春日憶李白     春日 李白を憶う 杜 甫
白也詩無敵     白はくや 詩 敵無く
飄然思不群     飄然ひょうぜんとして思い群ぐんならず
清新庾開府     清新 庾開府ゆかいふ
俊逸鮑参軍     俊逸 鮑参軍ほうさんぐん
渭北春天樹     渭北いほく 春天しゅんてんの樹
江東日暮雲     江東こうとう 日暮にちぼの雲
何時一尊酒     何いずれの時か一尊いっそんの酒
重与細論文     重ねて与ともに細やかに文を論ぜん
李白よ あなたの詩は天下無双
自由な発想は余人の及ぶところではない
清新さは 庾信ゆしんのようだし
俊逸な所は 鮑照ほうしょうに比べられる
北の渭水は 春となって樹はみどり
江東は 日暮れに雲が美しいでしょう
いつの日か 一樽の酒を酌みかわし
もう一度 詩文を詳しく論じたいものだ

 杜甫は辞官後の行き先について、何の準備もしていなかったようです。
 辞官した場合、故郷に帰るのが普通ですが、洛陽はすでに史思明軍の占領下にあります。さしあたっての行き先は西しかありません。
 たまたま秦州(甘粛省天水市)に甥の杜佐とさが住んでいましたので、それを頼りに秦州に行くことにしました。
 その日から十一年におよぶ杜甫の漂泊の人生がはじまるのですが、杜甫はそんなことは予想もしていなかったでしょう。
 華州から秦州へ行くには、渭水に沿った路を西へ四五〇㌔㍍ほど遡って行きます。途中に長安があり、長安に着いたとき杜甫は李白のことを耳にしたと思います。李白は安史の乱がはじまったとき、永王李璘りりんの江南軍に招かれ、永王の水軍に従って長江を東へ進撃しました。
 ところが粛宗は永王の行動を自己の管下に属しないものとして討伐の兵を差し向けます。永王の軍は官軍に破れ、李白は捕らえられて潯陽(江西省九江市)の獄につながれます。しかし、李白のその後の経緯は世間に知られておらず、李白は生死不明であるという噂が流れていました。詩は杜甫が李白と別れて長安に上った直後、つまり天宝五載(七四六)の春に江南にいる李白に送ったものです。頚聯の対句「渭北 春天の樹 江東 日暮の雲」は、自分はいま渭水の春、堤の樹の下にいますが、あなたは江東の日暮れの雲を眺めているでしょうと、遥かに友を思いやる詩句で、時空を超えたまことに美しい詩心であると思います。


月夜憶舎弟     月夜に舎弟を憶う 杜 甫
戍鼓断人行     戍鼓じゅうこ 人行じんこう
辺秋一雁声     辺秋へんしゅう 一雁いちがんの声
露従今夜白     露は今夜より白く
月是故郷明     月は是れ故郷の明あかり
有弟皆分散     弟有れど皆みな分散し
無家問死生     家の死生しせいを問うべき無し
寄書長不達     書を寄するも長く達せず
況乃未休兵     況いわんや乃すなわち兵を休めざるをや
兵鼓が鳴ると 人通りは絶え
辺塞の秋空に 一羽の雁の声がする
白露節を過ぎ 夜露はいっそう白くなり
月影だけが 故郷と変わらぬ清らかさ
弟はいても みなちりぢりとなり
生死を尋ねる 手がかりもない
便りを出しても 届いたかわからず
まして兵乱は 止むことなくつづいている

 「秦州雑詩二十首」は極めて構成的に練り上げられた作品ですが、杜甫は秦州で、ほかにもいろいろな作品を書いています。
 「月夜に舎弟を憶う」の詩は仲秋八月、白露節はくろせつのころの作品で、弟たちの安否を気づかっています。杜甫の実母は早くに亡くなったので、弟の頴・観・占・豊の四人はすべて異母弟です。
 ほかにこれも異母の妹が一人います。このうち杜甫の一家と行動を共にしているのは杜占だけで、あとは現在の山東省にいたようです。
 しかし、このときは洛陽が史思明軍に占領されていましたので、秦州から連絡を取ることはできませんでした。
 杜甫は非常に家族思いだったようです。

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