秋興八首其一     秋興 八首 其の一   杜 甫
玉露凋傷楓樹林  玉露ぎょくろ 凋傷ちょうしょうす 楓樹ふうじゅの林
巫山巫峡気蕭森  巫山ふざん 巫峡ふきょう蕭森しょうしんたり
江間波浪兼天湧  江間の波浪 天を兼ねて湧き
塞上風雲接地陰  塞上の風雲 地に接して陰くも
叢菊両開他日涙  叢菊そうきく 両び開く 他日たじつの涙
孤舟一繋故園心  孤舟こしゅうひとえに繋ぐ 故園の心
寒衣処処催刀尺  寒衣かんい 処処 刀尺とうしゃくを催うなが
白帝城高急暮砧  白帝はくていしろ高くして暮砧ぼちん急なり
露に打たれて 楓樹の林は枯れ
巫山巫峡の辺 蕭条としてもの淋しい
逆巻く波浪は 天に達するほどに湧き
塞上の風雲は 地に垂れこめて薄暗い
菊は再び咲き 同じ涙を今年も流し
舟を岸辺に繋ぎとめ 望郷の想いにすがって生きている
家々は 冬着の支度に追いたてられ
白帝城 高く聳える暮れ方に 砧の音は切々と鳴る

 杜甫は結局、夔州に一年九か月も滞在することになるのですが、それは五十五歳の春の暮から五十七歳の正月半ばまででした。
 その間に杜甫は四百首あまりの詩を書いています。現存する杜甫の詩千四百余首のうち三割近くが夔州での作品ということになりますが、この時期の作品には名作が多く、よく保存されたという事情もあるでしょう。
 五言古詩の長篇もいろいろと作られますが、杜甫の詩の特色である七言律詩の名品が目立って多くなります。七言律詩は制約の厳しい詩形で、五言古詩のように気軽には作れないものです。なかでも「秋興八首」は夔州時代の杜甫を代表する作品と思われますので、八首全部を取り上げます。
 其一の詩は「秋興八首」のなかでも特によく知られた作品です。
 前半四句は「巫山巫峡」の秋の描写で沈鬱な感情がみなぎっています。
 後半四句は前半を受ける作者の感懐で、旅にある身の孤独な悲しみを述べています。そして結び二句の現実の景が、その孤独感をいやが上にも高めるのです。
 なお、「刀尺を催し」というのは裁縫のことで、近づく冬に備えて冬着の準備に忙しいという意味です。「砧」きぬたは布を柔らかくするために、当時は杵きねで布や衣を叩いていました。その音が家々から響いてくるのです。


秋興八首其二     秋興 八首 其の二   杜 甫
夔府孤城落日斜   夔府きふの孤城に落日斜めなり
毎依北斗望京華   毎つねに北斗に依りて京華けいかを望む
聴猿実下三声涙   猿を聴きて実にも下す 三声さんせいの涙
奉使虚随八月査   使いを奉じて虚しく随う 八月の査いかだ
画省香炉違伏枕   画省がせいの香炉 伏枕ふくちんに違たが
山楼粉堞隠悲笳   山楼さんろうの粉堞ふんちょう 悲笳ひかいんたり
請看石上藤蘿月   請う看よ 石上せきじょう藤蘿とうらの月
已映洲前芦荻花   已に映ず 洲前しゅうぜん芦荻ろてきの花
夔州の孤城に 夕日が斜めにさすころ
北斗の星を頼りに 都の空を眺めやる
猿の鳴く声 聞けば三声で涙はながれ
勅を奉じて筏に乗ったが 虚しく漂う八か月
尚書省の宿直の香炉から 背き離れて疾に臥し
城楼の垣の辺りで鳴る笛の 悲しい音を聞くばかり
どうか見てくれ 城壁の藤蘿を照らす月の影
既に移って川の洲の 芦の穂花に照りわたる

