遣悶奉呈厳公 二十韻 悶を遣る 厳公に呈し奉る 二十韻 杜 甫
白水魚竿客     白水はくすい魚竿ぎょかんの客
清秋鶴髪翁     清秋せいしゅう鶴髪かくはつの翁
胡為来幕下     胡為なんすれぞ幕下ばくかに来たれる
祗合在舟中     祗ただまさに舟中しゅうちゅうに在るべきのみ
黄巻真如律     黄巻こうかんしんに律りつの如し
青袍他自公     青袍せいほうも他またた公こうよりす
老妻憂坐痺     老妻 坐痺ざひを憂え
幼女問頭風     幼女 頭風とうふうを問う
平地専敧倒     平地へいちもっぱら敧倒きとう
分曹失異同     分曹ぶんそう異同いどうに失しつ
清流に釣りをするよそ者
秋空に白髪の翁
こんな自分がなんで幕下に参じたのか
舟の中にいるのがふさわしいのだ
勤めは 法令で縛るように厳しく
終わっても気のやすまるときがない
老妻は 足の痺れを心配し
幼い娘は 私の頭痛を気にかける
平地でも 寝そべっていることが多く
よその部署とは意見の衝突ばかり

 秋になると吐蕃との戦も終わり、杜甫は使府の勤めにもどります。
 ところが杜甫は、次第に役所勤めを窮屈と感じるようになりました。
 成都の紅灯の巷ちまたに出入りするようになったのも、このころのことのようです。詩は二十韻、つまり四十句の作品です。この詩は杜甫の辞職願と言ってよく、前十句では、自分は役所勤めに適しないのだと言っています。
 病気がちの上、「分曹異同に失す」と華州の司功参軍を辞めたときと同じように、他人と意見が合わないことを理由にあげています。

礼甘衰力就     礼れいは甘んず衰力すいりょくくを
義忝上官通     義は忝かたじけなうす上官じょうかんの通ずるを
疇昔論詩早     疇昔ちゅうせき 詩を論ずること早かりき
光輝仗鉞雄     光輝こうき 仗鉞じょうえつゆうなり
寛容存性拙     寛容かんよう 性拙せいせつを存そん
剪拂念途窮     剪拂せんふつ 途窮ときゅうを念おも
露裛思藤架     露裛ろゆう 藤架とうかを思い
煙霏想桂叢     煙霏えんひ 桂叢けいそうを想う
信然亀触網     信然しんぜんあみに触
直作鳥窺籠     直ただに鳥の籠を窺うかがうを作
衰老の身が 礼に甘んじていられるのは
上官の厚い友情があるからだ
厳公とは詩を論ずる仲間だったが
今は兵馬の権を帯び 栄光は身に及ぶ
不器用な私を 寛大に受け入れ
不遇の身を 親切に世話してくださる
ところが私は 露に濡れる藤棚や
靄にたなびく桂の林を気にしている
まことに 網にかかった亀のようで
鳥かごの鳥にひとしい存在だ

 厳武の好意に感謝の気持ちを述べていますが、自分は露に濡れる藤棚や靄のたなびく桂の木が気になる性格で、毎日の役所勤めは籠の鳥のように不自由だといっています。

西嶺紆邨北     西嶺せいれい 邨北そんほくを紆めぐ
南江繞舎東     南江なんこう 舎東しゃとうを繞めぐ
竹皮寒旧翠     竹皮ちくひ 旧翠きゅうすい寒く
椒実雨新紅     椒実しょうじつ 雨に新あらたに紅くれないなり
浪簸船応坼     浪に簸あふられて船応まさに坼ひらくなるべし
杯乾甕即空     杯はい乾きて甕おう即ち空むな
藩籬生野径     藩籬はんり 野径やけい生じ
斤斧任樵童     斤斧きんぷ 樵童しょうどうに任まか
束縛酬知己     束縛そくばく 知己ちきに酬むく
蹉跎效小忠     蹉跎さた 小忠しょうちゅうを效いた
村の北側に 西嶺が連なり
家の東には 南江が流れる
竹の幹は 昔からの青みどり
山椒の実は 雨で一段と赤いだろう
舟は波涛で壊れたかもしれず
酒は飲みほして 酒甕は空になる
籬には ひとりでに径ができ
子供の樵が 勝手にゆききする
この身を縛りつけて知己に酬い
つまづきながら 心ばかりの誠をつくす

 田園ののどかな生活を活写して、都会の官舎ぐらしの味気なさを暗に嘆いているようです。田園生活が懐かしいが、厳武の知己に酬いるために、なんとか勤めをつづけている。
 「蹉跎 小忠を效す」というのは、そのことを言うのでしょう。

周防期稍稍     周防しゅうぼう稍稍しょうしょうを期す
太簡遂怱怱     太簡たいかん遂に怱怱そうそうたり
暁入朱扉啓     暁入ぎょうにゅう 朱扉しゅひひら
昏帰画角終     昏帰こんき 画角がかく終わる
不成尋別業     別業べつぎょうを尋ぬるを成さずんば
未敢息微躬     未だ敢て微躬びきゅうを息そくせしめず
烏鵲愁銀漢     烏鵲うじゃく 銀漢ぎんかんを愁うれ
駑駘怕錦幪     駑駘どたい 錦幪きんもうを怕おそ
会希全物色     会かならず希ねがう 物色ぶつしょくを全うして
時放倚梧桐     時に放ちて梧桐ごとうに倚らしめむことを
周囲から小言がないように努めているが
ねっからの不束者 迷惑のかけどうしだ
朝は開門と同時に出勤し
夕べは角笛のやむころかえる
これでは草堂にでも もどらなければ
体をやすめることもできないだろう
鵲は 銀河を埋めようとあせり
駑馬は 錦の鞍掛けを恐れる
どうか 馬の毛並みを損なわず
鳥ならば桐の小枝にとまらせてほしい

 周囲から小言が出ないように注意して努めてはいるけれども、根っからの不束者ふつつかものなので迷惑の掛けどおしと言っているのは、厳武のところに何か苦情でも言う者がいたのでしょう。また、早朝から夕刻までの勤めでは体を休めることもできないと、不満も述べています。詩人として自由な時間のほしい杜甫には、役所勤めは無理であったようです。
 「駑駘 錦幪を怕る」というのは、分不相応なことをしていては体がもたないと言っているわけで、ときどき桐の小枝に止まらせてくれるだけでいいのだと、杜甫は休息を求めています。

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