晩秋閑居       晩秋の閑居    白居易
   地僻門深少送迎   地は僻へきに 門は深くして送迎そうげい少なし
   披衣閑坐養幽情   衣ころもを披て閑坐かんざし 幽情を養う
   秋庭不掃携藤杖   秋庭しゅうていはらわず 藤杖とうじょうを携え
   閑踏梧桐黄葉行   閑かんに 梧桐ごとうの黄葉こうようを踏んで行く
門は奥まって辺鄙なところ 客の出入りも少ない
衣を羽織ってゆったり坐り 静かな気分を養う
秋の庭は掃除もせず 藤の杖を手に
のどかに 桐の落ち葉を踏んでゆく

 前進士になったからといって、すぐに官職につけるわけではありません。前進士は官吏の候補者を意味し、採用されるには尚書省吏部が行う銓試せんし(吏部試ともいいます)を受けなければなりません。
 銓試が任用を決める試験になるのです。
 ところで銓試には守選しゅせんという制度があって、守選は前進士が銓試を受けられるようになるまでの期間です。進士科の合格者の場合は三年、明経科の合格者の場合は七年と定められていました。
 白居易は洛陽でしばらく母親と過ごしたあと、夏のおわりには長安にもどって銓試へ向けての勉強をはじめました。掲げた詩は、詩の上では「閑居」と粋がっていますが、起句には孤独な感情がにじみでています。
 白居易は杖を手にしなければ歩けないような年齢ではないので、杖を手に散歩するのは当時の習慣であったのでしょう。
 「梧桐」は桐の一種で日本の桐とは違いますが桐としておきました。


 乱後過流溝寺     乱後 流溝寺を過る 白居易
九月徐州新戦後   九月 徐州 新戦しんせんの後のち
悲風殺気満山河   悲風 殺気 山河さんがに満つ
唯有流溝山下寺   唯 流溝山下りゅうこうさんかの寺有り
門前依旧白雲多   門前 旧に依って白雲はくうん多し
秋九月 徐州はまだ新しい戦の後
荒れた山河に 悲しみの声が満ちている
門前に立てば 流溝山麓の寺だけは
昔のままに 悠然として白雲たなびく

 白居易はしばらく都にいた後、旅に出ます。この年、外祖母の陳夫人が徐州の近くの古豊こほうで亡くなったからです。白居易は幼時に外祖母の世話になって育ちましたので、その霊を弔い、あわせて江南へゆく旅でした。
 白居易は九月に徐州に着いて、戦乱で荒れ果てた街のようすを目にします。戦乱というのは、この年の五月に徐州の武寧節度使張建封ちょうけんふうが死に、その後任をめぐって叛乱が起きたのです。乱が決着したのは九月二十八日ですので、白居易が徐州に着いたときは休戦中だったと思われます。
 徐州は父親の白季庚が永く別駕をつとめたなじみの街です。
 流溝山麓の流溝寺は、かつて遊んだことのある寺でもあり、訪ねたのでしょう。このあと、白居易は符離ふりの親戚の家に立ち寄り、さらに南へと旅をつづけます。

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