 杜甫にとって秋は悔恨の季節のようです。
 夔州は北側を山にさえぎられていますので、北斗星は見えないとする説もありますが、北斗の方角をたよりに都の方向を思い見るのでしょう。
 三句目に猿の声が出て来ますが、三峡地方に棲む猿は手長猿の一種で、その鳴き声には断腸の響きがあるといいます。
 李白もその鳴き声の悲しさを幾度も詩に詠っています。
 四句目の「八月の査」は秋八月の筏という説もありますが、「使いを奉じて」とあるところから漢の張騫ちょうけんが使者となって西域に赴いたときに筏で黄河を遡ったという話を踏まえているとする説もあります。
 自分は張騫のように使命も果たせず、虚しく八か月も舟を漂わせているという解釈です。「画省」は尚書省の雅名で、壁に古賢烈士の像が描かれていたことから「画省」と称されていました。杜甫は検校ではあっても工部員外郎ですので、形式的には尚書省に属していることになります。本来なら役所で宿直とのいもする身分でありながら、こうして疾に臥して、山間の街で芦笛のおぼろな音を聞いていると、ちぐはぐな自分の人生を嘆くのです。
 尾聯の簡潔な表現は見事です。「藤蘿」かずらは夏に花咲き、「芦荻」(芦)は秋に穂花をつけますので、ここでは季節の移り変わりの速さを一瞬の視点の変化で描いていることになります。


 秋興 八首 其三    秋興 八首 其の三 杜 甫
千家山郭静朝暉  千家せんかの山郭さんかくに朝暉ちょうき静かなり
一日江楼坐翠微  一日 江楼 翠微すいびに坐す
信宿漁人還汎汎  信宿しんしゅくの漁人ぎょじんは還た汎汎はんはん
清秋燕子故飛飛  清秋せいしゅうの燕子えんしは故ことさらに飛飛ひひ
匡衡抗疎功名薄  匡衡きょうこうは疎を抗たてまつりて功名薄く
劉向伝経心事違  劉向りゅうきょうは経けいを伝えて心事しんじ違う
同学少年多不賎  同学の少年 多く賎いやしからず
五陵衣馬自軽肥  五陵の衣馬 自おのずから軽肥けいひたり
山沿いの千戸の城に 朝日は静かに射し入り
緑の香気に包まれて 川辺の楼に一日を坐す
一二夜どまりの釣人は点々と舟を浮かべ
澄みわたる秋空を 燕はことさら飛びまわる
いまの匡衡は 上奏しても功名薄く
いまの劉向は 経書を講じても事志と違う
同学の若者たちは 多く立身出世を遂げ
五陵の辺で軽裘肥馬 得意の身分となっている

 其の三の詩の前半四句は、夔州でののどかな一日の描写です。
 杜甫は西閣に坐して、江上の釣り舟や燕の飛ぶのを眺めています。
 一転して後半の四句では、事こころざしと違ってしまった自分の人生を反省するのです。「匡衡」は漢の元帝のときの儒者で、しばしば上奏して時事を論じ、太子少傅の官に上りました。それにひきかえ、いまの「匡衡」や「劉向」であるべき自分は「功名薄く」「心事違う」状態です。
 かつての同学であった若者は、それぞれ立身出世を遂げ、高級官僚の多く住む「五陵」(五つの陵邑)に家を構え、「軽肥」(軽裘肥馬)の身分になっていると、挫折した自分の人生を嘆くのです。


 秋興 八首 其四    秋興 八首 其の四   杜 甫
聞道長安似奕棋  聞道きくならく 長安は奕棋えききに似たりと
百年世事不勝悲  百年の世事せじ 悲しみに勝えず
王侯第宅皆新主  王侯の第宅ていたく 皆な新主しんしゅにして
文武衣冠異昔時  文武の衣冠いかん 昔時せきじに異なる
直北関山金鼓震  直北ちょくほくの関山 金鼓きんこふる
西征車馬羽書馳  西征の車馬しゃば 羽書うしょ
魚龍寂寞秋江冷  魚龍寂寞(せきばく)として 秋江(しゅうこう)冷やかなり
故国平居有所思  故国 平居へいきょ 思う所有り
聞けば長安は 囲碁の勝ち負けのようだという
世の転変は 悲しみにたえない
王侯の邸宅は すべて新顔になり
文武の大官も むかしとちがう
北の関山に 鐘鼓は鳴りわたり
西征の車馬は 羽檄うげきを掲げて走る
魚龍は寂しく 秋の川はひややかに流れ
かねて私は 国家に思うところがあるのだ

 「聞道きくならく」と伝聞のように書いていますが、杜甫は安史の乱前後の都の変化を実際に見聞きしています。長安の住人も文武の大官も「奕棋」(囲碁)の盤面のようにすっかり変わってしまったと嘆くのです。
 安史の乱後も国境付近での争乱はつづいており、後半では、秋は魚龍も眠る寂しい季節だというのに、川だけは冷やかに流れていると嘆きます。
 最後の一句は強烈です。自分にもつねづね故国については一言いいたいことがあると、万斛の思いを込めて言い切ります。


