丞相祠堂何処尋 丞相の祠堂しどう 何いずれの処にか尋ねん
蜀 相 蜀 相 杜 甫
孔明の社は どのあたりだろうか
錦官城外 柏の杜もりはおごそか
階段から見える若草は 茂るにまかせた春の色
葉陰の向こうで鶯は 美しい声で鳴いている
劉備は 三顧の礼で天下平定の策を問い
老臣は 蜀漢の二主に仕えて誠実であった
軍を出して 勝利しないうちに病に倒れ
無念の念に 心ある人はいつまでも涙をながす
成都には三国蜀漢の丞相諸葛孔明の祠堂があります。杜甫は身辺が落ち着くとさっそく、かねて尊敬する孔明の祠堂を訪ねました。
孔明を祀る武侯祠は成都西南の郊外、柏このてがしはの杜もりの静かな緑陰のなかにありました。「両朝」というのは先主劉備と後主劉禅のことで、「開済」とは事を開始しかつ成し遂げることをいいます。
杜甫は孔明の誠実な生き方に感動し、唐朝がいま必要としているのは、孔明のような名臣であると思うのでした。
狂 夫 狂 夫 杜 甫万里橋西一草堂 万里橋西ばんりきょうせい 一草堂
万里橋の西に 一軒の草堂があり
百花潭の水は 私にとって滄浪の水
緑の篠竹は 風を含んでしなやかに清く
蓮の紅花は 雨に濡れてたおやかな香りを放つ
高禄の友人たちから 便りは来なくなり
いつも空腹の子供らは やつれて元気がない
溝や谷間に落ちて死にそうだが 齷齪することもあるまい
わが事ながら 老いてますます狂であるのを笑っている
詩題の「狂夫」は狂った男という意味ではなく、物事を夢中になって行う男、もしくは理想に向かってまっしぐらに進む者という意味です。
杜甫は自分を「狂夫」であると認識します。
詩は前半四句で草堂のたたずまいを描写します。
「万里橋」は錦江にかかる橋です。
その西に草堂があり、「百花潭」と称する淵があります。
この淵が杜甫にとっての「滄浪」の水であり、楚辞にある詩句を踏まえて隠者の生活を示唆していることになります。後半四句は生活の状況で、草堂に落ち着くことはできましたが、都の友人たちからは便りも来なくなり、子供たちはいつもお腹をすかせ、やつれていると生活の苦しさを詠います。
杜甫は居直る口吻であり、老いてますます「狂」であると自分を笑うのです。