白居易は長安にもどりますが、その旅の途中で明準みょうじゅんという僧と知り合いになり、詩を贈っています。
 白居易は後に仏教を信仰するようになりますが、このころは仏教について深く踏み込むところまではいっていませんでした。詩の上では無常観に言及していますが、悩みの多い人生を送っている白居易は、「空門の子」となるにはどんな修行をしたらよいかと尋ねているだけです。
 仏門に深い関心があったわけではありません。


 秋雨中贈元九     秋雨の中 元九に贈る  白居易
   不堪紅葉青苔地  堪えず 紅葉青苔こうようせいたいの地
   又是涼風暮雨天  又是れ 涼風暮雨りょうふうぼうの天
   莫怪独吟秋思苦  怪しむ莫かれ 独吟秋思どくぎんしゅうしの苦しきを
   比君校近二毛年  君に比して 校やや近し二毛にもうの年とし
紅葉青苔の地は堪えがたい
涼風暮雨の空も同様だ
ひとり秋の苦しみを詠うが 怪しまないでくれ
君と比べたら すこしは白髪まじりの年に近いのだ

 長安にもどった白居易は、その年の銓試の試判抜粋科を受ける決心をしました。十五歳で省試の明経科に及第していた元愼げんじんは、この年、二十四歳になっており、同じく銓試に挑戦しようとしていました。
 明経科の守選は七年ですが、元愼は十年を経て銓試を目指したのです。
 二人は知り合って親しくなり、「元九」と排行で呼んで詩を贈り合う仲になります。元稹は鮮卑族拓抜魏たくばつぎの王族の流れを汲む者でしたが、北魏が東西に分裂し、北魏の正統を継ぐ西魏が滅んでから、すでに二百四十五年もたっています。拓抜魏自身が北魏時代に漢化してしまっていましたので、元稹は異民族の出ではあっても漢族と変わりはありません。
 元稹の父親は尚書省比部郎中(従五品上)になっており、白居易の父親よりはすこしましな官吏でしたが、元稹が八歳のときになくなり、二人は境遇も似たり寄ったりの寒門の出でした。詩中の「二毛の年」というのは白髪まじりのことですが、三十二歳という年齢も指しています。白居易は七歳も若い元愼に自分が三十二歳に近いことを嘆いているのでしょう。

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