成都府        成都府   杜 甫
翳翳桑楡日     翳翳えいえいたり 桑楡そうゆの日
照我征衣裳     我が征たびの衣裳を照らす
我行山川異     我れ行きて山川さんせんことなり
忽在天一方     忽ち天の一方に在り
但逢新人民     但だ新人民に逢う
未卜見故郷     未だ故郷を見るを卜ぼくせず
大江東流去     大江たいこう 東に流れ去り
游子日月長     游子ゆうし 日月じつげつ長し
曾城填華屋     曾城そうじょう 華屋かおくうず
季冬樹木蒼     季冬きとう 樹木蒼あお
翳りゆく夕日が
旅の衣ころもを照らしている
行けば次第に 山川の姿は異なり
いつのまにか 天の果てに来ていた
出逢うのは 見なれない新しい人ばかり
故郷に帰る日も まだ決めてはいない
大河の水が 東に流れてやまないように
旅に出て 久しい月日が過ぎている
幾重もの城壁に 立派な家屋が満ち
十二月というのに 樹々は蒼く茂っている

 杜甫の一家が蜀の成都に着いたのは、乾元二年(七五九)年末のたそがれどきでした。この年の七月に四十八歳の杜甫は、華州の司功参軍の職を辞して秦州に向かったのですから、「游子 日月長し」と言っていますが、わずか半年の間に秦州・同谷と滞在して成都にたどり着いたことになります。
 時間としては半年ですが、変化の激しい半年でした。成都には家がぎっしりと立ち並び、冬というのに樹々は青々と茂っていました。

喧然名都会     喧然けんぜんたる名都会めいとかい
吹簫間笙簧     簫しょうを吹き笙簧しょうこうを間まじ
信美無与適     信まことに美なれども与ともに適する無し
側身望川梁     身を側そばだてて川梁せんりょうを望む
鳥雀夜各帰     鳥雀ちょうじゃく 夜 各々おのおの帰り
中原杳茫茫     中原ちゅうげんようとして茫茫ぼうぼうたり
初月出不高     初月しょげつ 出でて高からず
衆星尚争光     衆星しゅうせいお光を争う
自古有羇旅     古いにしえより羇旅きりょ有り
我何苦哀傷     我れ何ぞ苦はなはだ哀傷あいしょうせむ
にぎやかな大都会
簫の吹く音に 笛が交じり合う
真に美しいが 意にそわないところがあり
不安な気持で 川の流れ橋のあたりを眺めやる
夜ともなれば 鳥はねぐらに帰っていくが
中原は遥かに遠く どこだか分からない
月は出たが まだ低いところにあり
無数の星が なおも光を争っている
古来人生に 旅はつきものだ
なんで私が いまさら傷み哀しむ必要があろう

 成都は予想以上に賑やかな大都会でした。杜甫は「信に美なれども与に適する無し」と、はじめてみる城市にとまどいを感じています。
 しかし、ここまできた以上、覚悟を定めなければなりません。
 末尾の二句「古より羇旅有り 我れ何ぞ苦だ哀傷せむ」は杜甫の哀しい決意を物語るものでしょう。
 一家はひとまず、成都城外の西郊にあった浣花渓寺に旅装を解きました。

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