西枝村尋置草堂地夜宿賛公土室二首其二 杜 甫
    西枝村に草堂を置く地を尋ね夜 賛公の土室の宿す 二首 其の二
天寒鳥已帰     天寒くして鳥は已すでに帰り
月出山更静     月出でて山は更に静かなり
土室延白光     土室どしつ 白光はっこうを延
松門耿疎影     松門しょうもん 疎影そえいこうたり
躋攀倦日短     躋攀せいはん 日の短きに倦
語楽寄夜永     語楽ごらく 夜の永きに寄
明然林中薪     明めいには然やす 林中の薪
暗汲石底井     暗あんには汲む 石底せきていの井せい
日暮れになると鳥はねぐらに帰り
月が昇ると 山はいっそう静かになる
部屋の奥まで 白い光が射しこみ
門辺の松は まばらに影を落としている
山登りは 日が短いのではやく切り上げ
夜ながの時を 楽しく語り合いましょう
明りには 山で拾った薪を燃やし
暗がりで 岩に湧き出る水を汲む

 長安にいたとき、杜甫は大雲寺の寺主で賛公さんこうという僧に大変世話になりました。長安脱出を手伝ってくれたのも賛公です。賛公はその後、政事的な問責にあい、秦州の西枝村せいしそんに謫居していました。
 題詞によると杜甫は西枝村に住むことも考えたようで、草堂を置く土地をさがしに村を尋ねました。
 そして賛公の土室(窰洞ヤオトン)に一泊し、一夜を語り明かします。
 詩のはじめ八句は導入部で、夜の土室のようすが描かれます。

大師京国旧     大師たいしは京国けいこくの旧きゅうなり
徳業天機秉     徳業 天機てんきを秉
従来支許遊     従来 支許しきょの遊び
興趣江湖迥     興趣きょうしゅ 江湖こうこはるかなり
数奇謫関塞     数は奇にして関塞(かんさい)(たく)せらるるも
道広存箕潁     道は広くして箕潁きえいを存そん
先生は 都に知られた宿老で
徳行は 自然の掟にかなっていた
支遁・許詢の交わりを許していただき
世俗を離れて 江湖に遊ぶようでした
不運にも いまは辺塞に謫居されるが
道は広々として 超俗の境地にある

 杜甫は賛公のような徳行の僧と知り合いになれ、支遁しとんと許詢きょじゅんの交わりのような親しい交わりを結んでもらったことを感謝しています。
 そして、不運にもいまは辺塞に謫居させられているが、道は広々とひらけていて、超俗の境地におられるだけだと、慰めの言葉を述べています。
 杜甫にしても状況は同じようなものですが、杜甫は処罰を受けて秦州に来たわけではないので、励ましの言葉を述べたのかもしれません。
 もしくは、自分が賛公のような超俗の境地にいたらないことを反省しているのかもしれません。

何知戎馬間     何ぞ知らん 戎馬じゅうばの間かん
復接塵事屏     ()塵事(じんじ)(しりぞ)くるに接せんとは
幽尋豈一路     幽尋ゆうじんに一路いちろならんや
遠色有諸嶺     遠色えんしょく 諸嶺しょれい有り
晨光稍朦朧     晨光しんこうようやく朦朧もうろうたらば
更越西南頂     更に西南の頂いただきを越えん
はしなくも戦乱の世に遭遇し
俗塵を避けておられるだけだ
究理の道は深くて一筋ではなく
遠山の峰には いろいろな色がある
朝のひかりが うっすらと明るくなれば
さらに西南の山 高い頂をこえましょう

 戦乱の世に遭遇した不運を述べ、賛公を励ましています。
 注目すべきは、尾聯の二句で「晨光 稍く朦朧たらば 更に西南の頂を越えん」と言っていることです。
 西南の山を越えるのは蜀に行くことで、ここでは賛公に呼びかける形になっていますが、杜甫自身がまもなく西南の山を越えて蜀に行くことになりますので、そのことを予感しているようにすらに思われます。

目次三へ