小寒食船中作   小寒食 船中の作   杜 甫
   佳辰強飲食猶寒   佳辰かしんいて飲めば食しょくお寒く
   隠几蕭条載鶡冠   几に隠り蕭条として鶡冠かつかんを載いただ
   春水船如天上坐   春水しゅんすい 船は天上に坐するが如く
   老年花似霧中看   老年ろうねん 花は霧中むちゅうに看るに似たり
   娟娟戲蝶過間幔   娟娟けんけんたる戲蝶ぎちょうは間幔かんまくを過ぎ
   片片軽鷗下急湍   片片へんぺんたる軽鷗けいおうは急湍きゅうたんを下る
   白雲山青万余里   雲白く山青きこと万余里
   愁看直北是長安   愁えて直北ちょくほくを看る 是れ長安
めでたい日だ 無理に酒を飲んだが冷たい料理
脇息にもたれ うら寂しく鶡冠をかぶる
春川の水は 空を映して舟は天上に浮かぶようだ
老人の目には 花は霧の中に咲くかと霞んで見える
美しい蝶が 戯れながら幕間を飛び
二三の鷗が 軽々と急流をくだる
白雲と緑の山 万里のかなたへつづき
愁いを込めて 北へまっすぐに見る都長安

 困難な生活のうちに一年が過ぎ、杜甫は五十九歳の春を迎えました。
 その春、舅父きゅうふ(母方のおじ)の崔偉さいいが郴州ちんしゅう(湖南省郴州市)の録事参軍(刺史代理)になって赴任する途中、潭州を通過しました。杜甫は久しぶりに親族の「おじ」と会い、くさぐさの話をしたことでしょう。
 上流の任地へ赴く「おじ」を見送ってから、杜甫は潭州で迎える二度目の寒食節を過ごします。詩題の「小寒食」は寒食節の三日目、最後の寒食日のことです。詩は中四句を前後の二句で囲む形式で、はじめの二句は現在の状況です。杜甫は舟中で生活しており、節句だからと無理をして酒を飲みました。
 寒食節なので肴は冷たい料理です。
 「鶡冠」の鶡は雉の一種で、鶡の尾羽を飾りにつけた冠です。
 鶡冠は隠者のかぶりものとされていますので、杜甫は隠者然として脇息にもたれている自分を描いているのです。
 中四句はまわりの描写で、春になって水嵩の増した水面に空が映って天上に坐しているような気分であると、杜甫は隠者を気取るのです。
 つぎの頚聯の対句は見事な出来で、杜甫の観察眼と創作力がすこしも衰えていないことを示しています。結びはやはり長安への思いで結ばれているところが、杜甫の杜甫たる由縁でしょう。


 江南逢李亀年     江南にて李亀年に逢う 杜 甫
岐王宅裏尋常見   岐王きおうの宅裏たくり 尋常に見
崔九堂前幾度聞   崔九さいきゅうの堂前 幾度か聞く
正是江南好風景   正まさに是れ 江南の好風景こうふうけい
落花時節又逢君   落花らっかの時節 又また君に逢う
むかし岐王の邸内で いつも拝見してました
崔滌の屋敷の庭では 幾度か歌を聞きました
ところが何と 江南のこの美しい景色のなかで
落花の時節に またお逢いできようとは

 潭州で過ごしていた晩春のころ、杜甫は湖南採訪使の宴席で旧知の李亀年りきねんと偶然に出会いました。李亀年は玄宗の宮廷で著名な宮廷歌手でした。
 その有名人が江南の果てともいうべき潭州に流れてきているとは、杜甫の予想もしないことでした。杜甫は四十五年前、まだ十五歳のときに洛陽の岐王李範りはんや秘書監崔滌さいできの屋敷で李亀年の歌を聞いています。
 杜甫は平和で希望に満ちていた昔のことを回顧しながら、「落花の時節 又君に逢う」と流離の人生の悲哀を詠います。

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