江 漢         江 漢     杜 甫
江漢思帰客     江漢こうかん 思帰しきの客
乾坤一腐儒     乾坤けんこん 一腐儒いちふじゅ
片雲天共遠     片雲へんうん 天は共に遠く
永夜月同孤     永夜えいや 月は同じく孤なり
落日心猶壮     落日らくじつ 心は猶お壮さかんに
秋風病欲蘇     秋風しゅうふう 病は蘇よみがえらんと欲す
古来存老馬     古来こらい 老馬を存するは
不必取長途     必ずしも長途ちょうとに取らず
江漢を流離う 望郷の旅人よ
天地の間に 役立たずの儒者ひとり
ちぎれ雲は 故郷を離れて天にただよい
夜長に月は 旅人のように孤独に浮かぶ
落日をみれば 心はなおも勇み立ち
秋風が吹けば 体もいくらか元気になる
むかしから 老馬を大切にするのは
馬が長途に 耐えるからだけとは限るまい

 杜甫は江陵から北へ、都長安もしくは東都洛陽をめざすこともできたはずです。しかし、杜甫には帰郷に必要な資金もなかったでしょう。
 尾羽うち枯らして帰るわけにはゆかないのです。
 おりしもそのころ、北の商州(陝西省商県)では兵馬使劉洽りゅうこうが防禦使殷仲卿いんちゅうけいを殺して叛乱を起こしていました。
 北への道は兵乱で塞がれており、帰郷の条件はととのっていませんでした。杜甫は長江を東へ下ります。
 この詩は大暦四年(七六九)の秋、潭州(湖南省長沙市)で作られたとする説もありますが、題名の「江漢」からすると、大暦三年の秋、長江を下っている途中の作とするのが妥当のようです。
 頚聯の「落日 心は猶お壮んに 秋風 病は蘇えらんと欲す」の句も、未知の地に向かう杜甫が自分自身を励ましている句と考えられます。


泊岳陽城下     岳陽城下に泊す  杜 甫
江国踰千里     江国こうこくゆること千里
山城近百層     山城さんじょう 百層に近し
岸風翻夕浪     岸風がんぷう 夕浪せきろうを翻ひるがえ
舟雪灑寒灯     舟雪しゅうせつ 寒灯かんとうに灑そそ
留滞才難尽     留滞りゅうたいさいき難く
艱危気益増     艱危なんき益々増す
図南未可料     図南となん 未だ料はかる可からず
変化有鯤鵬     変化へんか 鯤鵬こんほう有り
江国千里を越えてやってきた
山城は高さ百層に近い
岸の風は 夕浪をひるがえし
雪は小舟の 寒灯に降り注ぐ
江南に滞在して 文才は尽きることなく
艱難に遭っても 意気は盛んである
南を目指すが 前途はまだわからない
この世には 鯤鵬のような変化があるからだ

 長江を下る途中、杜甫は公安(湖北省公安県)に上陸して、県尉の顔がん氏と長安時代の友人で書家の顧戒奢こかいしゃの世話になりました。
 しかし、ほどなく顧戒奢は江西に赴任することになり、杜甫は公安に二か月あまり滞在して、冬も深まった年末に岳州(湖南省岳陽市)に着きました。この詩をみると、杜甫はとても元気なようです。
 詩文は湧くように生まれてくる。
 困難に遭っても意気はますます盛んであると詠っています。
 杜甫は最終的には故郷の洛陽に帰る気持ちがあったと思われます。
 しかし、詩では「図南 未だ料る可からず」と南下の意思を示しています。岳陽は北と南の分岐点で、洛陽に行くには長江をさらに一八〇`bほど東北に下って漢陽(湖北省武漢市)から漢水にはいって遡行しなければなりません。ところが杜甫は、世の中には何があるかわからないと、『荘子』の説話を引いて南に向かおうとしているのです。

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