山並の途切れるあたり 塔はそびえて立っている
対岸の人家は 喚べば応えてくれそうだ
江を渡る秋風は 暮れから急につよくなり
時を告げる鐘鼓の音が 西興の街へと流れてゆく
題名の「望海楼」は杭州城内、鳳凰山の中腹にあり、そこから東の眼下を流れる銭塘江の夕景色を眺めた詩です。
「五絶」というのは五首の七言絶句の意味で、煕寧五年(一〇七二)秋八月、蘇軾三十七歳のとき、杭州在任中の作でしょう。
「
城内の日暮れを告げる鐘鼓の音が西風に乗って届いているであろうと想像しています。視野がひろくて、自分のいる場所、対岸の人家、風の動き、鐘鼓の音などいろいろなものを詠み込んでいながら静かで整然とした風趣があります。
水はひかり耀き 晴れた日はすばらしい
山の姿がぼんやり煙る 雨の眺めも格別だ
西湖の美を 越の西施にくらべれば
薄化粧 厚化粧 いずれも共にいいものだ
煕寧六年(一〇七三)正月二十一日、西湖にて作るとあるので、蘇軾三十八歳の春、杭州での作です。左遷中ですが嘆いてもおらず、美しい地方での生活をのんびり楽しんでいるようです。
転句中の「
中秋月 中秋の月 蘇 軾
暮雲収尽溢清寒 暮雲 収め尽くして清寒溢れ
銀漢無声転玉盤 銀漢 声無く 玉盤転ず
此生此夜不長好 此の生 此の夜 長くは好からず
明月明年何処看 明月 明年 何れの処にて看ん
日暮れの雲は消え去って 清涼の気が満ちあふれ
銀河横たわるなか 明月は音もなくめぐる
この安らかな人生も 静かな夜も そう永くはつづくまい
明年の秋になったらこの月を 何処で私は見るのだろうか
神宗の煕寧十年(一〇七七)、四十二歳の蘇軾は徐州(江蘇省除州市)の知州事になって赴任しました。
地方の次官や長官をたらいまわしされていたわけで、さすがに強気の蘇軾も「明年何処看」と弱音をはいています。