示熟食日宗文宗武 熟食日に宗文宗武に示す 杜 甫
消渇遊江漢     消渇しょうかち 江漢こうかんに遊ぶ
羇棲尚甲兵     羇棲きせいお甲兵こうへい
幾年逢熟食     幾年 熟食じゅくしょくに逢う
万里逼清明     万里 清明せいめいに逼る
松柏邙山路     松柏しょうはく 邙山ぼうざんの路
風花白帝城     風花ふうか 白帝城はくていじょう
汝曹催我老     汝が曹そうわれを催うながして老いしむ
回首涙縦横     首こうべを回めぐらせば涙は縦横じゅうおうたり
糖尿病をかかえて 江漢の地を旅する
永い旅暮らしだが 戦はやまない
いくたびか 寒食節に逢い
万里の旅路 清明節も近い
邙山の路に 松柏は茂っているだろう
白帝城では 落花が風に舞っている
汝らの成長をみれば わたしが老いるのは当然だ
顧みれば涙があふれ とめようもない

 詩題にある「熟食日」は寒食節のことで、陰暦三月の清明節の前三日間をいいます。このとき杜甫は五十六歳、長子「宗文」は十八歳、次子の「宗武」は十五歳になっていると推定されます。成人に達しようとする二人の息子に、杜甫は何を言おうとしたのでしょうか。清明節は陽暦では四月五日か六日ころで、日本では桜の花の咲く季節です。
 中国ではこの日に先祖の墓参りをするのが仕来りでした。
 だから「松柏 邙山の路」と杜甫の家の墓所のある邙山(河南省偃師県)に言及するのです。その対句には「風花 白帝城」と風に舞い散る白帝城の落花、つまり現実の景を配します。杜甫は成長した二人の息子の姿を眺め、自分が老いるのも当然であると涙を流します。かえりみれば、妻子を伴う漂泊の旅をつづけて、息子たちに充分な教育もほどこしてやれなかった。
 それは老病をかかえて旅をする自分の責任でもあると、杜甫は息子たちの将来のことを考えて憂いに沈むのでした。


喜観即到復題短編二首其一 杜 甫
   観が即ち到らんとするを喜び復た短編を題す 二首 其の一
巫峡千山暗     巫峡ふきょう 千山せんざん暗く
終南万里春     終南しゅうなん 万里春なり
病中吾見弟     病中に吾われは弟を見る
書到汝為人     書しょ到りて汝なんじは人と為
意荅児童問     意もて児童の問いに答う
来経戦伐新     来たるは戦伐せんばつの新たなるを経たり
泊船悲喜後     船を泊はくして悲喜ひきの後のち
款款話帰秦     款款かんかんとして秦しんに帰ることを話せん
巫峡は山に囲まれて暗いが
終南山は みわたす限りの春だろう
病中だが 弟が会いにくる
便りがあって 弟は成人したのだ
子らの問いに 推測で答えているが
新しい戦場を かいくぐって来るのであろう
舟がついたら 喜びや悲しみを共にして
ゆっくりと 長安に帰る相談をしよう

 大暦二年の暮春、杜甫は思いがけない人物から便りをもらいました。
 安史の乱のとき華州から洛陽に使いに出して、そのまま母親を追って済州に行ってしまった異母弟の杜観が長安から書信を寄こしたのです。
 便りには近く夔州を訪ねると書いてありました。
 杜観はすでに二十二歳の青年になっているはずです。
 詩は杜甫が心はずませて杜観の到着を待っている様子を描いています。
 子供たちは兄弟ともいえる若い叔父のことについていろいろと尋ねますが、杜甫にも確実な答えはできません。杜甫は末尾で「秦に帰ることを話せん」と言っているように、若い弟の来訪によって、帰国の夢もふくらむのでした。

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