放船          船を放つ   杜 甫
収帆下急水     帆を収おさめて急水きゅうすいを下り
巻幔逐回灘     幔まんを巻きて回灘かいだんを逐
江市戎戎暗     江市こうし 戎戎じゅうじゅうとして暗く
山雲淰淰寒     山雲さんうん 淰淰せんせんとして寒し
荒林無径入     荒林こうりん 入るに径こみち無く
独鳥怪人看     独鳥どくちょう 人を怪しみて看
已泊城楼底     已に泊す 城楼じょうろうの底そこ
何曾夜色闌     何ぞ曾かつて夜色やしょくたけなわならむ
帆を巻いて急流をくだり
幔幕を上げて早瀬を進む
河岸の街は暗くけぶり
山の雲は寒々と去来する
荒れた林には径すらなく
一羽の鳥が怪訝に目をむける
やがて城楼の下に船を繋ぐが
夜はまだ更けきらぬころだった

 忠州では江辺の龍興寺に滞在して旅の疲れを癒しますが、このとき厳武の柩が舟で長江を下ってゆくのを見送っています。厳武の故郷は華陰(陝西省華陰県)でしたので、その地に帰葬するために運んでいったのです。
 杜甫は忠州に三か月ほど滞在します。休息にしては永すぎる滞在ですが、杜甫の体の具合がすこしずつ悪くなってきていたようです。
 忠州を離れたのは九月になってからのようです。
 詩は忠州から雲安(四川省雲陽県)まで長江を下るときの作とされており、岸辺の寒々としたようすが詠われています。長江に秋は深まり、雲安城下に船を繋いだのは、日暮れのまだ暗くならない時刻でした。


雲安九日鄭十八携酒陪諸公宴
    雲安の九日に鄭十八酒を携う 諸公の宴するに陪す 杜 甫
寒花開已尽     寒花かんか 開くこと已に尽き
菊蘂独盈枝     菊蘂きくずい 独り枝に盈
旧摘人頻畏     旧摘きゅうてき 人頻しきりに畏ことなり
軽香酒暫随     軽香けいこうに酒をば暫しばらく随う
地偏初衣裌     地へんにして初めて裌きょうを衣
山擁更登危     山に擁ようせられて更に危あやうきに登る
万国皆戎馬     万国ばんこくみな戎馬じゅうば
酣歌涙欲垂     酣歌かんか 涙垂れむと欲す
秋の草花は 咲いてしまったが
菊の花だけは 枝に満ちている
節句に菊を摘む人も 年ごとにかわり
菊の香のかおる酒を しばし味わう
南国の辺鄙な土地で 袷に着替え
山沿いの高い場所であるのに さらに高処に登る
諸国はみな 兵乱に出逢い
宴たけなわというのに 涙がこぼれ落ちそうだ

 雲安に着いたのは九月九日の重陽節も近いころでした。
 地もとの詩人鄭兄弟が、杜甫を節句の宴席に招いてくれました。
 弟を鄭賁ていふんといい、排行は十八です。
 詩中に「万国 皆戎馬 酣歌 涙垂れむと欲す」と言っているのは、前年の広徳二年(七六四)二月から起きている撲固懐恩ぼくこかいおんの乱のことです。
 撲固懐恩は鉄勒てつろく(トルコ)系の武将で、安史の乱に際しては回鶻からの援兵を求める使者に立つなど功績がありました。
 ところが乱後の恩賞に不満があって、霊州(寧夏回族自治区霊武県)に兵を集めて叛旗を翻したのです。
 そのことが重陽節の宴会での話題になったのでしょう。

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