水檻遣心       水檻に心を遣る 杜 甫
去郭軒楹敞     郭かくを去って軒楹けんえいひろ
無村眺望賖     村無くして眺望ちょうぼうはるかなり
澄江平少岸     澄江ちょうこう 平らかにして岸少なく
幽樹晩多花     幽樹ゆうじゅおそくして花多し
細雨魚児出     細雨さいう 魚児ぎょじ出で
微風燕子斜     微風びふう 燕子えんし斜めなり
城中十万戸     城中じょうちゅう 十万戸
此地両三家     此の地 両三家りょうさんか
草堂は城外にあって 軒のきも柱もゆったり
付近に村はないので 見晴らしもよい
澄んだ川水は豊かで 岸すれすれに流れ
鬱蒼と茂る樹々には 季節はずれの花が咲いている
そぼ降る雨に 魚は顔をちょっと出し
そよふく風を 切って燕は斜かいに飛ぶ
城中には 十万戸の家がひしめくが
こちらは ほんの二三軒だけだ

 草堂の建築費用は、母方の従兄弟で成都尹の王十五や裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済が一部を援助してくれました。また友人の高適こうせきがたまたま成都の北四〇㌔㍍ほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしていましたので、禄米をいくらかまわしてくれました。こうした親戚、友人の援助によって草堂は春のおわりまでにはできあがっていたようです。
 詩題の「水檻すいかんに心を遣る」は、川に臨んだ欄干に寄りかかってあたりを眺めやるという意味で、晩春の作でしょう。
 春になって雪解けの水で増水した川水が岸いっぱいになって流れています。
 新居のあたりのようすが心をこめて描かれており、五言律詩の佳作といえるでしょう。成都の戸数は、このころ三、四万戸ほどで、当時としては大都会ですが、一万余戸から十万余戸までは、まとめて十万戸というのが当時の詩的表現ですので、数字にこだわる必要はないでしょう。


 江上値水如海勢聊短述
                 江上 水の海勢の如くなるに値い 聊か短述す 杜 甫

 為人性僻耽佳句   人と為り 性せいへきにして佳句に耽ふけ
 語不驚人死不休   語 人を驚かさずんば 死すとも休まず
 老去詩篇渾漫与   老い去って詩篇 渾すべて漫与まんよ
 春来花鳥莫深愁   春来たって花鳥 深く愁うる莫
 新添水檻供垂釣   新たに水檻すいかんを添えて垂釣すいちょうに供し
 故著浮槎替入舟   故もとより浮槎ふさを著けて入舟にゅうしゅうに替う
 焉得思如陶謝手   (いづく)んぞ 思い陶謝(とうしゃ)の如くなるを手を得て
 令梁述作与同遊   梁かれをして述作して 与ともに同遊せしめん
私の性質は偏っていて 詩句を作るのに熱中し
人を驚かせない様では 死んでもやめられない
だが老いるに従って すべてに詩がいい加減になり
春が来たというのに 花にも鳥にも感動することがない
新たに水檻を設けて 釣り糸を垂れる場所にし
岸辺に筏をつないで 舟のかわりにしている
できれば 陶淵明や謝霊運のような詩人を連れてきて
共に詩を作りながら 遊びたいものである

 住居が定まって落ち着いてきたのか、杜甫は自分の詩心について思うところがありました。川の増水するのを見て、自分の中に自然のいとなみに似たものがあるのを感じ、「語 人を驚かさずんば 死すとも休まず」と詩作への意気込みを示します。この句は杜甫の名句として、しばしば引用されるものです。
 一方、老いるに従って詩が散漫になり、自然の美に心を動かされなくなったと嘆いてもいます。陶淵明や謝霊運のような詩友がいて、共に詩を作り合えれば楽しいだろうと、詩を語り合えるような人物がいないことも嘆きの種です。

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