客 堂         客 堂    杜 甫
憶昨離少城     憶おもう 昨少城しょうじょうを離れしことを
而今異楚蜀     而今じこん 楚蜀そしょく異なり
捨舟復深山     舟を捨つれば復た深山しんざん
窅宨一林麓     窅宨ようちょうたり一林麓いちりんろく
棲泊雲安県     棲泊せいはくす雲安県
消中内相毒     消中しょうちゅううち相毒あいどく
旧疾甘載来     旧疾きゅうしつ 甘んじて載せ来たる
衰年得弱足     衰年すいねん 弱足じゃくそくを得
死為殊方鬼     死して殊方しゅほうの鬼と為るも
頭白免短促     頭白とうはく短促たんそくを免まぬが
思えば 先に成都の少城を離れ
以来 蜀と楚に居場所が変わる
舟を捨てて上陸すると 深山あり
奥深い林のほとりに閑居する
雲安県に住んでいたときは
消渇しょうかつの疾に悩まされた
持病をかかえ 舟に乗ってきたが
年のせいで 足も弱ってきた
死んで異郷の鬼となっても
白髪だから若くして死んだのではない

 夔州は雲安の下流七〇㌔㍍ほどのところにあり、隣県と言っていいでしょう。長江三峡の第一峡瞿塘峡くとうきょうの入口に位置し、左岸、つまり北側の江岸に県城が築かれていました。
 杜甫は夔州に着くと、山のほとりの林の縁のところに仮小屋を作って仮寓したようです。詩題は「客堂」かくどうとなっていますが、客は旅人の意味ですので、旅の家といった程度の題名です。
 全四十二句のうち、はじめの十句は導入部で、成都を離れてから夔州に至るまでを概観しています。

老馬終望雲     老馬ろうばついに雲を望む
南雁意在北     南雁なんがん北に在り
別家長児女     家に別れしより児女じじょ長ず
欲起慚筋力     起きむと欲するも筋力きんりょくに慚
客堂序節改     客堂かくどう 序節じょせつ改まる
具物対羇束     具物ぐぶつ 羇束きそくに対す
石暄蕨芽紫     石暄あたたかにして蕨芽けつが紫に
渚秀芦笋緑     渚しょに秀ひいでて芦笋ろじゅん緑なり
巴鶯粉末稀     巴鶯はおうふんとして末だ稀まれならず
徼麦早向熟     徼麦きょうばく 早く熟じゅくするに向かう
老馬は老いても 北の雲を眺め
雁は南に飛んでも 北の故郷を忘れない
家を出てから 子供たちは成長したが
私は起きようとしても筋力がない
客堂に季節は移り
旅の身にも 時の恵みはめぐってくる
石がぬくもり 蹶ぜんまいの芽が紫に萌え
芦の新芽は 渚に映えて緑である
鶯は処々方々で鳴き
麦は早くも熟しかけている

 杜甫の回想はつづき、やがて視線はあたりの風物へ移ってゆきます。
 前回からつづく導入部は、迫ってくる老いと晩春のみずみずしさが対比されていて、杜甫の詩人としての内省と視線の繊細さがみごとに対比されていす。

悠悠日動江     悠悠 日 江こうに動き
漠漠春辞木     漠漠 春 木を辞
台郎選才俊     台郎だいろう 才俊さいしゅんを選ぶ
自顧亦已極     自ら顧るに亦た已すでに極きわまれり
前輩声名人     前輩ぜんぱい声名せいめいの人
埋没何所得     埋没まいぼつ 何の得る所ぞ
居然綰章紱     居然きょぜん 章紱しょうふつを綰つが
受性本幽独     受性じゅせいもと 幽独ゆうどくなり
平生憩息地     平生へいぜい 憩息けいそくの地
必種数竿竹     必ず数竿すうかんの竹を種
遥かな江上に 日の光は動き
春の若葉は 日ごとに色をかえていく
尚書の郎官は 才俊を選ぶもの
自分が選ばれたのは 光栄の極みだ
名声の高かった先輩のなかには
得るところなく埋もれた者もいる
私は依然として官服をつけているが
本性は 幽居孤独を好む
だから 平生 休息の地には
かならず 数本の竹を植える

 回想はやがて、自分のことに移ります。
 杜甫は「台郎 才俊を選ぶ」と述べ、自分が台郎、つまり尚書省の郎官(郎中ならびに員外郎)に選ばれたことを名誉なことと考えています。
 そして「居然 章紱を綰ぬ」と書いていますので、成都でもらった検校工部員外郎としての身分は成都を離れたあとも維持していたようです。もとより寄禄官として与えられた身分であり、名目的なものですが、その地位にともなう些少の手当ては引きつづき受けていたようです。退職者への年金のようなもので、家族を維持できるような額ではなかったでしょうが、それでもいくらかの足しにはなっていたと思われます。

事業只独醪     事業 只だ独醪どくろう
営葺但草屋     営葺えいしゅうだ草屋そうおく
上公有記者     上公じょうこう 記する者有り
累奏資薄禄     累奏るいそうせられて薄禄はくろくに資
主憂豈済時     主しゅ憂うるも豈に時を済すくわむや
身遠弥曠職     身遠くして弥々いよいよ職を曠むなしうす
仕事はただ 濁り酒を飲むことで
住む家は 茅葺きの草堂である
そんな私でも覚えていた上官があり
奏上して俸禄を受ける身にしてくれた
天子は悩まれているが 助勢もできず
遠方にいる身で 職責を果たせない

 杜甫は厳武が自分のことを覚えていて、俸禄を受ける身分にしてくれたことを感謝する。しかし、遠隔の地にいるため、職責を果たせないでいると引け目を感じている。
 杜甫のまじめな性格がよく出ている部分である。

修文廟算正     修文しゅうぶん 廟算びょうさん正しく
献可天衢直     献可けんか 天衢てんくなお
尚想趨朝廷     尚お想う 朝廷に趨すうして
毫髪裨社稷     毫髪ごうはつ 社稷しゃしょくを裨せむことを
形骸今若是     形骸けいがい 今 是かくの若ごと
進退委行色     進退 行色こうしょくに委まか
文徳は修まり 朝政は正しく行なわれ
臣下の献言は 真っ直ぐ天に達している
それでもなお 私は朝廷にすすみ出て
わずかでも 国に裨益したいと思っている
しかるに体は ご覧のとおり
進退は これからの状態次第である

 結びの六句では、まず朝廷への信頼を述べます。
 この詩は自分の近況や志を朝廷にいる誰かに届けるために書いたものと思われますので、いわば儀礼の挨拶です。
 朝政は立派に滞りなく行なわれいるけれども、それでもなお自分は朝廷に出仕して、わずかでも国のお役に立ちたいと思っていると述べます。杜甫には持病として消渇(糖尿病)があり、そのうえ風痺(関節炎)のために歩行も不自由でした。だから「形骸 今 是の若し 進退 行色に委す」と、自分が直ちに都に行けない理由を述べるのです。
 唐代の知識人にとって官職に就くということは、人間として何よりも重大なことでした。
 そのことを忘れてはいないと、杜甫は言っているのです。

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