舟出江陵南浦奉寄鄭少尹審 杜 甫
          舟 江陵の南浦を出ずるとき鄭少尹審に寄せ奉る
更欲投何処     更に何いずれの処ところにか投ぜむと欲する
飄然去此都     飄然ひょうぜんとして此の都を去る
形骸元土木     形骸けいがいもと土木どぼく
舟楫復江湖     舟楫しゅうしゅうた江湖
社稷纏妖気     社稷しゃしょく 妖気ようきを纏まと
干戈送老儒     干戈かんか 老儒ろうじゅを送る
百年同棄物     百年 棄物きぶつに同じ
万国尽窮途     万国 尽ことごとく窮途きゅうと
このうえ 何処に行こうとするのか
飄然として この街を去る
もともと 武骨者だが
舟でまた 江湖に漕ぎ出すのだ
国家には 妖気がまといつき
兵乱が 老いた儒者を追い立てる
生涯を 見捨てられたも同然で
どちらを向いても 道はゆきづまっている

 杜甫が江陵に滞在しているとき、頼りにしていた李之芳が亡くなりました。そんなこともあって、杜甫は六か月ほど江陵に滞在しただけで仕官に見切りをつけ、大暦三年(七六九)秋の末に江陵を去ることにしました。
 江陵の南郊に南浦なんぽという渡津があります。そこから舟を出すとき、杜甫は世話になった鄭審ていしんに詩を贈っています。
 十二韻二十四句、丁寧な留別の詩です。
 詩は漂泊者のあてどない哀しみからはじまります。
 「形骸 元土木」というのは難解な句ですが、形骸は体のこと、土木は土木工事のほかに武骨・粗野の意味があり、自分は武骨者で官途に向いていないと謙遜して言っているのでしょう。杜甫は天下の状況に行き詰まりを感じ、兵乱が「老儒」(老いた儒者)を追い立てると歎きます。

雨洗平沙浄     雨に洗われて平沙へいさきよ
天銜闊岸紆     天てんふくみて闊岸かつがんめぐ
鳴螿随汎梗     鳴螿めいしょう 汎梗はんこうに随したが
別燕起秋菰     別燕べつえん 秋菰しゅうこに起こる
棲託難高臥     棲託せいたく 高臥こうがし難がた
饑寒迫向隅     饑寒きかん 向隅きょうぐうに迫る
寂寥相呴沫     寂寥せきりょうあい呴沫くまつ
浩蕩報恩珠     浩蕩こうとう 報恩ほうおんの珠しゅ
雨に洗われ 砂浜は清く平らか
天に接して 広い岸辺がつづいている
鳴螿は 浮かんだ棒切れの上で鳴き
渡る燕は 枯れた真菰から飛び立っていく
厄介になりながら 安心して眠ることができず
隅で悩んでいると 飢えや寒さが迫ってくる
困っているときに 水を吹きかけてもらったが
魚は報恩の玉を差し出せない

 この回の前半四句では、南浦の秋の景が美しく描かれますが、旅立つ者の寂しさがにじみ出ています。「鳴螿」(つくつくぼうし)が浮かんだ棒切れの上で鳴いているのは、杜甫の心の比喩でしょう。
 杜甫は枯れた真菰の茂る岸から旅立とうとしています。
 後半の四句は、厄介になったが充分な恩返しもできないと、故事を用いて詫びを述べます。「寂寥 相呴沫し」がそれで、前に出てきた漢の武帝の故事を踏まえています。「呴沫」は魚に水を吹きかけて生き返らせることですし、「報恩の珠」は武帝に助けられた昆明池の魚が、恩に酬いるために明珠一双を池辺に置いた故事です。
 そういうことも出来ないで出てゆく自分を杜甫は嘆くのでした。

溟漲鯨波動     溟漲めいちょう 鯨波げいは動き
衡陽雁影徂     衡陽こうよう 雁影がんえい
南征問懸榻     南征なんせい 懸榻けんとうを問わむ
東逝想乗桴     東逝とうせい 乗桴じょうふを想う
濫竊商歌聴     濫竊らんせつ 商歌しょうかを聴き
時憂卞泣誅     時に憂う卞泣(べんきゅう)(ちゅう)せられむことを
経過憶鄭駅     経過けいか 鄭駅ていえきを憶おも
斟酌旅情孤     斟酌しんしゃくせよ 旅情の孤なるを
ゆくての大海に 鯨波が動き
衡陽のあたりに 飛ぶ雁の影がある
南へ行って 南昌を訪ねようか
東海に筏を浮かべる思いもある
正義の詩をためし 聞いてもらったときには
厳しい咎めをうけはしないかと心配をかけた
あなたの歓迎には 心から感謝している
わが孤独な旅心を どうか汲み取ってほしいものだ

 最後の八句のうち、はじめの四句は、これからの行く手についての考えを述べています。いろいろな故事を用いて行く先を修飾していますが、本当はあてのない旅であったので、飾る必要があったのでしょう。
 「衡陽」(湖南省衡陽県)は洞庭湖の南にあり、雁はここまで渡南して北へ引き返すと信じられていました。「南征 懸榻を問わむ」の句は故事を踏まえており、鄱陽湖の南の洪州(江西省南昌市)に行くことです。
 つぎの「東逝 乗桴を想う」の句は孔子の故事を踏まえており、東海に筏を浮かべようかということです。行く先が三つあげられていますが、あとの二つは詩的修飾であって、本心は湖南への旅にあると思います。
 後半の四句では、ときに政府を批判するような詩をつくって、鄭審を心配させたこともあったと詫び、最後に鄭審の好意に感謝しながら、「斟酌せよ 旅情の孤なるを」と漂泊者としての自分の心情に理解を求めています。

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