憶年十五心尚孩 憶う 年十五にして心こころ尚お孩がいに
百憂集行 百憂集の行 杜 甫
思えば十五歳のころは 無邪気なものである
黄牛のように元気で 走りまわっていた
八月に 庭先の梨や棗なつめが熟すると
一日に 千回くらいは登ったものだ
しかしいまは あっというまに五十歳になり
坐ったり寝たりの生活 立って歩くのも稀になった
風で屋根が吹き飛ぶような災害にあい、屋根の修理だけはなんとかできたようです。そんななか秋の果物は実をつけ、杜甫はそれを見上げながら、洛陽の「おば」二姑アルクーの家で暮らした十五歳のころを思い出します。
元気だった昔もあっという間に過ぎ去り、いまは五十歳になって坐ったり寝たりの生活であると、杜甫は人生の過ぎゆく時のはやさを嘆くのでした。
強将笑語供主人 強しいて笑語しょうごを将もって主人に供し
悲見生涯百憂集 悲しみ見る 生涯に百憂ひゃくゆうの集まるを
入門依旧四壁空 門に入れば 旧に依って四壁しへき空むなし
老妻覩我顔色同 老妻の我を覩みる 顔色がんしょく同じ
痴児未知父子礼 痴児ちじは未だ父子ふしの礼を知らず
叫怒索飯啼門東 叫怒きょうどして飯はんを索もとめ 門東に啼く
つまらぬ冗談を言って 無理に援助者に対しているが
生涯のすべての憂いが 寄せてくるのを悲しく眺める
門を入れば四方の壁は がらんとして何もない
老妻は私を顧みるが ふたりとも冴えない顔色だ
愚かな子供らは 親と子の礼儀をわきまえず
腹が減ったと喚き立て 門の東で泣いている
杜甫は疾がちでもありました。
「強いて笑語を将て主人に供し」と言っていますが、「笑語…」というのは作り笑いをし、冗談を言いながら主人のご機嫌をとることです。杜甫はそんな暮らしをしている自分がみじめで、生涯のすべてのことが悲しくなってきます。
「主人」というのは成都尹の崔光遠さいこうえんなど援助者のことでしょう。
屋根は修理できても、家のなかは四方に壁があるだけで家具らしいものは何もありません。妻も浮かない顔をしているし、子供たちは腹をすかして泣きわめいています。「百憂集の行」ひゃくゆうしゅうのうたとは、そんな生活の困窮状態を詠う悲しい詩です。