龍門閣        龍門閣    杜 甫
清江下龍門     清江せいこう 龍門りゅうもんを下る
絶壁無尺土     絶壁ぜっぺき 尺土せきど無し
長風駕高浪     長風ちょうふう 高浪こうろうに駕
浩浩自太古     浩浩こうこう 太古たいこりす
危途中縈盤     危途きと 中ごろ縈盤えいばん
仰望垂綫縷     仰ぎ望めば 綫縷せんる
滑石欹誰鑿     滑石かっせきかたむいて誰か鑿うがてる
浮梁裊相拄     浮梁ふりょうじょうとして相い拄ささ
清流が龍門を流れ
絶壁には一尺の土もない
遥かに吹く風は 高浪を巻き上げ
太古の昔から 吹きつづける
危険な道が 中途で曲がりくねり
仰げば細い道が 糸のように垂れ下がっている
傾いた滑らかな石に 穴をあけたのは誰か
桟道の穴と支柱が 揺れながら支え合う

 関中から蜀へ向かう路は蜀道と呼ばれ、秦嶺山脈を越える険しい山道の連続です。河岸の絶壁に穴をあけ、支柱で支えてある桟道は揺れ動き、目も眩むよな高さです。冬十二月、厳冬のさなか、杜甫の一家は危険な山道を助け合い励まし合いながら越えてゆきました。

目眩隕雑花     目は眩くらみて雑花ざっか
頭風吹過雨     頭かしらは風ふきて過雨かうを吹く
百年不敢料     百年 敢あえて料はからず
一墜那得取     一墜 那なんぞ取ることを得ん
飽聞経瞿塘     飽くまで聞く 瞿塘くとうを経るを
足見度大庾     見るに足る 大庾たいゆを度わたるを
終身歴艱難     終身 艱難かんなんを歴
恐懼従此数     恐懼きょうく 此れ従り数えん
目は眩み 花が乱れ散るようで
頭の中をざわめく風 通り雨が吹くようだ
この世で こんな目に遇うとは思いもしなかった
一度堕ちたら 一巻の終わりだ
瞿塘峡の険は しばしば耳にし
大庾嶺越えの危険は想像できる
一生のあいだ 苦難が待っているだろう
だが本当の恐怖は これからはじまるのだ

 杜甫は険しい山道に「百年 敢て料らず」と嘆いています。
 「百年」というのは生涯という意味です。
 事実、杜甫は二度と蜀道を通りませんでしたし、瞿塘峡の険も大庾嶺越えも、このときまでは経験していませんでした。
 話に聞いていただけです。
 ただし、瞿塘峡だけは後に通過することになります。
 杜甫は末尾の二句で「終身 艱難を歴ん 恐懼 此れ従り数えん」と言っていますが、杜甫のこれからの苦難の旅を予言するような詩句で、感動なしには読むことができません。

目次三へ