 秋興 八首 其五    秋興 八首 其の五   杜 甫
   蓬莱宮闕対南山  蓬莱ほうらいの宮闕きゅうけつ 南山なんざんに対し
   承露金茎霄漢間  承露しょうろの金茎きんけい 霄漢しょうかんの間
   西望瑶池降王母  西のかた瑶池ようちを望めば 王母おうぼくだ
   東来紫気満函関  東来とうらいの紫気しきは 函関かんかんに満つ
   雲移雉尾開宮扇  雲は移りて 雉尾ちび宮扇きゅうせんを開き
   日繞龍鱗識聖顔  日は繞めぐって 龍鱗りゅうりん聖顔せいがんを識る
   一臥滄江驚歳晩  一たび滄江(そうこう)()して歳の()れたるに驚き
   幾廻青瑣点朝班  幾廻か青瑣せいさにて朝班ちょうはんに点せられしぞ
蓬莱宮の宮門は 終南山と向かい合い
承露盤の銅柱は 天空にそそりたつ
西に瑶池を望むと 西王母が降り立ち
東から仙人の気が 函谷関に満ちわたる
雲が移るように 雉尾の宮扇がひらかれ
日輪が巡るように 龍衣の天子に拝顔した
だが一たび長江の岸辺に臥せば 深まる秋に驚かされる
幾たびか青瑣の宮門で点呼を受けた身分であったが

 「蓬莱宮闕」も「承露金茎」も、漢の武帝の盛時を借りて唐の都の栄華を懐かしむものです。その華やかな宮殿で、自分も天子に拝謁するような身分であったと、過去が幻想的な筆致で回顧されます。尾聯の二句は一転して現実に立ちかえり、ひとたび長江のほとりに臥してしまえば、年の暮れの早いのに驚かされると、現実の厳しい姿に立ちもどるのです。


 秋興 八首 其六    秋興 八首 其の六   杜 甫
   瞿塘峡口曲江頭   瞿塘峡口くとうきょうこうと曲江の頭ほとり
   万里風煙接素秋   万里の風煙 素秋そしゅうに接す
   花萼夾城通御気   花萼かがくの夾城きょうじょう 御気ぎょきかよ
   芙蓉小苑入辺愁   芙蓉の小苑 辺愁へんしゅう入る
   朱簾繡柱囲黄鶴   朱簾しゅれん 繡柱しゅうちゅう 黄鶴こうこくを囲み
   錦䌫牙檣起白鷗   錦䌫きんらん 牙檣がしょう 白鷗はくおうを起たしむ
   廻首可憐歌舞地   首こうべを廻らせば憐れむ可し 歌舞の地よ
   秦中自古帝王州   秦中しんちゅうは古いにしえより帝王の州しゅう
瞿塘峡の入口と曲江のほとりとは
澄みわたる秋 万里の風煙で繋がっている
天子の御気は 花萼楼から夾城に通じ
辺境の憂患が 芙蓉苑まで入り込んでいた
朱簾 繡柱 美殿は黄鶴をとりかこみ
錦䌫 牙檣 麗船は白鷗をおどろかす
遥かに望めば感にたえない 歌舞遊宴の地よ
長安は昔から 帝王の都する地であったのだ

 瞿塘峡の入口である夔州と都の曲江とは、秋空にたなびく靄によって繋がっているけれど、それと同様に玄宗の宮殿興慶宮の花萼楼と曲江とは夾城によって繋がっていたと、杜甫は玄宗皇帝の昔を回想します。その曲江の芙蓉苑に、いつのまにか「辺愁」、つまり安禄山の憂患が入りこんでいたのです。
 頚聯では二句にわたって芙蓉苑に豪華な宮殿と美しい庭苑があったことを描き、そのころの都の栄華を思うと、「憐れむ可し」としか言いようのない感情が浮かび上がってくるのでした。長安は昔から帝王の都する地であったのにと、いまは見る影もなくなった長安を思って、杜甫は深い悲しみを覚えるのでした。


