夜            夜       杜 甫
   露下天高秋気清  露つゆ下り天高くして秋気しゅうき清し
   空山独夜旅魂驚  空山くうざん 独夜どくや 旅魂りょこん驚く
   疎灯自照孤帆宿  疎灯そとう 自ら照らして孤帆こはん宿しゅく
   新月猶懸双杵鳴  新月しんげつお懸りて双杵そうしょ鳴る
   南菊再逢人臥病  南菊なんぎくに再び逢いて人は病に臥
   北書不至雁無情  北書ほくしょは至らず 雁かりは情じょう無し
   歩簷倚杖看牛斗  簷のきに歩し 杖に倚りて牛斗ぎゅうとを看れば
   銀漢遥応接鳳城  銀漢は遥かに(まさ)鳳城(ほうじょう)に接するなるべし
晴れ渡る空 露が降りて秋の気は澄み
淋しい山に ひとり目覚めて旅心を新たにする
淡い灯火が 一艘のもやい舟を照らし
空には新月 杵きぬたの音が鳴りわたる
南国の菊を見るのも 二度目だが疾に臥す身
都から便りはなくて 雁だけが無情に飛んでくる
軒端を歩み杖に縋り 牽牛・南斗の星を仰げば
銀河は遥かに延びて 宮城に接しているだろう

 杜甫は夔州を一時的な寄留地と考えていましたが、夏になって柏茂琳はくもりんが夔州刺史として赴任してきました。そのため事情は一変します。
 柏茂琳は前任地が邛県きょうけん(四川省邛峡県)の牙将がしょうで、節度使の配下でした。つまり厳武の部下であったため、杜甫とも交流のある間柄でした。
 柏茂琳は杜甫のために瀼西じょうせいの地に西閣という住居を与え、夔州でゆっくり療養につとめるように勧めました。
 西閣は長江に臨み、朱檻をめぐらしたかなりの住居でしたやがて秋が深まってくるに従って、杜甫の心に詩情が湧き起こってきました。
 夔州での多作の時期のはじまりです。「夜」の詩では、秋の夜、杜甫はひとけのない場所で、ひとり旅愁を噛みしめています。
 「南菊に再び逢いて」と言っているのは、成都を出てから雲安と夔州で二度の秋を迎えたことを言うのです。「北書は至らず」と言っているのは、朝廷からの召喚状のことで、杜甫が都への帰任を望んでいたことを示しています。
 結句の「銀漢は遥かに応に鳳城に接するなるべし」というのは、銀河が北へ延びて宮城まで届いていることを言うのであって、それに引きかえ自分は朝廷との連絡もとだえていると訴えるのです。
 柏茂琳に見せるための詩かもしれません。


   吹 笛          吹 笛       杜 甫
   吹笛秋山風月清  笛を吹く 秋山しゅうざん 風月ふうげつの清きに
   誰家巧作断腸声  誰家たれか巧みに作す 断腸の声
   風飄律呂相和切  風は律呂(りつりょ)(ひるがえ)して相い和すること切に
   月傍関山幾処明  月は関山(かんざん)()うて幾処(いくしょ)か明らかなる
   胡騎中宵堪北走  胡騎こき 中宵ちゅうしょう 北走するに堪えたり
   武陵一曲想南征  武陵の一曲 南征なんせいを想う
   故園楊柳今遥落  故園の楊柳 今 遥落ようらく
   何得愁中卻尽生  何ぞ愁中しゅうちゅうに卻かえって尽く生ずるを得し
秋山に笛は流れ 風月は澄んで清らか
誰が吹くのか 巧みに鳴らす断腸の曲
風は韻律と和して みごとに吹きわたり
月は関山にかかり 峰々を明るく照らす
真夜中の一曲には 胡騎を走らす力があり
武陵の新曲には 南征を傷む調べがある
故郷の庭の柳も いまごろは枯葉の季節
それを想えば なぜか愁いが湧いてきた

 秋の夜、どこからか笛の音が流れてきました。風の吹く月の明るい夜です。
 その笛の音に杜甫は感動し、さまざまな憶いにふけります。
 「胡騎北走」は晋の将軍劉琨りゅうこんが晋陽(山西省太原市)で優勢な胡兵に包囲されたとき、月夜に楼上で胡笛を吹かせたところ、胡軍は望郷の思いに駆られて引き上げていったという故事です。また「武陵一曲」は後漢の名将馬援ばえんが南征して武陵(湖南省常徳市)に駐屯していたとき、「武渓深」という新曲を作らせて兵士の労苦を慰めたという故事です。
 杜甫は笛の音によって時局の困難に思いを馳せ、それはまた、戦乱によって帰ることのできない故郷の秋の風物への想いへとつながっていくのです。

目次三へ