又呈呉郎        又た呉郎に呈す    杜 甫
  堂前撲棗任西隣  堂前に棗なつめを撲つは西隣せいりんに任まか
  無食無児一夫人  食無く児無き一夫人
  不為困窮寧有此  困窮の為ならずんば寧なんぞ此のこと有らんや
  祗縁恐懼転須親  ()だ恐懼するに縁って(うた)(すべか)らく親しむべし
  即防遠客雖多事  即たとえ遠客を防ぐこと多事たじなりと雖も
  便挿疎籬却甚真  便(すなわ)疎籬(そり)を挿まば却って(はなは)だ真ならん
  已訴徴求貧到骨  已に訴う 徴求ちょうきゅうせられて貧ひん骨に到ると
  正思戎馬涙盈巾  正に戎馬じゅうばを思うて涙なみだきんに盈
庭の棗を採りにくる 西隣りを見逃してきた
食べる物も子供もない 独り身の婦人だからだ
生活に困窮しなければ どうしてそんなことをするだろう
びくびくした様子には 親しみの気持ちさえ持つべきだ
遠くから来た君に わざわざ注意するのは余計なことだが
荒い籬であっても 垣根を設けるのは生真面目すぎる
重税が骨身にしみると 日ごろから言っている
戦乱のこの世を思えば 涙は布を潤すのだ

 この詩も同じころの作品と思われますが、杜甫の優しいこころつかいを示す佳作であると思います。「呉郎」は呉南卿ごなんけいといい、杜甫の娘婿とみられます。この年、二十一歳になっていたと思われる長女の夫でしょう。
 呉南卿は忠州から夔州の司法参軍事(従七品下か正八品下)になって赴任してきました。杜甫は娘夫婦のために西閣をあけてやり、自分は公田のある瀼東の東屯に移りました。移るに当たって、杜甫は隣家の婦人が庭の棗の実を獲りにくるのを見逃してきたと告げ、こわれている垣根を修理したりすると、隣家の婦人には心無い仕打ちになると注意しています。
 娘婿に対して些細なことを注意する遠慮もよく表現されています。
 そして尾聯では、民の生活の苦しさは戦乱による重税のせいであると、日ごろの時局観を述べるのです。


  日 暮         日 暮     杜 甫
牛羊下来久     牛羊ぎゅうよう 下り来たること久し
各已閉柴門     各々おのおの已に柴門さいもんを閉ず
風月自清夜     風月は自おのずから清夜せいやなるも
江山非故園     江山こうざんは故園こえんに非あら
石泉流暗壁     石泉せきせんは暗壁あんぺきに流れ
草露滴秋根     草露そうろは秋根しゅうこんに滴したた
頭白灯明裏     頭かしらは白し 灯明とうめいの裏うち
何須花燼繁     何ぞ須もちいん 花燼かじんの繁しげきことを
牛や羊は すでに山から下りてきて
どの家も 柴門を閉じている
風月は 自然に清らかな夜となるが
山も川も 故郷と同じものではない
暗い泉は 石壁に沿って流れ
秋の露は 草の根元に滴っている
灯火に 白髪頭をさらしているが
ことさら爆ぜて 明るく照らすこともあるまいに

 「日暮」にちぼは東屯での秋の作とされ、村での静かな生活が詠われています。頷聯の「江山」は自然の山河ではなく、そこに住む人々の生活が刻み込まれた自然です。だからそれは、「故園に非ず」なのです。
 頚聯の二句は、杜甫らしいこまやかな観察ですが、眼前の景ではなくて心象風景と見るのが妥当でしょう。対句には特別の工夫がほどこされており、詩人としての技巧の冴えが見て取れます。
 時刻は夜で、灯火がはぜて明るくなると白髪頭が目立ちます。
 「何ぞ須いん 花燼の繁きことを」は自嘲気味に詠っているようでもあり、諧謔の余裕があるようにも思われます。

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