白帝城最高楼     白帝城の最高楼   杜 甫
   城尖径仄旌旆愁   城尖とがり径みちかたむいて旌旆せいはい愁う
   独立縹緲之飛楼   独り立つ 縹緲ひょうびょうたる飛楼ひろう
   峡坼雲霾龍虎臥   峡きょうけ雲くもつちふりて龍虎臥
   江清日抱黿鼉遊   江こう清く日いだいて黿鼉げんだ遊ぶ
   扶桑西枝対断石   扶桑ふそうの西枝せいし 断石だんせきに対し
   弱水東影随長流   弱水じゃくすいの東影とうえい 長流に随う
   杖藜嘆世者誰子   藜あかざを杖つえついて 世を嘆ずる者は誰の子ぞ
   泣血迸空回白頭   泣血 空くうに迸ほとばしらせて白頭を回らす
城は険しく径は急で 旌旗は愁いに沈み
広々とかすむ高楼に ひとりで立つ
山は裂け 雲は土煙のように垂れ下がって龍虎が臥し
流れは清く 陽は射して大亀や鰐が泳いでいる
断崖に向き合う枝は 扶桑の西枝であろうか
長江にながれる影は 弱水の東影であろうか
藜の杖をついて時世を嘆く者 それは誰か
血の涙を虚空に放ち 白髪頭を回らせている

 夔州きしゅうには蜀漢の劉備玄徳が最後に居城とした白帝城があります。
 杜甫は風痺もいくらかよくなったのか、有名なこの史跡を訪ねました。
 白帝城は夔州の瀼東じょうとうにあり、瀼水じょうすいを渡って小丘の急坂を登って行かなければなりません。杖をついて登ると、眼下に夔門の流れが渦巻き、正面には瞿塘峡の断崖が聳え立っています。
 首聯に「旌旆愁う」とありますが、劉備の旗が立っているわけではなく、楼閣がひとつ山頂に建っているだけです。中四句は白帝城から見おろす瞿塘峡の景で、壮大かつ神秘的に詠われています。この幻想的な神秘的な詠い方は、やがて夔州期の杜詩の一特徴になっていくものです。
 尾聯では、杖をついて白帝城の最高楼まで登ってきましたが、ここでも杜甫は国家の現状を慨歎してやまないのです。


  返 照          返 照    杜 甫
楚王宮北正黄昏   楚王宮北そおうきゅうほくまさに黄昏こうこん
白帝城西過雨痕   白帝城西はくていじょうせい 過雨かうの痕あと
返照入江翻石壁   返照へんしょうは江に入って石壁せきへきに翻り
帰雲擁樹失山村   帰雲きうんは樹を擁ようして山村を失う
衰年病肺惟高枕   衰年すいねん 肺を病んで惟だ枕を高くし
絶塞愁時早閉門   絶塞ぜつさい 時を愁えて早く門を閉ず
不可久留豺虎乱   久しく豺虎さいこの乱に留まる可からず
南方実有未招魂   南方 実まことに招かれざる魂こん有り
楚王宮の北側は ちょうど黄昏
白帝城の西側は しぐれの雨に濡れている
入り日は川の面に射し込んで 切り立つ巌に跳ねかえり
渓雲は樹々の辺りに絡みつき 山間の村も見えなくなった
老残の身に喘息をかかえ 為すところなく床に臥し
辺境の村でも乱世を恐れ はやばやと門扉を閉める
虎狼のような兵乱の地に どうして留まっていられよう
屈原の魂はいまだ帰らず 南の土地をさまよっている

 この詩の前半では、客堂から見える雨後の日暮れの景が雄大かつ繊細に詠われています。「楚王宮」は巫山の麓に戦国楚の離宮があったという言い伝えにもとづいており、その北側のあたりは黄昏の色に染まっています。
 白帝城のある丘の西の斜面は客堂から見える近景で、「過雨」(通り雨)に濡れています。それらを彩る「返照」と「帰雲」、雲は当時、山の岩穴から生まれ出ると信じられており、岩穴に帰るために樹にからみついているのです。
 後半は一転して、現状への嘆きですが、「病肺」は肺病ではなく喘息のことで、杜甫の持病でした。自分は病気のためにただ寝ているだけだと自嘲しながら、自分を屈原になぞらえて、憂国の心は休むときがないと嘆きます。

目次三へ