 秋興 八首 其七    秋興 八首 其の七   杜 甫
   昆明池水漢時功  昆明こんめいの池水ちすいは漢時の功こうなり
   武帝旌旗在眼中  武帝の旌旗せいきは眼中がんちゅうに在り
   織女機糸虚月夜  織女しょくじょの機糸きしは月夜げつやに虚しく
   石鯨鱗甲動秋風  石鯨せきげいの鱗甲りんこうは秋風しゅうふうに動く
   波漂菰米沈雲黒  波は菰米こべいを漂わして沈雲ちんうん黒く
   露冷蓮房墜粉紅  露は蓮房(れんぽう)を冷ややかにして墜粉(ついふん)紅なり
   関塞極天唯鳥道  関塞かんさい 極天 唯だ鳥道ちょうどう
   江湖満地一漁翁  江湖こうこ 満地 一漁翁いちぎょおう
昆明の池は漢代に造られ
武帝の旗が眼に浮かぶ
いまは石の織女が 月夜に虚しく機はたを織り
石造の鯨の甲羅は 秋の風にそよいでいる
菰の実は 黒い雲を沈めたように波にただよい
露に濡れ 蓮のうてなは深紅の花粉を散らしたようだ
つらなる城塞 遥かな空 一筋の険しい道よ
一面の江湖の地に いまは釣りする一人の翁

 「昆明の池水」は、漢の武帝が長安の西郊に築造した人工の池でした。
 唐代には真菰まこもや蓮の生える湿地になっていて、痕跡をとどめていたようです。杜甫は武帝時代の昆明池について幻想をくりひろげ、そこがいまは荒涼とした枯れ野になっていることを描きます。
 尾聯においては一転して現実にかえり、夔州から都に通じるのは一本の険しい道しかないといい、自分は都から遠く離れた江湖の地で釣りをする「一漁翁」に過ぎないと、隠者のようないまの自分の生活を哀しむのです。
 「江湖」は川や湖の地という意味から転じて、朝廷に対する世間、在野を意味します。また「漁翁」は楚辞を踏まえるもので、隠者の形象です。

 秋興 八首 其八    秋興 八首 其の八   杜 甫
   昆吾御宿自逶迤   昆吾こんご 御宿ぎょしゅく 自ら逶迤いいたり
   紫閣峰陰入渼陂   紫閣しかくの峰陰ほういん 渼陂びひに入る
   香稲啄余鸚鵡粒   香稲こうとうついばみ余す 鸚鵡おうむの粒
   碧梧棲老鳳凰枝   碧梧へきご 棲み老ゆ 鳳凰ほうおうの枝
   佳人拾翠春相問   佳人かじんと翠すいを拾いて春に相い問い
   仙侶同舟晩更移   仙侶せんりょと舟を同じくして晩ばんに更に移る
   綵筆昔曾干気象   綵筆さいひつは昔曾かつて気象を干おかせしに
   白頭吟望苦低垂   白頭はくとう 吟望ぎんぼうして低垂ていすいに苦しむ
昆吾から御宿への道は 地形のままにうねり
やがて紫閣峰の北側が 渼陂の水面に影をさす
鸚鵡がつつき残した 稲の瑞穂
鳳凰が棲み古した 碧梧の古木
春には佳人と連れ立って 翠草摘みにゆき
仙人の仲間と舟遊びして 夜は席を移す
かつて詩文の筆は 天象に迫るほど冴えていたが
いまは遠くから吟唱して 白髪頭を垂れるだけ

 「昆吾」も「御宿」(川)も長安から「渼陂」の池にいたる途中にあり、道は田園や丘陵のあいだを地形のままにうねって通じていました。
 紫閣峰は終南山の一美峰で、その姿が渼陂の池に影をうつしていました。
 「渼陂」は長安の西南三六㌔㍍の鄠県こけんからさらに西へ五㌔㍍ほど行ったところにあり、都人の遊楽の地でした。杜甫は天宝十三載(七五七)に杜曲に居を定めた年、岑参しんじん兄弟に誘われてここを訪れ、舟遊びに興じました。
 そのときの回想が杜甫の心をとらえ、池は「鸚鵡」や「鳳凰」の棲む仙境の地であったと幻想的に詠われています。しかし、尾聯では一転して、かつて自分の詩文は自然をも凌ぐほどにすぐれていたが、いまは僻遠の地で口ずさみ、白髪頭を抱え込むだけだと嘆きの言葉で結びます。
 「秋興八首」には各首にみごとな対句が配され、幻想と回想が繰り返し述べられますが、最後は一転して現実の窮状にもどるという発想がとられています。
 この時期は杜甫の詩の完成期で、昔の自分の方がすぐれていたというのは、杜甫の謙遜でなければ、境遇から来る自己誤認でしょう。

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