朱鳳行        朱鳳行    杜 甫
 君不見         君見ずや
 瀟湘之山衡山高  瀟湘しょうしょうの山 衡山こうざん高し
 山巓朱鳳声嗷嗷  山巓さんてんの朱鳳しゅほう 声嗷嗷ごうごう
 側身長顧求其曹  身を側そばだて 長顧ちょうこして其の曹そうを求むるも
 翅垂口噤心労労  翅つばさは垂れ 口くちつぐんで心こころ労労たり
 下愍百鳥在羅網  下しもは愍あわれむ 百鳥の羅網らもうに在り
 黄雀最小猶難逃  黄雀こうじゃく 最も小なるも猶お逃れ難きを
 願分竹実及螻蟻  願わくは 竹実ちくじつを分かちて螻蟻ろうぎに及ぼし
 尽使鴟梟相怒号  尽ことごとく鴟梟しきょうをして相い怒号せしめんことを
君よ見たまえ
瀟湘の山のなかでは 衡山が特別に高い
山頂の朱色の鳳凰は 声高々と鳴いていた
身構えてあたりを見回し 仲間をさがすが
いまや翼を垂れ 口を閉ざして疲れきっている
下界では あらゆる鳥が網にかかり
雀のような小鳥でさえも 逃げられないのを哀れに思う
できれば食糧の竹の実を 小さな虫たちにくれてやり
梟のような悪鳥に ひと泡吹かせてやりたかったのだが

 杜甫の当面の目的地は、潭州から湘水をさらに一五〇㌔㍍ほど南へ遡った衡州(湖南省衡陽市)でした。知己の韋之晋いししんが衡州刺史をしていたので、それに頼るつもりであったようです。
 その途中の湘水西岸に高さ一二九〇㍍の南岳衡山があり、南北四〇〇㌔㍍にわたる連山となって横たわっていました。
 詩題の「朱鳳」は衡山に棲むという朱色の鳳凰のことで、南は赤、神獣は朱雀すじゃくであることにちなんだ伝説の鳥です。
 杜甫は三句目以下で、自分を「朱鳳」に例えています。朱鳳は南岳の山巓にあって身をそばだてて仲間をさがしますが、探し出すことができません。
 だからいまは翼を垂れ、疲れ切って口を閉ざしていると言います。
 こんな状態になったのは、下界のようすがあまりにもひどいからで、あらゆる鳥が「羅網」、つまり乱世の逆境に捕らえられているからだと嘆きます。
 最後の二句は、杜甫が自分の志と、それを成し遂げられなかった後悔の気持ちを詠うもので、「竹実」は鳳凰の食べ物とされています。


江閣臥病走筆寄呈崔・盧両侍御
  江閣病に臥し 筆を走らせて 崔・盧の両侍御に寄呈す 杜 甫
客子庖厨薄     客子かくし 庖厨ほうちゅう薄く
江楼枕席清     江楼こうろう 枕席ちんせき清し
衰年病秪痩     衰年すいねん 病みて秪だ痩
長夏想為情     長夏ちょうか 情を為さむことを想う
滑憶雕胡飯     滑かつは憶う 雕胡ちょうこの飯はん
香聞錦帯羮     香こうは聞く 錦帯きんたいの羮こう
溜匙兼煖腹     溜匙りゅうしと煖腹だんぷく
誰欲致盃甖     誰か盃甖はいおうを致いたさむと欲する
旅の台所は 乏しくなるばかり
江辺の楼で寝ているが 枕もとには何もない
年をとって病にかかり 身は痩せ細るばかり
夏の日々 情けのある人はいないかと想う
雕胡まこもの飯があったら 食べやすいだろう
蓴菜じゅんさいの羮あつものがあったら 香ばしいだろう
匙の上を つるりと滑って腹を暖めるもの
誰か酒と盃を 持ってくる者はいないのか

 杜甫は人生の目標であった「奉儒守官」の志が達成されなかったことを嘆きながら衡州に着きますが、刺史の韋之晋は杜甫が着くのと入れ違いに潭州刺史になって転出していました。杜甫は無駄足になったことに落胆し、しばらく衡州にとどまってから潭州にもどりました。
 ところが杜甫が潭州に着いたときは、韋之晋は四月に急死したあとでした。
 不運としか言いようがありません。
 頼る者をなくした杜甫は、それから翌年の大暦五年(七七〇)四月まで、舟中や江辺の楼を宿所としながら、市場で薬草を売ったり、州府の知己の好意にすがったりしながら糊口をしのいでいたようです。
 この一年にわたる潭州滞在は北へもどるのに充分な時間の余裕であると思われますが、杜甫はなぜかあてもなく潭州にとどまっています。
 病気のせいもあったかもしれませんが、帰るに帰れない経済的な窮状におちいっていたと見るべきでしょう。詩は夏の終わりか秋のはじめに、崔渙さいかんと盧十四ろじゅうし(十四は排行)に食べ物と酒をねだったものです。
 崔氏と盧氏は旧知の元侍御で、このとき潭州に左遷されたかして来ていたものと思われます。この詩は杜甫一家が食事にも事欠くような窮状におちいっていたことを示しています。

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