夢李白 二首 其一 李白を夢む 二首 其の一 杜 甫
死別已呑声     死別 已に声を呑み
生別常惻惻     生別 常に惻惻そくそくたり
江南瘴癘地     江南 瘴癘しょうれいの地
逐客無消息     逐客ちくきゃく 消息しょうそく無し
故人入我夢     故人こじんの我が夢に入るは
明我長相憶     我が長く相あい憶うを明らかにす
恐非平生魂     恐らくは平生へいぜいの魂こんに非あらざらん
路遠不可測     路みち遠くして測はかる可からず
死に別れは 慟哭の声を呑むしかないが
生き別れは いつも気がかりで心が痛む
江南は 毒気の立ち込める地というが
逐客李白から いっこうに便りがない
旧友が 私の夢にあらわれ
忘れていないことが通じているとわかった
だが 夢の中の様子が平生と違っている
路は遠く離れているので 推測がつかない

 杜甫と李白は魯郡の石門山で別れて以来、会っていませんでした。
 その李白が戦争に巻き込まれて生死不明と聞き、杜甫は李白の夢を見ました。詩中に「逐客」とあるのは李白のことで、李白は長安を去ってから自分のことを逐客(朝廷から追われた旅人)と称していました。
 杜甫は李白の夢を見て、自分の憶いが李白に通じたのかと喜びますが、夢の中の李白の様子がいつもと違っていました。

魂来楓葉青     魂の来たるとき楓葉ふうよう青く
魂返関塞黒     魂の返るとき関塞かんさい黒し
君今在羅網     君は今 羅網らもうに在るに
何以有羽翼     何を以てか羽翼うよく有るや
落月満屋粱     落月 屋粱おくりょうに満ち
猶疑照顔色     猶お疑う 顔色がんしょくを照らすかと
水深波浪闊     水深くして波浪はろうひろ
無使蛟龍得     蛟龍こうりゅうをして得さしむること無れ
李白の魂は 楓の葉が青く茂るところからやってきて
去ってゆくとき 関門の要塞は黒々と横たわっていた
君はいま 罪人として捕らわれの身であるのに
どうして翼を得て 私のところへ飛んできたのか
沈もうとする月の光が 部屋の梁いっぱいに満ち
君の顔を照らしているのかと思うほどだ
江南の水は深く 波浪はどこまでも広い
どうか鰐や鮫さめの餌食にならないでほしい

 杜甫は李白が永王の軍に参加して捕らわれの身になったことは聞いていましたので、どうして李白の魂魄が夢の中に現われたのかと疑います。
 月の光に照らされた梁の光が反射したように、李白の顔は蒼白かったので、李白が不運な目に会って命を落とすことのないようにと杜甫は祈るのでした。なお、詩中に「関塞」とあることから、杜甫が李白の夢を見たのは秦州に着いてからだとする説が有力ですが、杜甫は李白のことを長安で耳にしたと思いますので、そのあとの旅の途中で夢を見たのだろうと思います。
 戦争中ですので、関塞はいいたるところにあったと思われます。


夢李白 二首 其二   李白を夢む 二首 其の二 杜 甫
浮雲終日行     浮雲ふうん 終日しゅうじつ行く
遊子久不至     遊子ゆうし 久しく至らず
三夜頻夢君     三夜さんやしきりに君を夢む
情親見君意     情親じょうしん 君が意を見る
告帰常局促     帰るを告げて常に局促きょくそくたり
苦道来不易     苦ねんごろに道う 来たること易やすからず
江湖多風波     江湖こうこ 風波ふうは多し
舟楫恐失墜     舟楫しゅうしゅう 恐らくは失墜しっついせんと
浮き雲は 終日流れ去り
旅人は いつまでも帰ってこない
三夜つづけて君の夢をみ
情愛の深さを感じた
もう帰るといいながら いつも落ち着かず
しきりに 「ここへ来るのは容易でない
江南は 風波が多く
舵取りは きっと失敗するだろう」という

 杜甫は三晩もつづけて李白の夢を見ました。
 それで、李白は死んでしまって魂魄が飛んできて夢に現われたのではないかと疑います。もう帰るといいながら落ち着きがなく、「来たること易からず 江湖 風波多し 舟楫 恐らくは失墜せん」と不吉なことを言うのです。

出門掻白首     門を出でて白首はくしゅを掻く
若負平生志     平生へいぜいの志に負そむくが若ごと
冠蓋満京華     冠蓋かんがい 京華けいかに満つるに
斯人独顦顇     斯の人のみ独り 顦顇しょうすい
孰云網恢恢     孰たれか云う 網あみ恢恢かいかいたりと
将老身反累     (まさ)に老いんとして()(かえ)って(つみ)せらる
千秋万歳名     千秋せんしゅう 万歳ばんざいの名
寂寞身後事     寂寞せきばくたる身後しんごの事
門を出て 白髪頭を掻いているが
いつもの君と様子が違う
都では 道に貴人があふれているのに
あなただけは ひどくやつれ果てている
天網恢々 疎にして漏らさずというが
老境にさしかかって かえって罰せられる
永遠不朽の名声は
死後にひっそりと残るのか

 夢の中の李白には、いつもの傲然としたところがありません。
 しょぼしょぼと白髪頭を掻いているのです。
 まさかとは思うが、あなたほどの人が老境になって罰せられ、死後に名を残すようなことになるのだろうかと、杜甫は李白の死を心配しています。
 杜甫は暗く愁いに満ちた気持ちを胸にいだきながら、西への旅をつづけてゆきます。

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